書店で、藤子不二雄Ⓐ先生を追悼する帯を巻いた中公文庫を見かけました。
すでに持っている本ばかりですが、追悼の意を込め、3冊購入して帰りました。
本日(5月4日)は「みどりの日」です。
毎年みどりの日になると藤子不二雄Ⓐ先生がデザインされた「みどりちゃん」を何よりも思い出すのですが、今年は特に色濃く彼女を思い出します。
みどりちゃんは、愛知県西尾市制40周年記念事業のマスコットキャラクターです。Ⓐ先生が西尾市からデザインを依頼され、名前は一般から募集されました。
私の住む愛知県内の自治体のマスコットキャラクターをⒶ先生が手掛けた!ということで特別な親近感をおぼえます。
西尾市の自然と抹茶をイメージしてグリーンを主体とした色調となっており、服には西尾市の花「ばら」が描かれています。
アフロヘアの女子、というところにⒶ先生の好みが感じられて、ファンとしては見逃せないポイントです(笑)
4月8日付の「中日新聞」朝刊に掲載された藤子不二雄Ⓐ先生の訃報のなかで、この地方ゆかりの話題としてみどりちゃんが紹介されていました。
その記事では、1992年当時みどりちゃんの担当だった西尾市の元職員・山下正文さんが取材に応じ、Ⓐ先生について「既に売れっ子漫画家だったが、全く偉ぶらず、謙虚な天才だった」と回想しています。Ⓐ先生は同年9月に西尾市役所を訪れたことがあるそうで、そのさいに「節目に自らのキャラクターを使っていただき、ありがたい」と感謝の意を表されていた、といったお話も載っています。
私は、みどりちゃんのグッズとしてテレホンカードとハガキを1枚ずつ持っています。
私が持っているのはこれだけですが、他のポーズ(抹茶の湯呑みをもって正座しているみどりちゃん)が印刷されたハガキもあるようです。
あと、みどりちゃんの表現コンセプトを記したこんな資料も、ずいぶん前に入手しました。
そんなみどりちゃんですが、西尾市でマスコットキャラクターとして使用された期間はあまり長くなかったようで、残念ながら、もうずいぶん前から現役ではありません。
でも、愛知県在住の藤子ファンの一人として、Ⓐ先生とこういうご縁があっただけで非常に嬉しいことです。
本日(5/3)は憲法記念日です。
目が覚めてから午前中はこの本を読んですごしました。
・『ドラえもん社会ワールド ―憲法って何だろう―』(小学館、2015年発行)
藤子・F・不二雄先生の描いた『ドラえもん』から「平和アンテナ」「まんが家ジャイ子」「ぐうたらの日」「職業テスト腕章」「どくさいスイッチ」「おこのみ建国用品いろいろ」「ばっ金箱」など12編が収録されています。
これらの面白いマンガを読みながら、憲法について学べる一冊です。
子ども向けの本ではありますが、「憲法は何のためにあるの?」という巻頭カラーグラフから始まって、日本国憲法に関する基礎的な知識を、平易に、しかし難しい部分もスルーせずきっちり丁寧に解説しており、一般の大人が読んでも学ぶところは多い気がします。
4月21日、映画『のび太の宇宙小戦争2021』を観てきました。これが4回目の劇場鑑賞となります。
この映画にはピリカ星人が男性も女性も大人も子どもも出てきて、何度かピリカ星人のモブ(群集)シーンがあったりもするわけですが、一人一人の顔がよく描き分けられているところに見とれました。藤子・F・不二雄先生がいかにも描きそう、と私の脳がそう感じてしまう形の目鼻口で彼ら彼女らの顔が表現されているのが非常に好みでした。
その点も含めて、パピの演説が終わった直後演説に感化されたピリカの市民たちが打倒ギルモアに立ち上がるシーンや、「自由をわれらに!」と集団で行進するピリカ市民の前にギルモアが屈服するシーンでじわ~と涙ぐんでしまいました。
4回目の鑑賞は、大勢のピリカ市民の姿と行動に胸を熱くさせられる体験となったのです。
映画の本編終了後、2023年春に次回作が公開されるとの予告映像が流れました。それを観た男の子とそのお姉さんらしき女の子の、こんな会話が聞こえてきました。
「2023年春ってことは、また一つ冬を越さないといけないんだよね」「11ヶ月待たないとね」
次回作も楽しみでならなくて本当に待ち遠しい、というニュアンスの会話でした。こういう会話が聞こえてくるのも劇場鑑賞の喜びです。
3月4日から公開の始まった『のび太の宇宙小戦争2021』の劇場限定グッズが劇場のショップにまだ何種類か並んでいたので、残りもの(と言っては失礼ながら)には福がある!と新たに3点お迎えしました。
ようこそ、わが家へ!
劇場のロビーでは、この日の翌日から新作が始まった映画クレヨンしんちゃん関連の展示がありました。
そして、4月26日、映画『のび太の宇宙小戦争2021』、5回目を観てきました。
この映画を劇場で観るのは、この5回目でおしまいとなりそうです。
前売り(ムビチケ)を3枚買っていたこともありますが、私にとっては、繰り返し劇場鑑賞したくなる醍醐味のある作品でした。
山口晋監督が『のび太の宇宙小戦争2021』は芝山勉監督の旧映画のリメイクというより藤子・F・不二雄先生の原作マンガを映画化したもの…といったようなことをおっしゃっていました。私もそう受けとめて鑑賞しました。
1985年公開の旧作と今回の新作はどちらもF先生の原作から生まれた2通りの映画作品だととらえ、過度に比較するのではなく、それぞれの映画の独立性をなるべく尊重しながら観たのです。
旧作と新作を過度に比較しない…というのは、個人的にはそうしたほうが新作をより楽しめると思ったからです。旧作への個人的な思い入れや体験的記憶があまりに深く大きいので、そんな旧作と今回の新作をいちいち比べて観てしまうと“比較地獄”に陥って新作を純粋に楽しめなくなりそうな、そんな気がしたのです。
新作映画における、しずかちゃん巨大化から、絶体絶命だった処刑場シーンの形勢逆転、のび太・ドラえもん・ジャイアンとしずかちゃん・スネ夫が再会するあたりまでの、ぐんぐん昇っていく高揚感がたまりません!気分が上がって涙がこぼれました。
この映画を観に行くたびに劇場限定グッズを新たに買ってきました。そのお買い物も、今回の購入でおしまいとなりそうです。
映画の鑑賞後、いっしょに観に行ってくれた友人1名と、記憶でパピやロコロコを描くお遊びを(わずかな時間ですが)楽しみました。
ロコロコを描いてみてつくづく感じたのは、「ロコロコのグッズがいろいろと出てくれたのは、今回の映画化の最高の恩恵だなあ」ということです(笑)
『のび太の宇宙小戦争2021』、こんなにも楽しませてくれて本当にありがとう!
※おまけ
5回目の『のび太の宇宙小戦争2021』を観に行く途中、否が応でも目にとまってしまった光景……
愛知県在住の鉄腕アトムコレクター小池信純さんが3月終盤ごろから、作品を飾れる酒場「お酒とクリエ」で手塚治虫ポストカードコレクション展を開催されていました。
私は、その会期の最終日(4/23)に企画された昼飲み会に参加。
ポストカードの展示を鑑賞しつつ、何杯もお酒を飲みつつ、手塚作品の話題を中心に趣味のお話を皆さんと熱く語り合いました。
手塚作品のポストカードが展示されているこの空間で、手塚先生を神様と仰いでおられた藤子不二雄Ⓐ先生を偲ぶこともしました。
1989年手塚先生の追悼で出版された朝日ジャーナル臨時増刊号の表紙イラストを、Ⓐ先生が手掛けています。
空飛ぶ円盤でどこか遠い宇宙へ旅立たれた手塚先生。
Ⓐ先生もその宇宙で手塚先生やF先生、多くのお仲間たちと再会をはたし、今ごろワイワイ歓談しておられることでしょう。
生前の手塚治虫先生が藤子先生を評するさい「漫画少年イズム」ということをよくおっしゃっていたことを思い出します。
もちろん、現在両氏の個性は作品を一目見ればすぐ見分けがつく。しかし、どんなに両氏が異質な作品を描こうと、絶対に共通不可分な要素がある。それはなにかというと、つまり学童社で培われた“漫画少年イズム”だということだろう。この言葉は、現在においてはややもすると皮肉にきこえるかもしれないが、漫画が、一般的に退廃的なムードに傾斜しつつあるとき、エンターテインメントとして一級品で、派手で、しかも良質な漫画は、むしろ貴重なのである。これは両氏の資質やインテリジェンスによることは無論のことだが、なによりも「漫画少年」時代、“新漫画党”結成当時に完成された個性の、ストイカルなリベラリズムのなせることだろう。
※『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(1977年、毎日新聞社)
藤子さんは「漫画少年」というよき土壌に育ったきわめてオーソドックスな作家だ。その明るく穏やかで良心的な作品が、結局、万人に愛されているということは、独善と退廃、刺激過剰に陥ったきらいのある今の漫画文化に、つよく警鐘を打ち鳴らしているといえる。だからこそ、永遠の生命力がある。
「漫画少年」というよき土壌で培われた個性をその後長年にわたって保ち続けながら万人に愛されている“藤子不二雄”という作家。その個性の貴重さ・良質さを手塚先生は説いておられたのです。
この手塚治虫ポストカードコレクション展昼飲み会のときもそうでしたが、藤子不二雄Ⓐ先生の訃報に触れてから、チューダーを飲んだりラーメンを食べたりと飲食することで先生を偲ぶ機会が多いです。
“飲食”という行ないでⒶ先生を偲ぶのは、慣習的なものと言いますか無意識的なものと言いますか、これといって深い意味はないのですが、あえて言えば、『まんが道』の「ンーマイ!」をはじめⒶ先生は食べること飲むことのまっすぐな喜びと楽しさを私に教えてくれた存在であるからです。
(同様に、『大長編ドラえもん』など藤子・F・不二雄先生の作品からも飲食することの純粋な楽しさを教わった気がします)
好きな物を食べて「おいしい」と感じることの快楽は幼少のころより楽しんできたのですが、「飲食するってこんなにも生きることの楽しさや幸福感と直球で結びついているものなのか!」とはっきり目覚めさせてくれたのはⒶ先生とF先生、つまり“藤子不二雄”だったと思うのです。
そういう個人的な体験もありまして、「Ⓐ先生の作品を再読すること」「Ⓐ先生の思い出を振り返ること」に加え、「飲食」という営為によっても頻繁にⒶ先生を偲んでいる次第です。
長年のあいだその存在が噂されながら幻であり続けていたアニメ『フータくん』のパイロットフィルムが、ついに発見されました。アニメ史上に刻まれるであろう、歴史的な発見です。
『フータくん』は、正式なテレビアニメ化は実現しなかったものの、アニメ化の企画が持ち上がってパイロットフィルムが制作され、広島をはじめ一部地域ではそのパイロットフィルムがテレビ放送されました。
そういうところまでは、熱心な方々の調査で確認されていました。
しかし、当のパイロットフィルムの所在は不明のまま、長いあいだ幻の作品、謎の作品であり続けていたのです。
当ブログでも、2006年時点で得られた情報から『フータくん』パイロットフィルムの謎を追ったことがあります。
https://koikesan.hatenablog.com/entry/20061207
そんな長らく謎に包まれていた幻のパイロットフィルムがついに発見されたことが、Tokyo Cine Center (TCC試写室)様のTwitter投稿で報告されました。
4月16日のことです。
https://twitter.com/kokuei_tcc/status/1515212816898093060
この報告に、藤子ファンやアニメファンがわきました。
藤子作品史上、日本アニメ史上の大きな発見だと思います。
それまで「パイロットフィルムは白黒で制作された」との説がよく聞かれていましたが、実際はカラーだったことまで判明しました。
https://twitter.com/kokuei_tcc/status/1516558524540940294
※Tokyo Cine Center (TCC試写室)様の一連のTwitter投稿は、公式サイトでもさかのぼって確認できます。
はたして私が生きているうちに発見されることがあるのだろうか、いや難しそうだ……とすら思っていたモノが現実に発見されたわけで、
「令和の大発見だ!」と快哉を叫びたい気分です。
私が初めて『フータくん』を読んだのは、朝日ソノラマのサンコミックス1巻(全5巻)でした。その1冊を再読することで、『フータくん』の面白さを改めて堪能しました。
むろん、原作者の藤子不二雄Ⓐ先生を偲ぶ意味もあります。
『フータくん』を連載していたころ(1964年~67年)のⒶ先生は、同時代に『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『怪物くん』『サンスケ(わかとの)』なども連載していて、正統派王道ギャグ漫画家として最も脂がのっていた時期だったのではないか、と私は思っています。テンポよく連発される安孫子チックギャグがたまりません。
この時代をすぎるとⒶ先生は正統派ギャグマンガからブラックユーモアや奇妙な味わいのギャグマンガへと進んでいかれます。
2人の藤子先生は自作品を「定住型」と「放浪型」に分けて考えていました。『オバケのQ太郎』をはじめ『忍者ハットリくん』『ドラえもん』などは皆「定住型」。それに対して『フータくん』は「放浪型」藤子マンガの代表例でしょう。
放浪少年フータくんの、明るく楽しくたくましく独力で生き抜くバイタリティが、この作品全体にみなぎる力強いエネルギーと化している気がします。ギャグが弾けている作品だなあ、とも思います。
もとより活発なフータくんが赤い物を見ると興奮してますますハッスルするところとか好きです。
サンコミックス『フータくん』1巻のなかだけでも、フータくんが旅先でいろんなユニークな人物に出会います。今回の再読で私がなぜか気に入ってしまったのが、岩手から出てきたおまわりさんタラコ・タラオ氏。「春はポカポカ家出のシーズン」という話に登場する日本初の家出おまわりさんです。とぼけたキャラでいい味出しているのです。
名前が「タラコ・タラオ」なのも藤子不二雄ファン的に琴線に触れるし、話すとき語尾に“がんす”とつくのが『怪物くん』のオオカミ男を彷彿とさせたりもします。家出の供にブタを連れてきたところもポイント高し!
「ぼくはギクシャクロボットだい!」という話に、鉄腕アトムのパロディキャラが出てくるのも愉快でした。
その名も、鉄腕アウト!
ロボットの審査会に出されたものの、すぐにあるマンガそっくりだとバレて「盗作じゃ アウト!!」という結果に(笑)
サンコミックス1巻で読めるのは、『フータくん』の第一シリーズである「百万円貯金編」で、3巻まで続きます。
「百万円貯金編」は、各回のラストで「今回の貯金額」としてその回の収入・支出と差し引きの合計貯金額を表示します。そのアイデアについてⒶ先生とお話させていただいたさい、
「詐欺師がお金を集めて各章の最後に収支が表示される小説があってね、それがアイデアの元になっているんだよ」と教えてもらいました。
そのように、『フータくん』はお金にこだわった作品なのです。『フータくん』の記念すべき最初の単行本であるサンコミックス1巻の表紙イラストが“お札の肖像画になったフータくん(当時の1万円札の聖徳太子のパロディ)”というところからも、本作のお金へのこだわりがうかがえます。
藤子不二雄Ⓐマンガにはそうしたお金を扱った作品が多く、その事実に着眼して「現金漫画としての藤子不二雄Ⓐ論」という評論を書かれたのがブルボン小林さんです。
私は「スポンジスター」(2007年)という同人誌で「現金漫画としての藤子不二雄Ⓐ論」を読みました。
この評論は『忍者ハットリくん』『怪物くん』の話から入って、最も字数を使って中心的に論じるのは『まんが道』です。(『フータくん』にも少し言及しています)
現金漫画という観点からⒶマンガの持つ特質を浮き彫りにする、読みごたえのある評論です。
『まんが道』では編集者(やテラさん)が主人公2人を厳しく叱るシーンが何度かあるが、叱った人はほぼ必ず「言い過ぎたよ」と謝罪を入れる、『まんが道』の世界はそういうふうに作られている……といったことをブルボン小林さんは指摘しています。この評論を初めて読んだときも、今回読み返したさいも、そのくだりを特に印象深く感じました。
さてさて、
『フータくん』パイロットフィルム発見を報じたTokyo Cine Center(TCC試写室)様のツイートによると、発見されたフィルムは「多少の収縮と結晶は出ているが、デジタル化は可能」とのこと。
https://twitter.com/kokuei_tcc/status/1517297343493980160
今後の情報にも期待したいです。