「おかしなおかしなかさ」「まあまあ棒」放送

わさドラ』11回めの放送。



●「おかしなおかしなかさ」

原作データ
初出:「小学一年生」昭和53年1月号
単行本:「てんとう虫コミックス」19巻などに収録

 原作は、「小学一年生」という低学年誌で発表された作品らしい、無邪気な雰囲気の一編だ。
 急に降りだした雨のため、傘を持たないパパを駅へ迎えに行くのび太。そんな場面から始まる原作は、最初から最後まで、のび太ドラえもんのパパに対する親切心が貫かれている。ただし、のび太ドラえもんが親切のつもりでやっていることが、ことごとくパパを困らせる結果となり、最後には親切の押し売りのような有様になってしまう。
 この話を原作のまま放送するにはページ数が足りなさそうなので、今日のアニメでは、原作にない場面や道具が追加されることが予想された。


 冒頭からして、原作にない場面だった。突然雨が降り出し、あわてて洗濯物をとりこむママとドラえもん。駅に着いたパパから傘がなくて困っていると電話があって、洗濯物のとりこみを手伝わなかったのび太がパパを駅へ迎えに行くことになる。「駅まで迎えに行って」とママに言いつけられたのび太ドラえもんに頼ろうとすると、ドラえもんは「ぼくはママのお手伝い。頑張って行ってきてね〜」とちょっと意地悪っぽく言葉を返した。そのときのわさびさんの口調が、なかなか感じを出していてよかった。
 このあたりの追加シーンは、「おかしなおかしなかさ」のプロローグとして、適切なものだったと思う。


 のび太は、駅へ向かう途中で、雨宿りをするしずかちゃんに出会い、パパに渡すつもりだった傘を貸してあげる。さらに、スネ夫を連れたジャイアンに遭遇し、自分がさしている傘を脅し取られる。持っていた傘をすべて失い途方にくれるのび太を、ドラえもんが「人さがしがさ」を使って探し出すと、のび太はすぐさまドラえもんに泣きつく。
 そのようにして、ドラえもんが実用性に欠けるナンセンスな傘を四次元ポケットから次から次へと取り出しパパに貸し与えていく状況ができあがったのである。


 まず最初にパパに貸したのが「おいわいがさ」だ。傘を開くと大量の紙テープがドサッと落ちてきて、パパの体が隠れてしまう。必要以上に大量の紙テープで相手の体を埋め尽くしてしまうところは、『チンプイ』の、ワンダユウがエリちゃんを祝福する場面を思い出す。


「おいわいがさ」の次に、「オルゴールがさ」「きんにくぞうきょうがさ」と続くのは、原作と同じ流れだ。ただし、「きんにくぞうきょうがさ」は、原作では「うでの力を強くする、なまりのかさ」と紹介されている。「なまり」という表現は、いかにも重そうなイメージがあり、個人的にはアニメでも使ってほしかった。


 そのあとに出てくる「あいあいがさ」と「マラソンがさ」のエピソードは、完全にアニメのオリジナルだ。
 あいあいがさは、パパではなく、のび太が使用者になった。あいあいがさをさすと、のび太のそばにかわいい女の子の立体映像が浮かび上がり、ダイヤルをひねれば女の子の数が増え、のび太は、大勢の女の子に囲まれた気分になってデレデレする。その場面を、たまたま駅にやってきたしずかちゃんに目撃され、しずかちゃんから冷たい視線を注がれる。しずかちゃんのまぶたの閉じ加減が絶妙で、おかしかった。
 ここであいあいがさを使ったのはのび太だが、このさいあいあいがさもパパが使用して、徹底してパパがひどい目にあった方が一貫性があったような気もする。でも、パパがあいあいがさを使って大勢の女性に囲まれたら、色っぽいシーンになりすぎてしまうなぁ…


 マラソンがさは、さしている限りどこまでも疲れずに走っていられるという傘だ。ドラえもんが止まり方を教える前に走り出したパパは、自宅の前に来ても止まることができず、ひたすら走り続け、自宅からずいぶん離れた場所へやってきてしまう。ドラえもんのび太に発見されたパパは、店の軒先に、虚ろな目でくたびれたようにしゃがみこんでいて、その哀れっぽい姿が笑いを誘発した。


 そして、「コウモリがさ」の登場である。変な傘はもういらないと言うパパに、ドラえもんのび太は、これは目的地までちゃんと連れて行ってくれるから大丈夫と、なかば強引にコウモリがさを渡すのだった。
 私が子どものころ、両親は傘のことを「コウモリ傘」と呼んでいて、その呼び方に私はどことなく奇異な感覚をおぼえていた。昔から日本にあった和傘と区別して、洋傘のことを「コウモリ傘」と呼んだらしいが、すでにほとんどの日本人が当たり前のように洋傘を使うようになっていた私の子ども時代でも、「コウモリ傘」という呼び方は習慣として残っていたのだ。現在はほとんど聞かなくなったけれど、今でもこの呼び方は健在なのだろうか?
 ドラえもんが出した「コウモリがさ」は、文字通り「コウモリ」の「かさ」で、てっぺんにコウモリの顔が付いており、自力で空を飛ぶことができる。そして、目的地を伝えれば、そこまでちゃんと運んでいってくれるというのだ。
 ところが、パパは目的地である自宅へちゃんと送り届けてもらえるどころか、高い木の上にひとり置き去りにされ、パラシュートの傘で地面に降りる羽目になるのだった。


 最後に、これは普通の傘だからと受け取った傘から大雨が降ってきてパパはずぶ濡れ。温厚なパパもついに怒り出し、ドラえもんのび太を追いかけるのである。
 パパが最後まで出ずっぱりで、大声で叫んだり全身で怒りをあらわしたりするのも楽しかった。




●ミニシアター

原作データ
初出:「小学三年生」昭和55年8月号
単行本未収録(「ぼく、ドラえもん」20号付録に収録)

 原作のサブタイトルは「シューズセット」。読者からアイデアを募集して藤子・F・不二雄先生がマンガ化した、2ページの作品だ。
 当時9歳のYさんが考えたアイデアに対し、藤子・F先生は次のような言葉を贈っている。

身ぢかなもので、こんなゆかいな道具をおもいつくのはすばらしい。一つのくつだけでなく、いろいろなくつがセットになっているところがおもしろい。まんがにしてももっともっと、ふくらますことができます。


●「まあまあ棒」

原作データ
初出:「小学三年生」昭和56年1月号
単行本:「てんとう虫コミックス」23巻などに収録

「まあまあ棒」は、その用途も形状もいたって素朴だけれど、その素朴さが魅力のひみつ道具だ。棒の先っぽに×が付いていて、その×部分を怒り狂う相手の口に押しあて「まあまあ」と言うと、相手が怒りをおさめおとなしくなるのである。この道具の用途と形状、そしてその使い方だけで、この作品はすでに成功をおさめたようなものだ。
 かつて私も、同じような形の道具を作り、怒っている相手の口にあて「まあまあ」と言って回りたい気持ちになったことがあるが、現実にそんなことをすれば相手をさらに怒らせるばかりだろう(笑) その行為は、興奮する馬を「どうどう」と御するのに似たノリがあって、人間に対して行なうのは失礼だ。本作では、そんな失礼な行為を人間に対して繰り返し行なってしまうところがギャグになっている。


 のび太は、襲いかかってくるジャイアンをまあまま棒で静め、続いて、ジャイアンにからまれる友達を救い出す。そんな自分の活躍を見せるため、しずかちゃんを誘い出し、ジャイアンに襲われるスネ夫を助けた。
 まあまあ棒の力を知ったスネ夫は、のび太からそれを奪い、ジャイアンをわざと怒らせてはまあまあ棒で怒りをおさめるという悪戯を繰り返す。
 そうやってのび太スネ夫がさんざんまあまあ棒を使ったことを知ったドラえもんは、驚愕の表情で「あれは単純に怒りを静める道具じゃないんだ。お腹の中にのみこませて、がまんさせる道具なんだぞ」と説明する。
 原作では、腹の中に怒りをためにためたジャイアンの爆発寸前の表情が、強烈な視覚的インパクトになるが、その、プスプスッと音を立て鼻や耳から蒸気を漏らすジャイアンの顔を、アニメでも原作に負けない強烈さで描いていた。爆発寸前のジャイアンが画面に姿をあらわし、のっしのっしと歩くくだりでは、特撮映画で巨大怪獣が登場するときのような音が使われ、この場面の緊迫感とギャグ度の両方を高めていた。
 最後のジャイアンの大爆発も、非常にオーバーに表現され、ここでも迫力と笑いが増強された。
 スネ夫のとどめの一言「ジャイアンの音痴ゴリラ」によって、今まさに爆発を起こそうというジャイアンの、いったん青ざめてから真っ赤になっていく表情、そして、そのとき涙をこぼしておののくドラえもんのび太の顔は、この話の中で最高に笑える描写だった。
 ジャイアンの爆発に巻き込まれたスネ夫の変わり果てた姿も「よくぞやってくれました!」という感じだ。


 ジャイアンの大爆発をボカンと描いて、あとは何のツッコミも入れずそのまま話を終わらせても、ナンセンス性が高くておもしろいオチになると思うのだが、原作では、爆発後のジャイアンスネ夫の姿を見ながらドラえもんが「あのすさまじいエネルギーを、なんとか平和に利用できないものだろうか……?」と言葉を加え、ちょっと風刺のきいた終わり方になっている。空き地の一画で起きた、一個人のばかばかしい爆発のエネルギーを、〝平和利用〟と結びつけて語るそのギャップが最後の笑いとなって話を締めくくるのだ。
 アニメでも、ドラえもんは最後に原作と同じ台詞を言うが、こちらは爆発の様子が大げさに描かれた分、ドラえもんのその台詞に妙な説得力が感じられた。