大(Oh!)水木しげる展

koikesan2005-06-12

 きのう6月11日(土)、岐阜市歴史博物館で開催中の「大(Oh!)水木しげる展」へ「懐かしの漫劇倶楽部」の仲間4人とともに行ってきた。


 水木しげるといえば、ここでわざわざ説明するまでもなく、『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』などの妖怪マンガで名高い長老マンガ家だ。いま挙げた人気作品のほか、妖怪を扱った怪奇短編や、妖怪のイラスト、妖怪にまつわるエッセイ・発言など、一般的には〝妖怪のマンガ家〟というイメージが強い。私は子どもの頃、水木しげるさんのイラストで構成された怪物図鑑を眺めるが好きだった。それにのめりこむと、自分のすぐかたわらに妖怪がいるのではないか、という不合理な感覚にみまわれた。いま見るとユーモラスでとぼけた印象の水木妖怪たちだが、幼かった私は、それがどこかに実在しているようなリアリティを感じ、もしこんな妖怪に出会ったらどうしようと不安にかられていたのだ。
 水木さんは、代表作と言われる妖怪マンガ以外にも、戦記マンガや風刺マンガ、自伝マンガなどで優れた作品を発表し、80歳を優に超えた現在もなお壮健に活動を続けている。その活動内容は、もっぱらマンガ作品の執筆とは別のもののようだが、水木さんのいつまでも枯れぬエネルギーには感服するしかない。
 そんな水木しげるさんの展覧会を、荒俣宏さんと京極夏彦さんがプロデュースするというのだから、凡庸なものになるわけがない。この2人のプロデューサーは、原画展示に終始した過去の水木展にはない、独創的でおもしろい展覧会を目指したのだ。


 
 岐阜市歴史博物館の入口で受付をすまし、水木キャラのブロンズ像に見守られながら展覧会会場へ足を踏み入れると、等身大の水木しげる人形が我々を出迎えてくれた。そのあまりにリアルな人形の横には、水木しげるさんが客へ贈ったメッセージが掲げてあった。
「会場に入ったら口を開けて見て下さい。口を開けているときは何も考えていないでしょ。無が入ってくるんです。会場を出るとき口を閉じればいい」
 このメッセージにしたがって会場内で口を開けている人がいたらおもしろいと思ったが、一人も見あたらなかった。


 展覧会の始まりは、水木さんの誕生から少年時代までを紹介する「天才児あらわる」というコーナーだ。幾枚ものパネルにまとめられた水木さんの自伝マンガで当時の様子をたどりながら、少年時代の水木さんが描いた才気あふれる絵画や絵本などを見ることができる。水木マンガの優れた画力の源が、ここに息づいているような気がした。


 次のコーナーは、水木さんの価値観・死生観に大きな影響を及ぼしたと思われる、南方での従軍体験をテーマにした「水木二等兵の地獄と天国」である。「地獄」という言葉が決して比喩ではないような過酷な軍隊生活の記録が続くなかで、現地人トライ族との出会いと交流を描いたイラストは大きな救いだった。
 このコーナーは、水木さんがこれまでに発表した戦記マンガの生原稿を多数展示しており、その一枚一枚に見とれながら前へ進んだ。


「嗚呼、極貧生活」では、戦地から復員した水木さんの貧乏時代を概観できる。職業を転々とし、紙芝居作家を経て、いよいよマンガ家・水木しげるが誕生するのである。
 水木さんの資本劇画単行本がずらりと並んでいるのは壮観だった。中には京極夏彦さんの所蔵本も含まれている。デビュー作と言われる『ロケットマン』(1958年)以前に、他作家の描き残しに加筆して完成させた『赤電話』(1957年)という単行本が出ていたのは、今回初めて知った。


 そして1965年、『テレビくん』で講談社児童漫画賞を受賞したのをきっかけに、水木しげるは貧乏生活から脱却し、人気マンガとなっていく。この華やかなりし時代を扱うコーナーのタイトルは「なまけものになりたい」。『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』といったヒット作から、珠玉の短編作品まで数々の原画を展示している。
 このコーナーでは、とくに個性的な展示物がたくさん見られ、プロデューサーの遊び心が最も強くあらわれていた。水木マンガにちらりとしか登場しない小道具を立体化した模型が並ぶ空間は、ディープな水木ファンから一般の老若男女まで、多くの人が楽しめそうだ。〝人魂の天ぷら〟とか〝『中場の屁太郎』の単行本〟といった、ばかばかしくも愉快な虚構物を、実に精巧に実物化している。鬼太郎への依頼事を手紙に書いて妖怪ポストに投函するという参加型の企画もあった。


 2階へ上がると、水木さんがこの展覧会のために描き下ろした、長さ10メートルに及ぶ「人生絵巻」を見られる。幼少期から現在に至る水木さんの人生を絵巻物仕立てで表現した大作だ。


 この日記では少数の展示物に言及したのみだが、図録によると、展示物の総数は900点近くにのぼるようで、とにかく内容の詰まった楽しい展覧会だった。
 この図録(発行:朝日新聞社/価格:2000円)もまた充実した内容で、展示物のすべてを写真で紹介したうえ、「水木しげる詳細年表」や、展覧会に出品されていない作品・資料も載せていて、満足の一冊である。水木しげるさんゆかりの人々の文章も読めて、とくに2人のプロデューサーのものは読み応えがあった。


 この図録のなかで、藤子ファンから見た最高のポイントは、112〜113ページだ。このページは、水木さんが1971年から72年にかけて東京スポーツに連載していた四コママンガを紹介しているが、その四コママンガの一編「タレント議員」なる作品に、水木さんが描いたオバQが登場しているのだ。水木さんが東スポに四コマを連載していたというのも初めて知ったが、水木さんが藤子キャラを描いていたという話も今まで聞いたことがなかった。この水木オバQは、毛が3本の頭といい、分厚い唇といい、たしかにオバQにちがいないのだが、本物のオバQと比べ決定的な違いがある。藤子オバQの単純な手と違い、水木オバQには人間のように指が5本はえているのだ。



 私が好きな水木マンガはいくつかあるが、たとえば、藤子・F・不二雄先生の作品と共通するアイデアを有した短編に大きな興味をおぼえる。ちくま文庫「怪奇館へようこそ」(1995年新装第1刷発行)に所収の『すりかえられた肉体』は、資産家の老人が若者と肉体を取り替え未来を得ようとする話で、これと共通のアイデアを、藤子・F先生の『未来ドロボウ』で見て取ることができる。同じ「怪奇館へようこそ」の中の『帰って来た男』は、予定されていた運命より早く死亡して死後の国へ行った男が再び地上へ戻る権利を主張するというところで、藤子・F先生の『じじぬき』と共通している。さらに同単行本内の『未来をのぞく男』は、テレビ型の装置で自分の未来を見ているから、『ドラえもん』のタイムテレビが出てくる作品を思い出させる。
 そうやって共通のSF的アイデアを基にしながらも、両者の作品から感じる印象はずいぶん違う。もちろん、ストーリーなどの内容も違っている。そんな両者の資質や作劇法の違いを、共通のアイデアから発想された短編を読み比べることでよりクリアに感じ取る、というのもおもしろい読書体験だ。



「大水木しげる展」を見たあと、 岡崎市から来ていた2人が帰宅し、残った3人でMさんの漫画小屋へ向かった。Mさんの漫画小屋については、昨年11月24日のエントリで詳しく書いた。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20041124
 各部屋に並べられたMさんのコレクションを見物していると、「大水木しげる展」に続いて一日に二度、濃い内容の展覧会を味わった気分になる。
 この漫画小屋で、1977年10月31日(月)放送の「11PM」を観た。その回の「11PM」は手塚治虫特集を組んでいて、手塚先生が生出演しているだけでなく、手塚先生に憧れたマンガ家として、藤子両先生も出演しているのだ。藤子先生のほか、赤塚不二夫石森章太郎永島慎二といった大物マンガ家が手塚先生を囲み、それぞれの手塚体験を語っていくという趣向である。
 ここで印象的だったのは、手塚先生以外のマンガ家が皆、詰襟の学生服を着ていることだ。学生服を着ることで手塚先生に初めて会った時代の気分を取り戻そうという番組制作者の意図だろうが、年齢的にとっくに中年に達している大物マンガ家たちが、一様に学生服を着ている光景は、ほほえましくもどこか恥ずかしい空気が漂っていて、学生服を着ているというより着させられているという気配が濃厚だった。


 漫画小屋からの帰りの車中では、とくに好きなアイドルがいないというKさんがこれから応援するにふさわしいアイドルは誰か、という冗談半分の話題で盛り上がった。Mさんが相武紗季の名を出したので、私もそれに同調し、応援すべき有望株のアイドルとして相武紗季をKさんに薦めたのだった。