劇画毛沢東伝 賛否両論

 前回、『劇画毛沢東伝』について書いた。
 この『劇画毛沢東伝』の雑誌連載分全話が一冊にまとめられたのは、「漫画サンデー増刊号」として刊行された雑誌タイプの総集編が最初であった。その総集編が出版された当時の模様を伝える記事が、雑誌「平凡パンチ」昭和46年8月9日号に掲載されている。
 その記事によると、「(『劇画毛沢東伝』の総集編は)二十万部刷ったけど、もう店頭からなくなってしまった」とのことで、相当な売行きだったことがうかがえる。大学生の毛沢東入門書として、中国へ行く人のためのアンチョコとして、教材的な読まれ方もしたようだ。本作の連載中には香港で評判になって、「ニューズウィーク」誌が取材にきたこともあるという。
 

 その当時3歳の私は、『劇画毛沢東伝』が話題になっていることなど知る由もなかったが、『オバケのQ太郎』で有名な「藤子不二雄」が、こんなにも濃密でシリアスな劇画を発表しそれが人気を博したことに、当時の人はさぞかし驚嘆したのではないか、と想像することはできる。
 藤子A先生は、当時の時点ですでに「ブラックユーモア短編」などの青年向け作品をいくつも発表しており、主なマンガ雑誌に目を通しているようなマンガファンであれば、「藤子不二雄は黒っぽい絵柄の、シリアスな青年向けマンガを描いている」と知っていただろうが、一般の人にしてみれば、『オバQ』や『パーマン』の作者がいきなり『劇画毛沢東伝』を描いて世間に話題をふりまいたかのように見え、意外な驚きを感じたのではないか。

 
 世間で作品が話題になれば、とうぜんそれに対する批判も出てくる。それが「毛沢東」という実在の革命家を扱った作品となれば、なおさらだ。評論家の竹中労氏(故人)は、「あの劇画は、毛沢東という一人の神が現れて、中華人民共和国をつくりあげたみたいで、その、ありがたやの精神がいけない。(中略)それから、史実的に不正確であるということも問題である。不勉強なのだ。(中略)毛沢東自身、日本を意識していたし、それを示す文章もある。それなのに、日本が出てこないのは、どうしたことだ」と厳しく疑問を投げかけている。
 逆に、中国問題の権威という早大教授の新島淳良氏は、「風俗、習慣や仮名づかいのまちがいが問題だが、よく調べてあっておもしろいと思うよ」と好意的である。
 当時のインテリたちのあいだで賛否両論が渦巻いた『劇画毛沢東伝』は、週刊誌の記事でとりあげられるほどの人気作であったとともに、知的・政治的な意味での問題作でもあったようだ。