仮面をかぶった少女・パー子

「もっと!ドラえもん」創刊号の「藤子・F・不二雄厳選!!まんが名作ガイド」『パーマン』の記事中に、「星野スミレは成長していた!」という項目がある。そこに書いてあるのは、ファンの間では自明の事柄ばかりだが、多くの藤子ファンがそうであるように、私は、星野スミレが登場する『ドラえもん』のエピソードに深い思い入れを持ち、星野スミレに言及した記事に遭遇すると、わかりきったことが書いてあっても熱心に読みふけってしまう。
 そんな、星野スミレが登場する『ドラえもん』作品のうちの一つ「オールマイティパス」が、今週金曜日のアニメ『ドラえもん』で放送される。リニューアルされたアニメドラのなかで、星野スミレがどんな声を発しどんな仕草を見せてくれるか非常に楽しみだ。


 私は昨年、某藤子系サークルの会誌に「パー子」をテーマにした文章を投稿し、そこでパー子に対する思い入れ(思い込み!?)の一端を語っている。言うまでもなくパー子の正体は星野スミレなので、パー子について語るということは必然的に星野スミレについて語るということにもなる。
「オールマイティパス」がもうすぐ放送されるこの時期に、パー子(=星野スミレ)について書いたその拙文をこのブログ用に大幅にリライトして発表したい。


●「仮面をかぶった少女・パー子」
 2004年8月下旬に発売されたアスペクトムック「Girlie(ガーリー)」03で、「パーマン大研究 パー子の巻」という特集が組まれた。マニアから見れば決して〝濃い〟とか〝深い〟といった内容ではないが、本来は藤子マンガと関係のない雑誌のわりに読みごたえのある特集を組んでくれたと思う。 
 この特集は、原作マンガのパー子(=パーマン3号=星野スミレ)の紹介・研究・考察を中心に行なっていて、藤子・F・不二雄先生の筆による図版をふんだんに使いながら、パー子の存在意義や内面性、活躍ぶりなどに、ほどよく迫っている。
 この特集を読んで改めて感じたのは、パー子というキャラクターがいかに複雑な内面をもった存在であるか、そして、その複雑な存在であるパー子が『パーマン』という作品にどれだけの深みと広がりを与えているか、ということである。


 パー子は、パーマンのマスクをかぶってパーマン仲間とともに行動しているとき、すなわち〝パーマン3号〟の姿でいるときにこそ一番のびのびとした自分でいられると自覚している。ところが、パーマン仲間に自分の正体を明かすことはできないし、心の中では大好きだと感じているパーマン1号(=須羽みつ夫)に対してなかなか素直になれず、ちょっとしたことで喧嘩に発展することもあったりして、のびのびできるはずのパーマン3号の姿になったらなったで、思うようにいかない窮屈な面もまた少なくないのである。
 パーマン3号のマスクを脱ぎ去ってアイドル・星野スミレに戻れば、大勢の人にちやほやされ、パーマン1号にも熱烈に好意を寄せられるわけだが、それは本当の自分が愛されているのではなく、〝アイドル・星野スミレ〟という虚像が愛されているのだとパー子本人はよく理解している。そのうえ、有名なアイドルであるがために、学校に行っても近所の道を歩いても特別視されてばかりで、彼女の身のまわりには心を親しく通わすことのできる友人がいないようなのだ。
 だから、星野スミレとしてどんなにちやほやされても、彼女の心には常に一抹の寂しさがつきまとってしまうのである。


 そんな事情から、パー子*1という女の子は、パーマン3号でいるときも、アイドル・星野スミレでいるときも、少なからず本当の自分を隠すための仮面をかぶっている存在だといえるし、裏を返せば、素のパー子はパーマン3号のマスクもアイドルの虚像も脱ぎ捨てたところにリアルに存在しているといえるだろう。
 では、パー子はどんなときにすべての仮面・虚像を脱ぎ去ってあるがままの自分を最も素直に表出できるか。それは、彼女がパーマン1号への恋心を見え隠れさせる瞬間ではないだろうか。そのとき彼女は、正義の味方でも人気アイドルでもない普通の女の子としての自分に再接近できるのである。


 パー子の恋心は、『パーマン』の作中で何度かほのめかされてきた。とくに、テレビ朝日でアニメが放映されるのに伴って昭和58年から連載の始まったリバイバル版『パーマン』(以下、新『パーマン』)では、パー子の恋心を描写した話が複数回描かれている。私は、そうした話を読むたび、真にパー子の内面に触れられたような喜びを感じるのだ。
 新『パーマン』の「スミレちゃんサインして!」*2「星野スミレが家へくる!」*3では、星野スミレにサインをもらいそこなったり会いそこなったりして悔しがるパーマン1号に対して、パー子が「く〜だらない」「あ(会)ってもどうってことないわよ あんなの」と星野スミレをけなすような発言をする。パー子は、星野スミレに憧れるよりも目の前の自分を見てほしいと、もう一人の自分である星野スミレに対し嫉妬心を抱くことで、そんな言葉を吐いてしまったのだろう。
 星野スミレという虚像ではなく、あるがままの自分に興味をもってもらいたい。なのに、パーマン1号はいつも星野スミレに夢中。そんな皮肉な状況に対してもどかしさや苛立ちを感じたパー子は、もう一人の自分である星野スミレにすらジェラシーをおぼえることになった。そんなパー子の複雑な心情が、星野スミレをけなす発言となって顕現したのであろう。


「小学四年生」昭和60年7月号で発表された「パー子のすきな人」*4では、もっと具体的にパー子の恋心が描かれる。この話のなかで星野スミレは、ベッドで眠りながら、パー子がパーマン1号に惚れられる夢を見る。その夢のなかでは、パーマン1号が「どうして今まで気づかなかったんだろう。こんなすてきな人が身近にいたなんて!」とパー子に言い寄っているのだ。この夢は、パー子の願望の如実な表れだろう。
 また、この話では、パー子がパーマン1号に好かれようとおしゃれをして出動する場面も描かれている。「日やけしたくないのよね。香水をつけてきたの。1号気がつくかしら。」というパー子の台詞に、けなげな乙女心がにじんでいる。
 

 そのように新『パーマン』でパー子(=星野スミレ)の恋心がほのめかされていくわけだが、それより前に藤子・F・不二雄先生は、彼女の恋心の真実性や永遠性を読者の前ですでに明らかにしていた。
 藤子・F先生がそれを行なったのは、藤子ファンには周知のとおり、当の『パーマン』の作中ではなく、『ドラえもん』という別作品においてだった。その話こそが、藤子ファンの間で絶大な人気を誇る「めだちライトで人気者」*5であったのだ。
 私はこの「めだちライトで人気者」を、てんとう虫コミックスドラえもん』24巻が刊行されたとき初めて読み、大いに感銘を受けた。大人になった星野スミレがずっと待ち続けているという<あの人>の顔写真を見たときは、ハッとした驚きが一瞬あってから、どうしようもなく胸が熱くなって、「藤子先生はなんて素敵で心憎いことをやってくれるんだろう」と、藤子先生へ最大限の敬意を払いたくなった。


「めだちライトで人気者」が初めて発表されたのは、「小学六年生」昭和55年4月号においてだが、『ドラえもん』に星野スミレが登場したのは、これが初めてではない。「小学五年生」昭和52年4月号の「オールマイティパス」*6に、旧『パーマン』で小学生アイドルとして描かれていた星野スミレが、大人の女優に成長した姿で登場しているのだ。
 ただし、この作品では星野スミレの恋心に触れるところまではいかなかった。
 その後星野スミレは、「小学六年生」昭和55年1月号の「影とりブロジェクター」*7に登場し、遠い遠い国にいる好きな人のことをついにドラえもんのび太に打ち明けるのである。
 好きな人のことを打ち明けるのであるが、残念ながらそれが誰であるか読者には秘密にされたままだった。
 そういう段階を踏んでから、いよいよ「めだちライトで人気者」になって、遠い遠い国にいる人が誰なのか読者に明かされることになる。その人の名前や素性を言葉で説明するのではなく、星野スミレが不意に落としたペンダントの写真でその人の顔を読者に伝える演出が素晴らしい。
 ところが、その人が誰なのかちゃんと認識できるのは、『パーマン』を知っている読者だけなのである。『パーマン』を知らなければ、その人が“須羽みつ夫”であることがまるで分からない仕掛けになっているのだ。そんなところに藤子・F先生の遊び心が感じられておもしろい。「めだちライトで人気者」は、『パーマン』を知らない読者でも十分に楽しめる話だが、『パーマン』を知っている人はより深い感動を味わえるというわけだ。


「めだちライトで人気者」は、昭和41年から小学館の学習雑誌や「週刊少年サンデー」などで連載の始まった旧『パーマン』が終了してからおよそ12年後、新『パーマン』(昭和58年〜)がスタートする3年ほど前の昭和55年に発表された。「めだちライトで人気者」を執筆した時点での藤子・F・不二雄先生は、3年後に再び『パーマン』を描くことになろうとは思ってもいなかっただろう。
 新旧『パーマン』と「めだちライトで人気者」が発表された年代を順番に記すと以下のようになる。

●旧『パーマン』昭和41年〜昭和43年
●『ドラえもん』「めだちライトで人気者」昭和55年
●新『パーマン』昭和58年〜昭和61年

「めだちライトで人気者」を読んで大きな感銘をおぼえた、と前述したが、その感銘を経たあと新『パーマン』の連載(とシンエイ動画版のアニメ『パーマン』の放送)が始まったおかげで、複雑な心境にみまわれることになった。
 旧『パーマン』の作中で小学生だった星野スミレが、『ドラえもん』「めだちライトで人気者」などの作中では大人に成長していた。しかも、大人になった彼女は、遠い国へ旅立った<あの人>のことを待ち続けている。それなのに、その後の新『パーマン』スタートによって、大人になったはずの星野スミレと<あの人>が再び小学生の姿で同時代に蘇ってしまったのである。旧『パーマン』から『ドラえもん』へと至る星野スミレのエピソードの時系列が、新『パーマン』のスタートによって損なわれてしまったように私には感じられたのだ。
 しかし、いつまでもそのことにこわだわっていては新『パーマン』を楽しめなくなる。そこで「新『パーマン』は、旧『パーマン』や『ドラえもん』の世界とはやや時間軸のズレた、パラレルワールドのような次元での話なのだ」と勝手に解釈することで、新『パーマン』を好意的に受け容れることにしたのだった。


 新『パーマン』は、前述のとおり、パー子の恋心がほのめかされるエピソードがいくつかあり、当時流行だったラブコメ的な読み方もできたりして、旧『パーマン』とはまた違ったおもしろさを味わえた。私は、新『パーマン』連載当時ちょうど中高生だったので、ラブコメ的な物語に興味を抱きやすかったのだ。
 原作マンガだけでなく、シンエイ動画版アニメ『パーマン』でも、パー子とパーマン1号の関係をテーマにしたエピソードがいくたびも放送された。そのテーマは、テレビシリーズ最終話の「パー子の宝物ってなーんだ?」で一応の決着を見ることになる。シンエイ動画版『パーマン』で描かれたパー子とパーマン1号の関係は、一連のラブストーリーとしてとらえることができるし、そうやって観ていくと、このアニメがよりおもしろくなるだろう。
 マンガの新『パーマン』とシンエイ動画版『パーマン』で〝パー子の恋心〟が重要な要素となりえたのは、「影とりプロジェクター」や「めだちライトで人気者」で星野スミレの想いが描かれたことが踏まえられていたからだろう。『ドラえもん』で描かれた内容が、新『パーマン』にフィードバックされたことになるのだ。


 新『パーマン』が連載されていた当時の私は、〝旧『パーマン』&『ドラえもん』〟と〝新『パーマン』〟をパラレルワールド的な別世界での出来事だと解釈する精神的な必要性を感じていた。だが、どの作品の連載も終わり、これ以上藤子・F先生の手で新作が発表されることがなくなった現在、わざわざそんなややこしい解釈をする必要はなくなった。
 旧『パーマン』と新『パーマン』をまとめて収録した現行の単行本(てんとう虫コミックス、コロコロ文庫)で『パーマン』を読み、そのあとで『ドラえもん』を読めば、新旧両方の『パーマン』の未来譚として、『ドラえもん』の「影とりプロジェクター」や「めだちライトで人気者」を位置づけることができるからだ。
 作品の初出にこだわれば、旧『パーマン』→『ドラえもん』星野スミレ登場エピソード→新『パーマン』となるのだが、現行の単行本で読む限りなら、新旧『パーマン』→『ドラえもん』星野スミレ登場エピソード、という時系列でとらえることで何の問題もなくなるわけだ。

*1:正義の味方でも人気アイドルでもない普通の女の子としてのパー子を示す言葉として、星野スミレの本名とされる〝鈴木伸子〟を用いることもできるだろうが、鈴木伸子という名前は作品本編に出てこないうえ、私自身〝パー子〟という愛称にこそ、彼女の自然体を感じるので、この文章では〝鈴木伸子〟という表現は使わない。

*2:「スミレちゃんサインして!」/「小学三年生」「小学四年生」昭和58年年8月号/てんとう虫コミックスパーマン』5巻などに収録

*3:「星野スミレが家へくる!」/「てれびくん」昭和58年年8月号/てんとう虫コミックスパーマン』5巻などに収録

*4:「パー子のすきな人」/「小学四年生」昭和60年7月号/てんとう虫コミックスパーマン』7巻などに収録

*5:「めだちライトで人気者」/「小学六年生」昭和55年4月号/てんとう虫コミックスドラえもん』24巻などに収録

*6:「オールマイティパス」/「小学五年生」昭和52年4月号/てんとう虫コミックスドラえもん』15巻などに収録

*7:「影とりプロジェクター」/「小学六年生」昭和55年1月号/てんとう虫コミックスドラえもん』19巻などに収録