ジュンク堂書店新宿店で藤子A先生サイン会

 昨日3月5日(土)、ジュンク堂書店新宿店で開催された藤子不二雄A先生サイン会へ行ってきた。このサイン会は、2月19日発売の『用心棒』(嶋中書店)刊行を記念したイベントで、ジュンク堂書店新宿店で『用心棒』を買った人先着150名に前もって整理券が配布された。
 整理券は2月19日から配布されはじめたので、サイン会当日に『用心棒』を買ったところで、すでに整理券がなくなっている可能性が高かった。だからといって愛知県に住む私がわざわざ『用心棒』を買うためだけに新宿へ足を運ぶのもつらすぎるので、2月19日の段階でジュンク堂へ電話して整理券を予約しておき、サイン会当日に受けとる手筈にしておいた。


 3月5日、サイン会当日は、夜行バスで朝6時に新宿に到着。そこで藤子ファン仲間のOさんと合流した。
 三越新宿店7・8階にあるジュンク堂書店が開店するのは午前10時、その7階特設会場で開かれる藤子A先生サイン会の開始は午後3時だったので、とりあえず午前10時のジュンク堂書店開店まで、近くのマクドナルドで時間をつぶすことにした。
 熱烈な藤子ファンであるOさんと藤子話をするうちに、あっというまに4時間がすぎ、気づいてみたら午前10時を15分ほどすぎていた。ジュンク堂へ足を運ぶと、私と同姓で、しかも私と同じ愛知県在住の藤子ファンであるIさんがすでに来ていた。Iさんは、〝藤子イベント会場に一番乗りする男〟として我々のあいだでは有名な人物である。
 私は、レジカウンターで整理券を予約してある旨を伝え、『用心棒』を購入。無事整理券を手に入れることができた。
 サイン会特設会場を見ると、藤子A先生が使うテーブルと椅子が置いてあり、その背後には『用心棒』のラストシーンを拡大した大きなパネルが掲げてあった。


 藤子A先生にサインをしていただける順番は、整理券に記された番号順ではなく、当日列に並んだ先着順と決められていた。
 早めに列に並ぶにしても、サイン会開始の午後3時までにはまだ時間がありすぎたので、昼食をとるため、地下鉄大江戸線を使って豊島区南長崎にある中華食堂「松葉」へ向かった。「松葉」は、多くの藤子ファンには周知のとおり、トキワ荘時代の藤子先生がラーメンを食べるのによく利用していたお店で、藤子A先生作の『まんが道』や『愛…しりそめし頃に…』にたびたび登場している。
 昔ながらの商店街にある庶民的な中華食堂「松葉」だが、店の入口付近には『まんが道』のコピーなどが貼ってあって、普通の中華食堂とは違った顔を見せてくれている。
 私は、普通のラーメン(450円)を食べた。「ンマーイ!」と声を上げたくなるところだが、恥かしいので心のうちにとどめておいた。(「松葉」の様子などは、昨年9月25日の当ブログで書いているので、よろしければ参考にしてください)


 ジュンク堂書店新宿店へ戻ると、午後1時になっていた。それでもサイン会開始までにはまだ2時間もあったわけだが、我々はその時点で列に並ぶことにした。列に並ぶといっても、我々以外にはまだ誰もいなかったので、ただ所定の場所に立っただけだった。
 これで、Iさんが一番、私が二番めにサインをもらえることになった。(Oさんは、これまで何度もサイン会に参加しているということで、今回はサインをもらうのを自ら辞退された)


 午後3時になり、会場に藤子不二雄A先生が登場。つめかけた人々の拍手で迎えられた先生は、にこやかな表情で席についた。昨年のときわ書房でのサイン会では、サイン会の前後に藤子A先生の挨拶が行なわれたが、今回はそういったことはなかった。
 サイン会がスタートすれば、すぐに私に順番が巡ってくるわけで、心の準備もそこそこに、藤子A先生の前に立つことになった。先生は、『用心棒』の目次の右側にある白紙ページに青いペンでサインをしてくださった。私の名前、それから「藤子不二雄A」「2005」と書き、ひととおり書き終えると顔を上げて握手をしてくださった。サインをいただけるのはもちろん嬉しいのだけれど、サイン会の醍醐味はこの握手の瞬間にあるといってもよいくらい、藤子A先生との握手は感激的だ。


 サインをいただいたあとは、サイン会の模様を最後まで見物することにした。会場には、知り合いの藤子ファンやネオ・ユートピアのスタッフが何人も来ていて、そういった方々と会話などしながら和気藹々とすごした。
 藤子スタジオのマネージャーさんが、「NHKの『第三の男』の番組、観てくれた?」と尋ねてこられたので、「もちろん観ました」と返答。私が、この日発売の雑誌「SIGHT」(VOL.23 SPRING2005/特集・究極のマンガ200冊!)に載った藤子A先生のインタビューはいい内容ですね、と言うと、マネージャーさんは同誌51ページに載った藤子A先生特別描き下ろしイラスト『2005年の小池さん』にまつわる裏話を聞かせてくださった。そこに描かれた小池さんは、若き日の貧乏を脱却し裕福になった現在の姿なのだそうである。たしかにその小池さんは、衣服も眼鏡も昔と比べ高価な物を身につけているし、耳にはイヤリングまで施している。口もとには年齢を感じさせる2本の皺が刻まれているが、この皺をどうするかで藤子A先生はずいぶん悩まれた、というお話も伺った。


『2005年の小池さん』は1ページまるごと使って掲載されており、その大きな扱いがファンには嬉しいし、渋谷陽一氏による藤子A先生へのインタビューも、近年の商業誌におけるA先生インタビューでは最高レベルの読み応えになっている。(目新しい話が多いというのではなく、インタビュアーの反応や、掲載されたインタビューの分量、話題の流れ、とりあげられたテーマなどをトータルすると、読みものとしておもしろく感じられた、ということ)


 その後、ネオ・ユートピアのスタッフで藤子A本編集長のMさんから、『文壇バー 君の名は「数寄屋橋」』(園田静香編/財界研究所/2005年2月28日第1版第1刷発行)というハードカバー本に、藤子不二雄A先生の本名である〝安孫子素雄〟名義のイラストが掲載されている、と聞いたので、それを店内で探して購入。さっそく本を開くと、和装の美人女性がマイクをもって歌う姿を描いた藤子A先生のイラストが165ページに載っていた。これは、本書の編者でありクラブ「数寄屋橋」のママである園田静香さんの姿を藤子A先生が描いて園田さんに贈ったものと思われる。


 すべての人にサインを書き終えたところで藤子A先生は立ち上がり、背後に掲げてある『用心棒』のパネルにサインを書いた。そうしてサイン会は終了、藤子A先生の退場となった。
 我々は藤子A先生を見送ろうと、先生が歩いていくほうへ駆け寄った。すると、先生は我々のところで立ち止まってくださり、皆で一緒に記念撮影をしようということになった。私は、藤子A先生の隣という絶好のポジションに立つことができた。記念撮影が終わると、先生のほうから右手を差し出し握手を求めてきてくださった。一日に二度も藤子A先生と握手ができるなんて、なんたる幸福。先生、ありがとうございます!
 藤子A先生の姿が見えなくなって、会場にいた大勢のお客さんがいなくなると、『用心棒』のパネルに書かれた先生のサインを間近で観察。その後、ネオ・ユートピアのスタッフの方にくっついて、喫茶店へおもむいた。


 時系列的には話が戻るが、藤子A先生サイン会の会場で、聾唖者の男性が筆談で私に声をかけてきてくださった。また、藤子スタジオの社長さんが「愛知県出身のファン」といってNさんというスケートボードを抱えた20代前半の男性を紹介してくださった。それらの方と会話していると、「去年のサイン会のとき、あなたがいたのを覚えています」「氷見の忍者ハットリくん列車式典で姿を見かけました」「京都の藤子不二雄A展でも姿を見かけました」などと、私の目撃談がいくつも飛び出して驚いた。私としては特別目立った行動はとっていないつもりだったが、私の体から変なオーラが発散されているのか、知らず知らずのうちにあちこちで姿を目撃され、しかもその姿を目撃者の記憶にしっかりととどめられているようだ。