きのう大阪から名古屋へいらっしゃった藤子好き仲間のFさんと夕食を共にしました。
Fさんは京都大学藤子不二雄同好会のメンバー(OBになるのかな)なので、同好会の活動のお話をいろいろと聞けて楽しかったです。
そして、Fさんから大阪のおみやげをいただきました♪
たこ焼き頭のどこでもドラえもんと、クレパスとコラボしたワッフルクッキー!
楽しくてかわいいおみやげをありがとうございます!
またお会いしましょう!!
本日(10月11日)、My First BIG SPECIAL『まんが道』の4冊目となる[青雲編1]が発売されました。
このシリーズ、近隣のコンビニであまり見かけないのですが、今のところ毎巻入荷してくれているコンビニが一つあるおかげで、本を探して何店もコンビニをめぐる…という目にあわずに済んでいます。
この巻は、満賀の立山新聞社勤務の話が中心です。この前の日曜日、立山新聞社のモデル・富山新聞社のある富山市へ行って藤子不二雄Ⓐ先生のトークショーを聴いたばかりで、しかもⒶ先生のお話のなかに新聞社時代の出来事もあったので、個人的には、非常にホットなタイミングでの発売となりました。
Ⓐ先生はトークショーでラジオ欄の失敗のエピソードも話されました。そのエピソードもこの巻に収録されており、私はそのことにだいぶ昂揚して、「大失敗」の回とその前後だけ先につまみ読みしてしまいました(笑)
むか~し、このエピソードを初めて読んだときは、購読者からの怒りの電話を受けた満賀が「ワーッ」となるシーンがとてもショックでしたし、社会に出るというのはこういうことか……と怖くなったのを覚えています。あんなことがあった翌日に出勤するつらさ、気まずさも心に刺さるように響きました…。
10月6日(日)、富山市にある「高志の国文学館」で藤子不二雄Ⓐ先生のトークショーが開催されました。
この日から同館で「藤子不二雄Ⓐ展 -Ⓐの変コレクション-」が始まるので、それを記念したイベントです。
【イベント概要】
[日 時]10月6日(日)10:30~
[会 場]当館研修室101
[定 員]72名(先着順)
◎参加無料 ◎申込必要
この概要を知ってすぐ電話して予約申込みをし、参加する権利を得られました。権利を得る前から行き帰りの高速バスのチケットを買ってあったので、権利を得られてホッとしましたし、何より非常に嬉しかったです。あとは当日を待つばかりです。
当日の午前8時台に高志の国文学館に着くと、すでに開館を待つ列ができていました。列のあちこちに知った顔が!
開館してすぐに席取りに向かい、前から3列目を確保できました。
確保後は、知人たちとおしゃべりをしたりグッズショップを眺めたりしてすごしました。
いよいよトークショーの開始時間が訪れ、盛大な拍手に迎えられてⒶ先生が登場!
司会の方からⒶ先生のプロフィール紹介があって、さっそくトークに入っていかれました。
トーク中は、司会者が話を回したり聞き手がいたりするわけじゃなく、Ⓐ先生がお一人でずっとしゃべり続けるかたちでした。
テンポのよい軽快な名調子で氷見のお寺で生まれたこと、お父さまの突然の死、藤本先生との出会い、『新寶島』を読んだときの衝撃、デビュー(『天使の玉ちゃん』)の経緯、『四万年漂流』がすぐに打ち切られたこと、富山新聞社時代にラジオ欄で失敗したこと、藤本先生から上京しようと誘われたこと……などを語られました。
富山が会場とあって富山時代のお話がメインでしたが、上京間もない頃の出来事(原稿大量落とし事件など)や、週刊少年誌創刊時にサンデーとマガジン両誌から連載依頼があったことなども披露。
話を端折ったところを補うため「詳しいことは『まんが道』を読んでください」とおっしゃって、会場の笑いを誘われました。
トークの締めは『少年時代』に関するお話。ご自分の疎開体験や終戦を知ったときのお気持ちなどを語られました。『少年時代』連載時の裏話、映画製作時の苦労、井上陽水さんに主題歌を依頼したときのエピソードも聞かせてくださいました。
そして、イベントの最後の最後、Ⓐ先生は最近親交のあるしょこたんがお誕生日プレゼントで描いてくれたイラストを掲げられました。
Ⓐ先生ご本人が忘れているキャラクターまで描いてくれてとても嬉しかったということで、自慢するためあちこち持ち歩いているそうです♪
1時間ノンストップの素敵なトークで会場を笑いと感動とオーラで包む85歳!そのお元気さに圧倒され魅了されました。
トークショーの定員は72名でしたが、会場に入りきれなかったお客さんのためライブビューイングも行なわれました。
Ⓐ先生のマネージャーさんが会場で私を見つけて声をかけてくださったのも嬉しかったです。
「Ⓐ先生が観客の前に出られるイベントって久しぶりですよねえ」とうかがったら、2017年3月の「まんが道大解剖」発売記念トークイベント以来になるとか。
「今ここに一緒にいる面々は、生のⒶ先生のお姿を初めて見る人が多いんですよ!」とお伝えしたら、藤子スタジオのGさんが「今日登場するのはAIだよ(笑)」と冗談で返してくださいました。
久しぶりにⒶ先生が観客の前に出られたイベントですし、ご年齢のことを慮れば、今後もそういうイベントはそう多くは開催されないと思うので、参加できてほんとうによかったです。そのうえ、Ⓐ先生のご出身県である富山でⒶ先生のお話を聞けたわけですから、ファンとしてとてつもなく嬉しいことです。
いろいろな人や物事に感謝したいです。
先日お伝えしたとおり、「WEB文芸」というサイトで私の連載が始まりました。
■映画ドラえもんの歴史をたどる【第1回】
https://t-machine.jp/web-bungei/56768/
連載の第1回では、映画ドラえもんシリーズ第1作『のび太の恐竜』が公開されるまでの経緯について書いております。
『のび太の恐竜』をリアルタイムで体験した者の視点から記述していますので、当時同じような体験をした方には懐かしんだり共感したりしていただける部分がありそうですし、まだ生まれていなかったよという方には、当時の記録・証言として興味深く読んでいただけるのではないかと思います。
そんな連載のスタートにちなんで、『のび太の恐竜』に関連したモノをここでひとつ紹介します。
毎日新聞社が出していた雑誌「毎日グラフ」1980年2月17日号です。
この号は、「即席入門講座」と題して『ドラえもん』の大きな特集を組んでいます。その特集の冒頭が、映画『のび太の恐竜』の紹介でした。
特集の扉ページ(特集の1ページ目)に映画『のび太の恐竜』の画像を大きく載せ、特集の2~3ページ目で映画の内容を紹介・解説しています。
文章で映画のストーリーを紹介しながら、何枚かの画像を掲載して「スペクタクル!」「ドラえもん始まって以来の大長編!」「冒険SF+本格メカの世界」といったポイントをガイドしているのです。
解説者は池田憲章さん。池田さんは、当時の評論家・ライター・識者系の人物の中でも、藤子アニメについて好意的かつ正確に語ってくれていた方という印象が強いです。
特集の4ページ目以降は映画の話題ではなく、『ドラえもん』をさまざまな切り口から紹介しています。ドラえもんのプロフィール、評論家によるドラえもん論、テレビでの人気ぶり、アニメができるまで、ドラえもんの商品、登場人物紹介などの記事が見られます。
さらに、作者である藤子不二雄先生にスポットをあてた記事もあります。
当時のドラえもんブームのすごさが伝わってくる特集です。
「毎日グラフ」は、大きめのサイズでビジュアル重視の雑誌でしたから、その意味でも見ごたえのある特集でした。
本日(9/23)は藤子・F・不二雄先生のご命日。
今年のご命日は、この2冊を読んで先生を偲びました。
『みきおとミキオ』は、この作品が発表された時代から100年後の未来世界を描いています。西暦2074年(てんとう虫コミックス版は2078年)。それが本作のメイン舞台です。
私が『みきおとミキオ』を初めて読んだ頃はほぼ100年後だったその未来世界が、今となっては、だいぶ近い未来になってきたなあ…と少しショックというか感慨深いというか、時の流れというものを感じざるをえません。だいぶ近い未来…といっても、私はその頃にはもうこの世にいないと思いますが(泣)
ともあれ、2070年代というのは、すぐやってくるほど近い未来でもありませんが、そう遠い未来でもありませんね。
藤子F先生が想像した2070年代の日本は、現在より科学技術が発達してずいぶん便利な社会になっていますが、街路樹がぜんぶ作り物で、昆虫を昆虫園でしか見られず、富士山頂にビルがぎっしり建ち並び、海水浴場に自然の岩がほとんど残っていない……といった自然破壊がとても進んだ世界でもあります。その時代の人々は便利さに依存するあまり、体力や計算力が現代人より衰えています。
100年後の未来。それは憧れの時代ではあるけれど、憧ればかりを描くのではなく負の要素も示されているのが印象的です。
1970年代に暮らすみきおにとって100年後の未来世界が憧れの時代であるように、2070年代に暮らすミキオにとってもまた、100年前の世界は失われた自然や文化がまだ残っている憧れの時代である……。そんな相互性も、読んでいて印象深いところです。
『みきおとミキオ』で描かれた未来世界の発展ぶりを見たとき、いろいろとイイなあと思えるものがあるわけですが、地震の被害を防ぐ技術が確立されているのが切実にイイなあと感じます。地震を発生させるエネルギーが地中に溜まってくると、それを安全な場所に誘導し、人工的に地震を引き起こしてエネルギーを発散させてしまえるのですから。人工地震が引き起こされる場所は安全であることがわかっているので、野次馬が集まってきて地面の強い揺れを体験して楽しんでいます。おそろしい地震がこの未来世界では遊び感覚になっているのですから、ほんとうにイイなあと思うのです。
また、本作における未来世界では、ミニコプター、宇宙ヨット、エアカーなどいろいろ乗り物を小学生が自ら運転したり子どもたちだけで乗ったりしており、そのことにも興味を惹かれました。それだけ自動運転や安全性などの技術が進歩したということなのでしょう。子どもの主体性や人格をもっと認める社会になっている、ということも少しはあるのかしら……。
ミキオの暮らす時代に熱狂的人気を博している“メンバン”は、メンコ遊びがプロ競技化したものです。『ドラえもん』に出てくる“プロあや”を思い出します。プロあやは、あやとりがプロ競技化したもの。どちらもプロレスやボクシングみたいに四角いリングの上で戦い、世界タイトルマッチが行なわれます。
素朴な子どもの遊びだとわれわれが思い込んでいるものが、世界的プロ競技となり熱狂的人気を獲得し、莫大なお金が動いている……。そこには、そんな不思議さとおかしさがあります。
と、『みきおとミキオ』を読みながら、そんなことを思ったF先生のご命日でした。
もう一冊の『ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~』は、F先生が亡くなる頃のことが描かれていて、いつ読んで涙なしでは読めません。今日のようなご命日に読んだりしたら、なおさら痛切に胸の奥にしみてきて心が揺さぶられます。