藤子不二雄先生の引っ越し歴

 今週発売の「週刊文春」9月23日号「家の履歴書」のコーナーに、藤子不二雄
先生が登場している。先生は、氷見市ですごした幼少時から藤子・F先生とのコン
ビ解消時にかけて体験した様々なエピソードをまじえながら、ご自分の引っ越し歴
を4ページにわたって語っている。
 同誌189頁のゴルフボール広告欄には、A先生がこの商品に贈ったメッセージが
イラスト付きで掲載されていて、今週の「週刊文春」は、藤子Aファンには一冊で
二度おいしい内容になっている。

 
 今回の「家の履歴書」でとくに目を引いたのが、藤子A先生がトキワ荘を出てか
ら住んだ川崎市東生田の家の内部見取り図である。この家の外観は、藤子・F先生
作の実録マンガ『スタジオ・ボロ物語』などで見られるが、その内部が図によって
詳しく紹介されるのはたいへん珍しく、貴重な資料になりそうだ。
 藤子A先生と藤子・F先生は、昭和36年の夏、同時にトキワ荘を出て川崎市東生
田へ移ったわけだが、お二人の仲のよさは並大抵のものではなく、百坪の土地を買っ
てそれを真ん中で分け、二軒の家を隣り合って建てたのである。今回の記事で藤子
A先生は「離れて住もうとは全然、思わなかったです。むしろ、最初は一軒家にし
ようか、というアイデアもあったくらい」とおっしゃっている。


 二人の藤子先生は、その東生田の家から、さらに同じ川崎市内の別の場所へ引っ
越していて、そこが現在のお住まいになっている。その引っ越し時期が、今回の記
事では「昭和50年」となっているが、私の調べでは「昭和46年」が正確な数字だと
思われる。その傍証となる記事を、両先生の合作マンガ『仙べえ』連載中の「週刊
少年サンデー」誌で見つけているので、ここに引用する。この記事は、「担当記者
だより」というタイトルで、『仙べえ』本編の欄外部分に掲載されていたものであ
る。

  
   ★「週刊少年サンデー」1971年(昭和46年)第42号より
   藤子先生の家が、いま新築中!! 〝仙べえ〟の峯夫くんの家みたいに、冬
   は全室セントラルヒーティングでホカホカ。夏は完全冷房で、スズシイ。外見
   も、たいへんモダンな設計で、先生も今からウカウカ大ウカレ!! でも予算
   がくるったら、計画も夢におわるかもしれぬとか。

  
   ★「週刊少年サンデー」1971年(昭和46年)第50号より
   新築中だった藤子先生の家が完成した。「新しい家は、木のかおりがプンプン
   して、新鮮だ二ー。」と、家の話になると、思わずヒザをのり出す。冬、あたた
   かく、夏、すずしく、地震に強く、火にも強い。申し分のない家だとか。新しい
   家で、楽しい作品をつくるとはりきっている。

  
   ★「週刊少年サンデー1971年」(昭和46年)第51号より
   新築の家が完成して、いよいよ引っ越しをした、藤子先生。ガラクタの多いの
   にびっくり。奥さんに、「あれすてるわよ、これすてるわよ!!」と、ハッパを
   かけられても、「おしいおしい」と、なかなかすてきれぬ。新しい家の先生のへ
   やは、やっぱりガラクタでいっぱい。「ものもちがいいね!」とは先生の弁。


 そのほかの関連資料としては、「週刊明星」1978年(昭和53年)6月25日号の巻末グ
ラビア「スターマイホーム考」がある。この記事内で、藤子先生の現在の家は「46・47
年に建った」と記述されている。そこから考えると、A先生・F先生のどちらかの家が
46年、もう一方の家が47年に完成したのかもしれない。


 現在の家は、藤子A先生が和風、藤子・F先生は洋風の外観になっている。今度は完
全な隣同士というわけではなく、間に3軒の家を挟んでいる。それでも、こんなに近隣に
家を建てるなんて、お二人の心理的なつながりの深さには本当に驚かされる。