「漫画少年」と「ぴっかぴかコミックス」

 伝説の漫画雑誌「漫画少年」。
 戦前、講談社で「少年倶楽部」の編集長をつとめた加藤謙一さんが、戦争に協力する内容の出版物を出したとしてGHQから公職追放を命じられ、講談社での職を失ったことをきっかけに創刊した雑誌が「漫画少年」である。昭和23年1月号から30年10月号まで、全101冊が世に送り出された。
 私が「漫画少年」の存在を知ったのは、藤子不二雄A先生の『まんが道』によってであり、現在この雑誌が伝説的な存在と化している理由も、『まんが道』を読めばよく理解できる。とくに、「漫画少年」の読者投稿欄に漫画を投稿していた当時の少年少女たちが、有名なマンガ家や様々なクリエーターに育っていった事実は、「漫画少年」を伝説的な雑誌へと押し上げた最大の要因だろう。
 当時の投稿少年(少女)の名前を列挙すれば、錚々たる顔ぶれが揃う。寺田ヒロオ藤子・F・不二雄藤子不二雄A、山根赤鬼山根青鬼永田竹丸鈴木伸一石ノ森章太郎赤塚不二夫長谷邦夫楳図かずお棚下照生松本零士水野英子など多数のマンガ家や、筒井康隆平井和正眉村卓といった作家、黒田征太郎横尾忠則のようなイラストレーター、小野耕世清水哲男などの評論家…といった人たちが、自分の投稿した漫画の入選落選に一喜一憂していたのである。
 

 そんな「漫画少年」の創刊号の目次欄に、加藤謙一さんによる創刊の言葉が掲載されている。

漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
漫画少年」は、子供の心を明るく楽しくする本である
漫画少年」には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ。「漫画少年」を読んで清く明るく正しく伸びよ!!

 ここに、「漫画少年」という雑誌の理想が、スローガンのように表現されている。そしてまた「漫画少年」は、そうした理想を具現できた稀有な雑誌であったともいえよう。  
 テラさんこと寺田ヒロオさんは、この「漫画少年」の精神をかたくなに守ろうとしたため、時代とともに激変していく漫画の状況を受け容れることができず、第一線から退くことになってしまった。


 ここで唐突に、いま藤子不二雄ファンのあいだで評判になっている小学館の「ぴっかぴかコミックス」に目を移してみる。『ドラえもん』でも『ポコニャン』でもよいので、単行本の裏表紙見返しを開いてみると、こんな宣伝文句が目に飛び込んでくる。

名作マンガは、子どもの心をぴっかぴかにする

 このフレーズと、「漫画少年」創刊の言葉の冒頭2行を読み比べてみると、かなり似通っていることがわかる。


●「ぴっかぴかコミックス」→「名作マンガは、子どもの心をぴっかぴかにする」
●「漫画少年」→「漫画は子供の心を明るくする」
          「漫画は子供の心を楽しくする」


 これは、たまたま似通っているというよりも、「ぴっかぴかコミックス」のフレーズを考えた人が「漫画少年」創刊の言葉を意識していた可能性が非常に高い、と考えたほうがよいだろう。
 だからといって、「ぴっかぴかコミックス」が「漫画少年」の精神を受け継いでいるというわけではなさそうだが、まあ、私としては、「ぴっかぴかコミックス」が「漫画少年」の足元におよぶくらい藤子ファンの心をぴっかぴかにしてくれることを願いたい。