劇画毛沢東伝を再読

 昨年、『劇画毛沢東伝』の単行本が実業之日本社から復刻された。赤を基調としたシンプルなカバーデザインが渋くて素敵だ。私は昭和46年に刊行されたオリジナル単行本を持っているが、復刻版もコレクションに加えたくて購入した。巻末に呉智英氏の解説や藤子不二雄A先生のあとがきが収録されているところが、オリジナル版との目立った違いだ。

 
 その『劇画毛沢東伝』を、何ヶ月ぶりかに読み返してみた。何度読んでも、重厚な読み応えのある作品だ。ストーリー自体に骨太の感動があるが、なんといっても絵が素晴らしい。藤子A先生独自の表現手法が作品の全体に高い密度でみなぎっており、その密度の高さが作品のラストまでテンションを落とさず持続している。実験性の高いペン画集を鑑賞している気にすらなってくる。それほどまでに、『劇画毛沢東伝』の絵からは異様で圧倒的な迫力があふれているのだ。


 この作品は、毛沢東という実在の人物の伝記であると同時に、伝記の器を借りた斬新なマンガ表現の実験場でもある。その画面からは、毛沢東という人物の存在感と藤子A先生の絵の存在感とが混然一体となって濃密に立ちのぼっている。黒と白のコントラストを強調した画面、スクリーントーンや斜線による効果、新味のあるアングル、ハイトーンコピーの写真を利用した情景、黒枠で囲われたコマ……。そうした藤子不二雄Aらしい多様な表現手法が、事実をコラージュすることで成り立つこの毛沢東の伝記劇画を、ただならぬ次元へと押し上げている。


『劇画毛沢東伝』が「週刊漫画サンデー」誌に連載された当時(昭和46年)は、共産主義の思想が日本で大手を振っていた。全共闘運動が、少し勢いを下げたとはいえ、全国の大学を席捲していた。当時は、政治の時代であり、イデオロギーの時代であったのだ。
 そういう時代のなかで毛沢東の伝記が発表されれば、共産主義の思想や毛沢東の業績を賛美し流布するためのプロパガンダだと思われても仕方がないだろう。誰もがその作品からイデオロギッシュな臭いをぷんぷんと嗅ぎとりたくなるだろう。
 

 しかし、もし本当に『劇画毛沢東伝』が政治的なプロパガンダを目的としたイデオロギッシュな劇画であったなら、世の中が移ろい、政治の時代、イデオロギーの時代が退潮していくにつれて、作品のもつ生命力や鮮度も風化していったはずである。
 ところがこの作品は、平成16年の現在にあっても、無残に風化するようなことはなく、水準以上の鮮度や迫力を保ち、読む者の心を強烈にとらえる。それは、『劇画毛沢東伝』が当時の思想的な流行や政治の状況に乗じて描かれただけの、単なるイデオロギー劇画、プロパガンダ劇画ではなかったことの証しであろう。(このあたりの意見は、呉智英さんの『劇画毛沢東伝』評と一致している)


 そもそも、藤子A先生が毛沢東をマンガで描いてみたいと思ったのは、昭和46年よりずっと前、先生が20歳のとき(昭和29年ごろ)のことだった。共産主義の思想がファッションや空気のように世間を覆っていた時代よりはるかに過去の時点で、藤子A先生は毛沢東をマンガの題材にしたいと目論んでいたのだ。そのあたりの事情が読みとれる先生の言葉を「文藝春秋」昭和46年10月号から引用しよう。


毛沢東をマンガの中に登場させたいと、僕がはじめて思ったのは、マンガ家のはしくれになりたての二十歳の時、エドガー・スノーの「中国の赤い星」(宇佐美誠次郎訳、筑摩書房)を読んだからだった。

スノーの報告書は、現在では古典とされているが、僕にとっては未知の世界への血沸き肉踊る冒険談だった。

敗北の後退を勝利の前進に転換させた二万五千里の長征。これこそは現代の神話であり、最高の人間ドラマだと僕は思った。

 藤子A先生は“毛沢東の長征”に神話的なロマンを感じ、毛沢東という人物にカッコいいヒーロー像を見出して、それをマンガ化してみたいと思ったのだ。藤子A先生のこの動機から、共産主義思想への傾倒…といったイデオロギー臭は感じられない。


 毛沢東をマンガ化してみたいと思った藤子A先生だったが、資料の不足や自信のなさもあって、マンガ化の機会になかなか恵まれなかった。そうこうしているうちに中国や毛沢東に関する多くの資料や情報が届くようになり、中国革命の悲惨で冷厳な現実を知ることになる。そこで突きつけられた現実によって『「中国の赤い星」を読んだ頃のロマンチックな幻想が砕かれ』ていった、と藤子A先生は述べている。
 藤子A先生の毛沢東への幻想は、『劇画毛沢東伝』を描きはじめる以前の段階ですでに打ち砕かれていた、というわけだ。


 そうして昭和45年の秋、藤子A先生は「週刊漫画サンデー」から「毛沢東の伝記を劇画化してみないか」ともちかけられる。先生は、若い頃に抱いた毛沢東マンガ化の志をほとんど外へ話したことがなかった。だから「週刊漫画サンデー」からそんな話がきたのはまったくの偶然であったという。その偶然に運命的なものを感じ、依頼を引き受けたのだった。


 そのような経緯で執筆されたのが『劇画毛沢東伝』なのである。


 こうして関連の事実を追っていくだけでも、藤子A先生が『劇画毛沢東伝』を描いた動機に、政治的なプロパガンダや、特定のイデオロギーの賛美・流布といった意図はほとんどなかったように思われる。もちろん、当時を生きていた学生やインテリ層は共産主義思想の洗礼を受けやすい状況にあったわけだし、A先生も、先端のファッションを取り入れるような感性で自然に共産主義思想を受け入れていたのかもしれない。にしても、『劇画毛沢東伝』というこの作品は、そうした政治的・思想的な背景や時代潮流的な意図を超えたところで毅然と屹立している、自分の脚で立った劇画である、と私は感じるのである。