寺山修司がオバQを語る

週刊文春」昭和41年2月21日号(古本)を購入した。この号に「現代の英雄オバケのQ太郎」という記事が載っているのだ。当時のオバQブームの様子を伝える、4頁のモノクロ・グラビア記事で、オバQ人形が玩具工場で大量に生産される模様や、夜の銀座でオバQグッズが路上販売されている場面が、写真で紹介されている。
 記事の最終頁では、「新宿のオバQによく似た名のデパート」が催した豆まきイベントの光景がとりあげられている。白い布をすっぽりかぶった着ぐるみのオバQが4体、ごった返す客の中にまぎれこみ、両手を挙げたり子どもと握手したりしているのが見える。
 この着ぐるみは、本来のオバQより目玉がかなり小さめで下に寄っており、その分おでこが異様に広いため、そのアンバランスな顔からは怪しいニセモノ感が漂っている。当時はこうしたデザインの狂いにツッコミを入れる人がいなかったのだろうか。この程度のものでも充分に水準に達していたと考えるべきか。


 このグラビア記事の中で最も注目すべきは、あの寺山修司が「二流のお化け」という短文を寄稿している点だ。
 寺山修司といえば、劇団「天井桟敷」の主催者で、劇作家・演出家・俳人歌人・詩人・映画監督・競馬評論家・写真家など多彩な肩書きをもつ、マルチ・クリエーターのはしりのような人物だ。本人の弁によれば、「職業、寺山修司」だそうである。
 寺山修司とマンガ、アニメのかかわりで最も有名なのは、『あしたのジョー』でジョーのライバル・力石徹が死んださい、現実に力石の葬儀を開いた一件だろう。アニメ『あしたのジョー』の主題歌の作詞も彼が手がけている。
サザエさん』の著作権者を激怒させたと言われる「サザエさんの性生活」なるエッセイを書いたのも、寺山修司である。
 そんなユニークな人物が『オバケのQ太郎』について何事かを書いている、というだけでも興味深いではないか。



「現代の英雄オバケのQ太郎」という、オバQを仰々しく持ち上げた記事の中で、寺山は自分の文章に「二流のお化け」なる題をつけている。そんなところに、まずは目を引かれた。
 だからといって寺山は、『オバQ』を批判したり貶したりしているわけではない。むしろ、誉める意味で「二流のお化け」と言っているのだ。
 寺山の文章の書き出しはこうである。

オバQは二流のお化けである。
消えることはできるが化けることはできない。
その上、恥かしい話だが大イビキをかく。
歌をうたえば音痴だし、空をとんでも最高時速は四十キロしかないのである。
だが、その二流ぶりが現代人の好みにピッタリと来るのであろう。
(中略)
これはスーパーマンぎらいの現代人、価値に「絶対」を求めない現代人にとって、恰好のアイドルであるかららしい。もっと言葉をきわめて言えば、現代人の大部分はオバQ教の信者なのだ。

 オバQは、絶対的な強さ、絶対的な正しさ、絶対的なカッコよさを誇るスーパーヒーローではなく、ドジで滑稽で親しみやすく、これまでのヒーロー像から程遠い、ヒーローらしからぬヒーローである。それが、この時代の「スーパーマン」や「絶対」を求めぬ民衆の心をつかんだのだと寺山は考えているようだ。
 ここで印象的なのは、寺山が「現代人の大部分はオバQ教の信者なのだ」と表現している点だ。民衆は普通、より絶対的なもの、より完璧なものに寄りかかり、その信者になろうとするはずだが、寺山は、非絶対的で不完全なオバQを、大勢の信者を獲得した宗教に見立てているのである。
 昔から、雲の上にいるような絶対的な存在に憧れ、熱狂し、傾倒してきた民衆が、ある部分では自分らより劣っていそうな身近な存在に憧れ、熱狂し、傾倒した最初の全国的現象として、オバQブームは歴史に刻まれるべきかもしれない。(オバQブーム以前に、それに似た現象があったかもしれないので、「最初の」というのはちょっと言いすぎだろうが)


 寺山はオバQについて、こうも書いている。

バケトロンという洗濯不要の繊維でできたガウンを着て、自分を受け入れてくれない人間社会の改良に努力するQ太郎には、他のお化けには見られない「マジメさ」がある。
その意味ではQ太郎は、日本怪物史上の変り種であり、怪物百科辞典でも特筆すべき存在だということになるだろう。

 お化けのくせに「マジメさ」や「親しみやすさ」を持ったオバQは、それまでの日本の怪物史を塗り替える、きわめて画期的な怪物だったということか。そんなオバQの人間味や身近さを、寺山は好意的に評しているわけだが、逆に、そんなオバQに批判的な意見をぶつける人物もいた。教育評論家の阿部進である。

オバQの功罪は一つずつある。罪の方からいえば「おばけを友だち」にしてしまったことだ。おばけは子どもたちからみて相対する存在であってほしいと思う。それは子どもにとって未知なるものへの恐怖を教えることになるからだ。おばけとは得体の知れない、四次元世界を超越してこの世に存在しているもの、それは恐怖であり、それを解きあかすために文明・科学が発達したと考えるからだ。
(中略)
オバQは外からきて人間の内面にはいりこみ、そして「よき隣人」として人間社会に定着している。楳図かずおの蛇もののそれは、人間の内部に食い入り、人間を蛇化するという、他生物の侵略という形でその恐怖をうったえている。この限りにおいてはボクは楳図のいき方を支持したい。外からよってくるものを無制限に、「みんな友だち、万国博よ、おめでとう!!」といったものにしてはならないと思うからである。外よりきたるものには人間の知恵を結集してうたがってみる、そこから出発してほしいと思う。
虫コミックスオバケのQ太郎」2巻/昭和44年)

 得体の知れぬ恐怖の存在だったお化けを親しい友達へと転化したオバQブームは、こうした否定的な意見が出てくるほど、当時の人々には大きなパラダイムシフトとして受けとられたのだろう。
 寺山修司は、そのような価値転換をもたらしたオバQを、「日本怪物史上の変り種であり、怪物百科辞典でも特筆すべき存在」と位置づけているが、オバQのような親しみやすい友達的怪物は、このときだけの一時的な出現にとどまらず、オバQ以後も、日本のマンガやアニメ、その他のメディアに数多く登場し、人々を楽しませることになる。