瀬名秀明さんは藤子ファン

 10月4日(月)深夜24時20分から放送された「爆笑問題のススメ」(日本テレビ系/製作・札幌テレビ)に、作家の瀬名秀明さんがゲスト出演した。
 瀬名秀明さんといえば、『パラサイト・イヴ』『BRAIN VALLEY』『八月の博物館』などの代表作があり、近頃はロボット関係のノンフィクションも精力的に手がけている人気作家である。私は、デビュー作の『パラサイト・イヴ』以来、瀬名さんの作品を単行本で追いかけている一ファンであるが、それとともに、同世代の藤子不二雄ファン同士として、瀬名さんの発言には共感するところが多い。


 たとえば、瀬名さんが小学館のPR雑誌「本の窓」2004年3・4月合併号で発表した『「先生」−我が心の藤子不二雄−』なるエッセイには、私の共感を誘う言葉が豊富に詰まっている。まるで私自身の藤子不二雄ファン歴や藤子不二雄先生への思いが書かれているかのような錯覚におちいるほどだ。
 とくに共感した文面をここで紹介しよう。

藤子不二雄のことを話すとき、私はつい「藤子不二雄先生」と末尾に先生をつけてしまう。(略)なぜ先生と呼んでしまうのか、と改めて考えることはない。藤子不二雄というふたりのマンガ家に対する感謝の気持ちと尊敬の念が、素直なかたちで外に出たものに過ぎないのだ。

 本当に瀬名さんのいうとおりだ。私も少年時代から今までずっと「藤子不二雄先生」と呼び続けている。そう呼ぶのはもちろん、義理でも建て前でも惰性でもなく、心の底からわきあがってくる藤子不二雄先生への敬意が、「先生」という言葉を自然に選び取らせるからだ。「様」でも「さん」でも「氏」でもなく、「先生」なのである。
 藤子先生に限らずマンガ家の名前を呼ぶとき名前のあとに「先生」と付けるのは慣例のようなものだろうが、私の場合は、小学生時代に読んだ「コロコロコミック」の誌面で「藤子不二雄先生」という活字に頻繁に触れていた体験が心に根差していて、それで「先生」という呼び方を自動的に選択してしまうのかもしれない。

私の中でふたりの藤子不二雄に優劣などない。

 そう、そう、そうなのだ。藤子不二雄A先生と藤子・F・不二雄先生のどちらが好きか、と訊かれることがしばしばあるが、「どちらが好きか」という質問自体が空虚に感じられるほど、私にとって藤子先生は「二人で一人」の存在なのである。これは理屈ではなく、とにかく「そういうもの」なのだ。

私は今年で三六歳である。学習雑誌のドラえもんと共に育った世代だ。小学四年生のときに『コロコロコミック』が創刊され、季刊誌から隔月刊、やがて月刊になって、小学六年の春からはシンエイ動画によるアニメもスタートした。

 私も瀬名さんと同じ年に生まれていて(学年は私のほうが一つ下だが)、少年時代は瀬名さんと共通の体験をしてきたわけだ。
 瀬名さんは、「コロコロコミック」で企画されたドラえもんの「ひみつ道具発明大会」などに応募して入選し、応募作品が本誌に掲載されたことがあるということで、私もよくそういった類の企画に投稿していたので身に覚えがある。たとえば、しのだひでおさんが担当していた「藤子不二雄のまんが入門」で入選し作品が誌面に掲載されたり、グリーンドラえもんキャンペーンの「ドラえもんと自然の絵コンクール」で佳作か何かに選ばれ、巨大なポスターの一部に私の絵が組み込まれたりしたことがある。そうした投稿体験でも、当時の瀬名さんと私は共通の喜びを感じていたはずなのだ。

小学校高学年ともなると、ほとんどの同級生は(残念ながら)『コロコロ』から離れ、週刊少年誌を読むようになる。視聴するアニメにしても、少し大人びたものを選びたくなるものだ。私がそういったスタンダードな道を辿らなかったのは、(略)小学六年生のときに異色短編集を読んでしまったせいもある。
ゴールデンコミックスという大人びたその叢書は、表紙は福田隆義の画によって統一され、一種異様な雰囲気を醸し出していたのである。帰宅し、私は驚愕と共にその四冊の短編集を読み終えた。その後何度読み返したかわからない。藤子・F・不二雄の奥深さを初めて目の当たりにしたのはそのときであり、同時に自分は恐ろしいものを見てしまったような気がして、もう引き返せないのだという気持ちを強くしたものだった。

 小学生の頃は『ドラえもん』に熱中していた同級生も、中学生になればてのひらを返したように「藤子不二雄なんて幼稚だ」といいはじめる。私は小学校を卒業しても『ドラえもん』が好きだったが、周囲の冷たい白眼視に負けて『ドラえもん』から離れかけようとしていた。そんなとき、瀬名さんがあげたゴールデンコミックス「異色短編集」と出会ったのである。そのほかにも、少年チャンピオンコミックス『魔太郎がくる!!』、立風漫画文庫『黒ィせぇるすまん』、サンミリオンコミックス『ひっとらぁ伯父さん』、奇想天外コミックス『ヒゲ男』などの単行本に立て続けに出会い、『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』の楽しいイメージとは違う、藤子マンガの底知れぬ深さと広さと恐ろしさを知るに及び、まさに瀬名さんがいうように「もう引き返せない」状況へハマりこんでいったのである。
 そして、「異色短編集」などを読んだ目でもう一度『ドラえもん』を読み返すと、実は『ドラえもん』の中にも「異色短編集」で表現されているような本質的な恐怖、人生の哀歓、対象への鋭い洞察、古典や科学の知識、SFマインド、緻密な構成、心憎い仕掛けなどが豊かに織り込まれていることに気づき、改めて『ドラえもん』とずっと付き合っていきたいと思うようになったのである。


 私が共感した瀬名さんの言葉をもうひとつ、今度は「アサヒグラフ」2000年3月10日号(ドラえもん生誕30年記念特集)から引用してみたい。

もともと藤子・F先生のマンガそのものが好きだった私は、ほとんどグッズというものを買い求めたことがなかったのだが、いただいたプレゼントを見ると実によくできており、昔のおもちゃと違ってなかなかかわいらしく、決して侮れない。
                  (略)
いまこの原稿を書きながら、改めてドラえコン(ドラえもん型のテレビリモコン)を手に取ってみている。丸い頭がすべすべしていて実に気持ちいい。ウインクした表情は本当にかわいい。だが、どうも私は気になって仕方ないのだ。「かわいいドラえもん」にもうひとりの私が違和感を覚えている。そう、最近のドラえもんはちょっとかわいらしすぎはしないか? これは断じて、私がかつて親しんでいたドラえもんではない!
                  (略)
ドラえもんは「かわいい」だけではだめなのである。愛玩の対象に堕ちてしまってはだめなのである。

 私は、巷に多く出回っているかわいい系のドラえもんグッズを否定する立場ではないし、ときには自分でもそんなグッズを買ってみたりもするし、どのようなかたちであれドラえもんが人々に愛されるのはよいことだと思う。だが、それも藤子・F・不二雄先生が描いたマンガの『ドラえもん』が核にあってこそのことなのだ。
 藤子・F先生の『ドラえもん』がないがしろにされたかたちで、ただかわいいだけのドラえもん愛玩動物のように扱われているようでは、まったくもって本末転倒なのである。
 かわいいドラえもんに慣れ親しんだ人の中には、藤子・F先生が描いたドラえもんのほうに違和感を示す人がいて、アニメやグッズのドラえもんと比べてマンガのドラえもんは「かわいくない」「さわやかさに欠ける」という声を、私も実際に聞いたことがある。これは、あまりにも寂しい現実だ。
 かわいいドラえもんよりも、藤子・F先生の描いた『ドラえもん』に魅力を感じる人が、一人でも多く増えてほしい、と切に願う次第である。


 冒頭で触れた「爆笑問題のススメ」の中で、瀬名さんは藤子不二雄ドラえもんについてまったく話さなかった(話したかもしれないが放送されなかった)。しかし、番組のラストでプレゼント用の著作本にサインをするとき、ドラえもんのイラストも描いてくれていた。そんなところに、瀬名さんのドラえもんへの愛情が見て取れて嬉しかった。


爆笑問題のススメ」でのことではないが、瀬名さんも映画『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』を観たそうで、「けっこう面白い」と感想を述べていた。「でもこの映画は本当は我々がつくらなければならなかったのでは……」とのコメントもあって、いつか瀬名さんに藤子作品の映画化に携わっていただけたら、と私も思う。
 さらに瀬名さんは、「次は『魔太郎が翔ぶ!』を希望」とまでいっている。『魔太郎がくる!!*1ではなく、わざわざ『魔太郎が翔ぶ』*2の映画化を希望するのは、『…翔ぶ』のほうに何か特別な思い入れでもお持ちだからなのか?

*1:1972〜75年「週刊少年チャンピオン」連載。いじめられっ子の少年・魔太郎が、自分をいじめた相手に復讐をする、いじめられっ子の応援歌的な作品。魔太郎の復讐は、「うらみ念法」なる超常的な力を使ってなされる場合が多いが、ときにはリアルな手段も用いられる。「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」という呪いの言葉は有名。

*2:1981年「ヤングマガジン」に掲載(全2話)。青年に成長した魔太郎が登場する、『魔太郎がくる!!』の続編的作品。残念ながら連載にはならなかった。