藤子不二雄マンガに見るヒトラー

 今から60年前の5月8日は、ドイツが連合国に降伏した日である。その対独戦勝60周年の記念式典が、5月9日、モスクワで開かれた。ロシア政府の主催だという。きのう5月10日には、ベルリンで、「殺害されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」の式典も開催されたという。
 現在のドイツでは、自国の降伏について、「ナチスの圧制からの解放」という歴史認識で定着しているそうで、当のドイツにとっても、ドイツ以外の関係国家にとっても、ナチス、そしてヒトラーの敗北は、「よいこと」という価値判断で一致しているようだ。


 私は4月30日の記事で、『ドラえもん』の「どくさいスイッチ」について書いた。この「どくさいスイッチ」の作中に、未来の独裁者の姿が描写される箇所がある。
 原作マンガの「どくさいスイッチ」で描かれた未来の独裁者は、群衆の前で右手を挙げ演壇に立つそのうしろ姿や、それっぽいコスチュ-ムのデザインから、明らかにヒトラーをモデルしたものと考えられる。
 これが4月30日に放送されたアニメになると、未来の独裁者の姿からヒトラーっぽさが失せているのだが、その代わり、歴史上の独裁者らしき人物が3人、シルエットで紹介される中に、ヒトラーを思わせる人物が出てきた。


 ヒトラーは、アウシュヴィッツ絶滅収容所に象徴されるユダヤ人大量虐殺や、生存圏の獲得を名目とした侵略戦争、独裁体制を敷いての恐怖政治など、数々の悪逆非道を働いた人類史上最悪の犯罪者のひとりであると、一般的には考えられている。藤子・F・不二雄先生もまた、ヒトラーを「悪人」であると認識していたにちがいないのだけれど、第二次世界大戦が終わるまでヒトラーは日本の同盟国の元首だったのだから、自ら軍国少年だったと述懐する藤子・F先生も、戦時中の小学生時代に限り、ヒトラーに対してそれなりに好ましい感情を抱いていたのかもしれない。
 それが昭和20年8月の敗戦で、今まで正義だと信じていたものが急に悪だと教えられ、価値観の著しい転換を迫られることになって、ヒトラーへの認識が、自分らに近しい盟友から史上稀に見る大悪人へと180度変化していったのではないか。
 ちなみに、藤子・F先生が軍国少年だったとか、敗戦によって価値観がひっくり返ったとかいう話は、たとえば以下のような本人の発言に見られる。

まあ、ボクらは当時の教育のせいで、首までどっぷり軍国主義につかっていましたからねえ。戦況は日増しに悪くなるしね、ボクら少国民といえど、何とかせにゃあいかん、というわけでね。ボクと安孫子と、もう1人玉野というのがねえ、3人、5年か6年のころだなあ……。ひとつ日本でも新兵器をつくらにゃあ、オレたちがそれを発明しようというわけでね……
アニメージュ増刊「SFコミックス リュウ」Vol.4/昭和55年2月29日発行)

マンガのアイデアは、逆転の発想というか、常識にとらわれないで物事を裏から見てひょいとい思いついたものから生まれます。ぼく自身がそういうものの見方を身につけた背景には、小学六年生のときに終戦を迎え、日本全体があっけなくひっくり返った大きな転換を体験したことがあると思っています。この世に変わらない絶対的なものはないんじゃないかとそのとき感じました。
(「児童心理」平成8年年7月号)


 さて、このヒトラー、今後絶対にこの世に現れるべきでない大犯罪者であるにしても、マンガの主題・材料としては魅力的な面を備えているようで、これまで何人ものマンガ家が自作に何らかの形でヒトラーをとりいれている。私の心に刻まれた作品では、手塚治虫先生の『アドルフに告ぐ』や水木しげるさんの『劇画ヒットラー』などがある。
 われらが藤子不二雄先生も、いくつかの作品でヒトラーを描いているが、F先生とA先生では、A先生のほうがヒトラーを描く度合いが高かった。


 藤子不二雄A先生とヒトラーといえば、真っ先に思い浮かぶ作品が、『ひっとらぁ伯父サン』(「ビッグコミック」昭和44年4月1日号)と、『ひっとらぁ伯父サンの情熱的な日々』(「COM」昭和46年1月号)である*1。この2作は、違う時期に違う雑誌で発表された読切り短編であるが、あとから発表された『ひっとらぁ伯父サンの情熱的な日々』は、『ひっとらぁ伯父サン』の続編的な内容になっていて、両作には確実に連続性が見られる。
 この2作品に登場するヒットラー伯父さんとは、本物のヒトラーそのものではなく、ワーグナーを愛し菜食主義を励行する、外見がヒトラーにそっくりな、ヒトラーかぶれのおじさんだ。そんなヒットラー伯父さんが、どこからともなくどこにでもあるような街へやってきたことで、その街の住人が徐々にひっとらぁ伯父さんのペースに巻き込まれ、そのうちヒットラー伯父さんに支配されていくという話である。
 ヒットラー伯父さんという奇妙な男の闖入によって、平穏な小市民の生活が翻弄され侵されていくブラック・ユーモアとして楽しめるし、ヒトラーの独裁を許しヒトラーの思うように支配されていったドイツなる国家とドイツ人なる国民を、日本のそこらへんにある平凡な街とその住人に置き換えて描いた寓話である、と見ることもできるだろう。さらに、ヒトラーの戯画化であるヒットラー伯父さんの個性的な言動、思考、心理を堪能するキャラクターマンガとして読むこともできそうだ。


 藤子A先生は、ロアルド・ダールやスタンリー・エリンらが書いた奇妙な味の小説に魅了され、そうした味をマンガで描いてみようと一連のブラックユーモア短編を描きはじめた。『ひっとらぁ伯父サン』も、そうしたブラックユーモア短編のひとつで、ひねくれたおもしろさを目指した作品なのだろうが、はっきりとヒトラーを題材にしていることや、この作品が発表されたのが政治運動の時代だったこともあって、当時の青年読者はこの作品から政治的意味を読みとろうとする傾向にあったようだ。評論家の呉智英氏も、過去にそういう読み方をした一人であるらしい。(今は別の見方をしているが)
『ひっとらぁ伯父サン』に政治的な意味付けをして読んでも、それは決して誤読ではないし、そういう読み方を許す内容をもった作品であると思うのだが、政治の時代がすぎ、様々な思想が流行しては消えていった中、『ひっとらぁ伯父サン』が今でも鮮烈でおもしろいのは、この作品が政治とか思想とかいった現実の動きに対して自律性を獲得しており、作品として高い完成度を保持しているからだろう。
 昭和46年に発表された藤子A作品『劇画毛沢東伝』にも、同じようなことが言えると思うのだが、そのへんについては、昨年7月10日の当ブログで書いているので、よろしければ参照していただきたい。
 「『劇画毛沢東伝』を再読」

 ついでに、『劇画毛沢東伝』が出版された当時の反響について、昨年7月12日の記事でとりあげているので、そちらも興味のある方はどうぞ。
 「『劇画毛沢東伝』賛否両論」


『ひっとらぁ伯父サン』のような、独裁者を志向するカリスマ的な人物の出現によって、平和で自由な空間が侵犯され、その空間がしだいにファシズムで覆われていくという物語を、藤子A先生には世界的な規模で描いてほしかった… と、藤子ファンの友人とのあいだで話になったことがあるが、いろいろと意見を交わした結果、卑近な横丁を舞台にしてこうした話を描くからこそ、その恐怖や不安が自分ごとのように真実味を帯びて感じられるのだし、そうした身近な舞台設定を用いているほうが藤子マンガらしいのではないか、というところで話が落ちついた。


■『ひっとらぁ伯父サン』でヒトラーを主たる題材に使った藤子A先生は、すでに初期作品『砂漠の牙』(「漫画少年」昭和29年11月号)で、少しだがヒトラーを描いている。
 この作品のタイトルは、映画『砂漠の鬼将軍』(1951年/アメリカ/ヘンリー・ハサウェイ監督)と、『海の牙』(1946年/フランス/ルネ・クレマン監督)を合わせたもので、とくに『砂漠の鬼将軍』にインスパイアされた内容になっている。
 映画『砂漠の鬼将軍』は、ジェームス・メイソン扮するロンメル元帥が活躍する物語。ロンメル元帥は、「砂漠の狐」の異名をもつナチス・ドイツ軍の名将で、ヒトラーに逆らったことで悲劇的な最期を遂げている。
 藤子A先生は『砂漠の牙』で、ヒトラーのやり方に不信感を抱きはじめたロンメルの心情を描いていて、そこに登場するロンメルの顔は、現実のロンメルではなく、ジェームス・メイソン扮するロンメルをモデルにしている。


■藤子A先生はさらに、『潜水艦シュルケン号の暴動』(「冒険王」昭和37年1月号〜4月号)でもヒトラーを描いており、この作品では、ヨーロッパにおける第二次大戦が終わりに近づいてもなお敗北を認めず国民を戦場にかりたてるヒトラーの有様を見てとることができる。
『潜水艦シュルケン号の暴動』は、昭和30年代後半の少年マンガ誌に連載された藤子A作品にしては異質といえるほど、けれんやはったりや非現実的要素の少ない、リアルムードの戦記マンガで、隠れた秀作といえるだろう。〝隠れた〟といっても、現在刊行中の藤子不二雄Aランドで読める状態にあるのだが。*2


■『パーマン』の原型としてよく引き合いに出される『わが名はXくん』(「幼年クラブ」昭和33年1月号〜3月号/「たのしい四年生」昭和34年10月号〜「たのしい六年生」昭和37年3月号)*3には、テレビのチャンネル権を独占したお父さんに向かって、主人公のXくんが「ひどいや、おとうさんのワンマン! 独裁者! ヒットラー!」と抗議するシーンがある。


ギャグマンガの『オヤジ坊太郎』(「週刊少年キング」昭和50年2月10日号〜51年8月30日号)*4にも、ヒトラーは顔を出している。
 坊太郎のクラスに転校してきたハットリくんという少年が、「人間の最高の目的は権力を握ってほかの人間を動かし服従させることにある」というニーチェの言葉を引用したあと、「大衆は論理的に思考しない! 動物と同じように狂信とヒステリーに駆られて前進する!」と、ヒトラーの著書『わが闘争』のフレーズを持ち出して弁舌をふるっているのだ。
 このハットリくんは、藤子Aキャラの中でもとりわけ有名な「忍者ハットリくん」と名前がかぶるだけでなく、とがりぎみの口や頬の渦巻き模様など顔のデザインもややかぶりぎみだ。しかし、髪型は小池さんのようにもじゃもじゃの天然パーマで、目には二重丸模様の分厚そうなメガネをかけていて、全体の印象は忍者ハットリくんとはずいぶん違う。さらに性格も、やさしくて誠実で古風な忍者ハットリくんと違い、エリート意識が高く衒学的で偏屈なので、忍者ハットリくんと一緒にしたら忍者ハットリくんファンに叱られそうである。


『オヤジ坊太郎』には、「ナチスをたおせ!!」という露骨な話もある。ヒトラーにそっくりなおじさんが登場し、坊太郎の同級生たちがそのおじさんの親衛隊・突撃隊に入隊する、という展開は、前述の『ひっとらぁ伯父サン』とやや似ている。
 この「ナチスをたおせ!!」という話は、現行商品の藤子不二雄Aランド『オヤジ坊太郎』全2巻に収録されておらず、双葉社のパワァコミックス『新オヤジ坊太郎』1巻(全4巻/絶版)で読むことができる。
 パワァコミックス『新オヤジ坊太郎』1巻の表紙には、ヒトラーの扮装をした坊太郎が描かれていて、そういえば坊太郎のちょび髭はヒトラーの髭に似ているなぁ、と思った。

*1:『ひっとらぁ伯父サン』『ひっとらぁ伯父サンの情熱的な日々』は、ChukoコミックLite「ブラックユーモア短篇集 ひっとらぁ伯父サン」(中央公論新社)中公文庫コミック版「ブラックユーモア短篇集」1巻などに収録されている。

*2:『砂漠の牙』と『潜水艦シュルケン号の暴動』は、藤子不二雄Aランド「くまんばち作戦」(ブッキング)などに収録されている。

*3:『わが名はXくん』は、単行本に収録されたことがない。

*4:『オヤジ坊太郎』は、藤子不二雄Aランド「オヤジ坊太郎」全2巻(ブッキング)などに収録されている。