『ブレーキふまずにアクセルふんじゃった』

 最近の中日新聞より、これといって大きな記事ではないが、私の藤子アンテナにかろうじて引っかかったものを2つとりあげてみる。

6月13日(月)夕刊
「運転中の漫画ダメ」
交差点手前を妙にゆっくり走る乗用車が気になって信号待ちの時に見ると、運転席で若い男がハンドルに乗せた「ドラえもん」の単行本を読んでいました。信号にチラチラと目をやりながら。
次の信号でも、その次の信号でも、止まるたびに漫画モード。事故の巻き添えはごめんだから車を離しましたが、ずっと読んでいたのでしょう。危険なのは運転中の携帯だけではありませんね。(名古屋・主婦・48)

 この若い男性は、車の運転中にどうしても『ドラえもん』を読みたくなるほど、そのおもしろさにハマっていたのだろうか。その気持ちはわからないでもないけれど、やはり運転中に読んではダメだろう。


6月15日(水)夕刊
「駐車場で玉突き 店に無人車突入」
15日午後1時半ごろ、名古屋市千種区井上町のコンビニ「ミニストップ星ヶ丘店」に、駐車場に止めてあった無人のRV車が突っ込み、店のガラス窓などが壊れた。(中略) 千種署の調べでは、駐車場から出ようとした別の乗用車の運転手がアクセルとブレーキを踏み間違え、バックのままRV車に衝突して押し出したらしい。

〝運転手がアクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニの店舗に車が突っ込む〟という事故は、ときどきテレビや新聞で目にするが、そうしたニュースに触れるたび、藤子不二雄A先生のブラックユーモア短編『ブレーキふまずにアクセルふんじゃった』を思い出す。この作品は、車がコンビニに突っ込む話ではないが、ブレーキを踏むべきところでアクセルを踏んでしまうあたりが、報道された事故と一応共通している。


『ブレーキふまずにアクセルふんじゃった』は、「ヤングコミック」1970年3月10日号で発表され、近年刊行された単行本では、中公文庫『ブラックユーモア短篇集』1巻(中央公論社/1995年)、ChukoコミックLite『ブラックユーモア短篇集』2巻(中央公論新社/2002年)などに収録されている。


 不器用でおとなしい青年・鈴木道雄が、免許をとるため自動車教習所に通いはじめる。鈴木道雄の担当教官は、横柄で口の悪い人物だった。当然のように鈴木道雄は、教官に罵倒され、厳しくしごかれる。
 同じ教官に学ぶ青年アゴは要領のいいタイプで、教官におべっかを使い、何を言われてもへらへらとしているので、教官の心証がよかった。だから、とんとん拍子で教習の課程を終えることができた。
 それと比べ、鈴木道雄は、初歩的な失敗を繰り返してばかりで、教官にひどくバカにされ、心に怒りや苛立ちを鬱積させていく。
 そうして、ある日、とんでもない〝事件〟が起きるのだった…


 しかし、その〝事件〟が終わりを迎えると同時に話が完結するのではない。そのあとに続く1ページが、本作の恐怖をさらに深いものにしている。ラスト1ページにおけるある人物の微妙な表情と態度が、直前の〝事件〟をあっさりと他人事に退けているように見え、そこから、〝事件〟から受けた直截的な恐怖とは別の、静謐な恐怖が伝わってくるのだ。


 この作品も、他の優れた藤子Aブラック・ユーモア短編と同様に、藤子Aらしい独自の技法が凝らされていて、ストーリーやアイデアだけでなく、ビジュアル面でも多くの見どころがある。黒い太枠で囲われたコマ、ハイコントラストの写真(コピー)のコラージュ、雲のようにうねうねした影、そういった藤子Aの光と影の視覚世界が作品全体に広がっているのだ。
 とりわけ本作には、輪郭線を省き黒と白の面によって人物を描写したコマが二つあり、その二コマを見比べてみると、教官と〝もう一人の人物〟の位置関係と力関係が逆転しているのが見て取れる。さらに、ここでは具体的に書かないが、〝もう一人の人物〟そのものにもあるひねりが加えられている。私は、この二コマのそうした対照性とひねりに刮目させられた。


 本作の冒頭には、鈴木道雄が、交通事故で子どもを失い精神がおかしくなった女性と遭遇するシーンがあり、それを読むと、この先この話はただならぬ方向へ進んでいくのだろうと予感させられる。
 鈴木道雄が受ける色盲テストの図柄が、赤塚キャラのニャロメであるところや、ボンネット型のダンプカーが登場するところなどは、この作品が描かれた時代を物語っている。私が子どものころには、ボンネット型のダンプカーがよく走っていたので懐かしい。