「好きでたまらニャい」「王かんコレクション」放送

 6月17日(金)、『わさドラ』第10回放送。



●「好きでたまらニャい」

原作データ
初出:「小学四年生」昭和46年2月号
単行本:「てんとう虫コミックス」7巻などに収録

 ドラえもんの恋煩いの話である。近所のメスネコに深く恋をしてしまったドラえもんは、自分の恋愛事となると、てんで弱気で不器用になるのだった。
 ぼんやりしたり、恥ずかしがったり、緊張したり、自信をもったかと思えばすぐに自信を失ったり、被害妄想のあまり自分を破壊しようとしたり、そんなドラえもんの極めて人間味あふれる姿がおもしろおかしく描かれている。
 

 のび太は、ドラえもんが悩んでいると聞いて笑い転げ、その悩みの原因が「好きなネコができた」ことだと知ってさらに吹き出しそうになる。ドラえもんに睨まれて、どうにか笑いをこらえるが、そんな失礼極まりないのび太の態度がまた笑えるのだ。
 先週放送された「ドラえもんだらけ」は、ドタバタギャグの大傑作だが、私が笑える頻度でいえば、この「好きでたまらニャい」のほうが上かもしれない。しかも、初めて読んだ子どもの頃と同様に今も笑えるくらい、おもしろさの鮮度が失せないのだ。
 

 ドラえもんが〝ネコ〟型ロボットであることを強く意識させられる作品でもある。メスネコに惚れるところがまずネコの精神性をもっている証拠だし、悩んで元気をなくしゴロゴロとうずくまる姿勢もネコの生態を思わせる。つるつる頭にボール紙でこさえた耳をつけるシーンも、ネコ型ロボットならではの苦悩がにじみ出ている。


 のび太を留守番させてスネ夫と一緒に遊びに行ってしまうしずちゃんが描かれているのも本作の特徴だ。初期のしずちゃんは、けっこうのび太に冷たいのである。



 そのような魅力的な原作を、今日の『わさドラ』はどんなふうに見せてくれたのか。
 結論から言えば、期待を裏切らない出来だった。率直に言っておもしろかった。
 ドラえもんが食事をしているときの放心した表情は、原作より笑えた。のび太のおかずを無意識にかっぱらっていくところもいい。
 のび太に笑われ、下唇を突き出してムッとするドラえもんや、ドラえもんに「好きなネコができた」と告白され、目尻をタラーンと下げるのび太の表情も楽しい。
 ドラえもんが木槌で自分の頭を殴りつける描写は省略されたが、巨大なヤスリで体をこするところは、よい動きで表現されていた。


 カツオぶしを包装し終えたのび太に「これをあげれば彼女はメロメロさ」と言われ、自分がメロメロになってしまったドラえもんの周囲にピンクの花びらが舞ったり、ドラえもんに「自信を持て!」と熱く語るのび太の背後で炎が燃え上がったり、メスネコに友達になってもらえて幸福にひたるドラえもんの背景にハートマークが出てきたり、といったバックの演出も見逃せない。


 しずかちゃんがのび太に留守番を頼んで一緒に出かける相手が、原作どおりのスネ夫ではなく出木杉だったのは、のび太にとってよりショックな展開だろう。直前までドラえもんに恋のアドバイスをして優位に立っていたのび太が、最後になってドラえもんに逆転されてしまうのだ。
 しずかちゃんの家の屋根でメスネコと共に幸せそうに歌うドラえもんと、それに抗議しつつぐったりとするのび太の対比が、この話を締め括るにふさわしい構図だった。




●「ミニシアター」

初出:「幼稚園」昭和45年2月号
単行本未収録

 原作は、4頁(12コマ)の話。
 今日のアニメで目を引いたのは、「さらさら」「ごしごし」といった擬音が、本当の音と同時に描き文字でも表現されていたことだ。オチで、のび太のつるつる頭が映し出されたときは、声を出して笑ってしまった。のび太がつるつる頭になったのは、〝ろぼっとけしごむ〟に髪をすべて消されたからだが、原作では、髪だけでなく鼻まで消されてしまう。




●「王かんコレクション」

原作データ
初出:「小学六年生」昭和50年10月号
単行本:「てんとう虫コミックス」9巻などに収録

ドラえもん』のひみつ道具の名前は、しゃれ、語呂合わせ、押韻など言葉遊びの宝庫である。この話に出てくる「流行性ネコシャクシビールス」も、機知に富んだ楽しい名前だ。「流行性」と「ビールス」のあいだに、「猫も杓子も」を縮めた「ネコシャクシ」を挿入することで、語呂的にも意味的にも抜群のネーミングになっている。


 原作の冒頭でスネ夫「月に雁」を皆に見せびらかす。私も小学生のころ切手を集めていて、「月に雁」は憧れの切手だった。これと同じサイズの「見返り美人」も同様に憧れだった。「見返り美人」が切手趣味週間を記念した切手の第1号で、「月に雁」が2号だったと思う。
 私が手に入れた、最高額の切手趣味週間シリーズは、「ビードロをふく娘」だった。当時で一枚3000円ほどだったと思う。現在は、当時より切手コレクションが下火になっているのか、どの切手も値打ちが落ちている。本作でドラえもんが「そもそも物のねうちって何だろう。けっきょくみんながほしがるかどうかで、きまるんじゃないか」と説明しているが、まさにそのとおりだ。


 本作は、常識的に見ればゴミでしかない王冠を、「流行性ネコシャクシビールス」の働きで、誰もが集めたがるコレクターズアイテムにしてしまう話だ。そうすることで、たかだか王冠ごときに熱くなり狂奔する人々の滑稽な有様を笑ってしまおうというわけである。
 これを読んで他人事のように笑っている我々も、実は、現実の世界で、本当に値打ちがあるのか分からぬ物や、世の中を支配的に覆う流行・社会現象に熱くなり狂奔しているのだという皮肉にもなっている。


 子どもの頃の私にとって、王冠はゴミではなかった。今は、清涼飲料水というと、缶やペットボトルの容器ばかりだが、当時はガラス瓶が主流だったので、そのフタである王冠は子どもに身近なものだったのだ。コカ・コーラやファンタの王冠の裏面に、スーパーカーのイラストが印刷されていた時代があって、私もそれを一生懸命集めていた。たしか、『スター・ウォーズ』のキャラクターが印刷された王冠が出回ったこともあったと記憶している。また、これはペプシ・コーラのほうだったかもしれないが、王冠の裏をめくると、50円とか100円といった現金が当たる企画もあった。巨人軍の王選手のグッズが当たる企画もあったような気がするが、記憶が定かではない。
 それから、これは全国的なものかどうかわからないが、牛乳瓶のフタを集めてそれでゲームをするのも流行っていた。円形で平べったい牛乳瓶のフタを、自分と相手で一枚ずつ出し合って、二枚とも爪で弾いて裏返しにし、その裏返った二枚に自分の親指と小指が届けば、相手のフタをもらえるというルールだった。



 切手やら王冠やら、私にはノスタルジックな要素に満ちた「王かんコレクション」が、本日『わさドラ』でアニメ化され、いま現在の作品として全国に発信された。


 冒頭でスネ夫が見せびらかす切手が、原作と同じ「月に雁」かと思いきや、「月に鴨」に変わっていた。「月に…」と来て、「鴨」と続いたときは、思わず笑ってしまった。「月に鴨」は、むろん現実にはない切手である。


 ひみつ道具の名称が、原作の「流行性ネコシャクシビールス」から、「流行性ネコシャクシウィルス」にマイナーチェンジされた。原作が描かれた時代は、まだ「ビールス」という言い方が普通だったはずだが、この言い方は当時から専門家によって「好ましい表記ではない」と指摘されており、現在はすっかり「ウイルス」という表記が定着している。
 そのあたりの経緯は、フリー百科事典「ウィキペディア」で解説されている。

Virus はラテン語で「毒」を意味する語である。古代ギリシアヒポクラテスは病気を引き起こす毒という意味でこの言葉を用いている。ウイルスは日本では最初、日本細菌学会によって「病毒」と呼ばれていた。1953年に日本ウイルス学会が設立され、本来のラテン語発音に近い「ウイルス」という表記が採用された。その後、日本医学会がドイツ語発音に由来する「ビールス」を用いたため混乱があったものの、日本ウイルス学会が1965年に日本新聞協会に働きかけたことによって生物学や医学分野、新聞などで正式に用いる際は、ウイルスと表記するよう定められている。


 ドラえもんが「流行性ネコシャクシウィルス」をばらまいたことで、のび太の住む街の界隈で王冠コレクションが流行しはじめる。そして、例によってスネ夫が自分のコレクションを友達に見せびらかすのである。このとき、のび太スネ夫自慢の王冠を手でじかにつかみ、スネ夫が「さわるな!」と激怒するのだが、このあたりのやりとりが、今日のアニメでは実に見応えがあった。
 スネ夫の怒る表情や動きが原作に忠実だったし、その怒りに気圧されてのび太が背中から転倒したあたりのカットがなかなか工夫されていた。倒れたのび太を見おろすスネ夫の視界が、テレビでこのシーンを観ている視聴者の視界と一致したかと思えば、すぐ次に、今度は、倒れた自分の両膝ごしにスネ夫たちを見上げるのび太の視界が視聴者の視界と一致する。そのため、スネ夫のび太の目を通して私自身がそのシーンに立ちあっているような錯覚を覚えるのだ。
 その他の場面でも、たとえば、押入れに顔を潜らせるドラえもんなど、アングルや構図、視点の置き所に見るべき点が多かった。こうした手法は、絵コンテ、演出、作画監督を一手に担当した古屋勝悟さんが得意とするものなのだろうか。


 のび太が、ある友達の王冠を眺めながら、「期間限定で発売されたやつで貴重」「開けるときに力を入れすぎて、曲がっちゃっている」「表面のプリントも少し剥げている」などと、お宝鑑定士のように王冠を品評するくだりがある。これは原作にない部分だが、王冠コレクションが流行しますます過熱化していく作中の状況にリアリティを加味する効果があった。現実のコレクターの世界でも、こうした、一般の人からすればどうでもいいような細部へのこだわりを語る人は多い。
 藤子ファンの知人に極美単行本コレクターがいる。彼は、古本屋で欲しい藤子単行本を見つけ、購入するためレジへ持っていても、その時点で少しでも折れや染みなどが発見されれば即購入をやめてしまうというツワモノだ。そのかわり、彼の審美眼にかなうほどの極美本であれば、極美であるぶん恐ろしく値段が高くなっても嬉々として購入するのである。初版や、オビ、背ヤケ、中割れなどに徹底してこだわる人もいる。こうしたこだわりは、「本は読めればいい」という一般の人から見れば、あきれ果てるほどどうでもいいことだろう。だが、こだわりを持ったコレクターにとっては、何よりも重要なポイントなのである。そういうマニア的な細部へのこだわりが今日のアニメで描かれたのは、作品内の状況に説得力を与える意味で効果的だったと思う。


 最後の場面で、王冠コレクターの中年男性がのび太の家を訪れ、のび太所有の超レア王冠を高額で譲ってほしいと願い出る。ここで、原作に登場しない主婦と若者も加わって、超レア王冠を手に入れるため、3人が熾烈なオークションを繰り広げる。どんどん価格がつりあがっていくさまは、王冠コレクションブームの過熱ぶりを物語っていて、ラストシーンを盛り上げることにも一役買った。



 今日の本編2作とミニシアターは、どれも笑いどころがあって、純粋に楽しい30分だった。