藤子不二雄A『マボロシ変太夫』

 当ブログ、7月12日の記事で、藤子不二雄Aランド完結を機にこのレーベルで読める各作品を紹介していきたい、というようなことを書いた。今日は、その第1弾として『マボロシ太夫』をとりあげたい。

マボロシ太夫』の初出と単行本は以下のとおり。

初出:「週刊少年キング」昭和46年32号〜昭和47年12号連載
単行本:「スターコミックス」全2巻(昭和56年/大都社
    「藤子不二雄ランド」全2巻(平成元年/中央公論社
    「藤子不二雄Aランド」全2巻(平成16年/ブッキング)

マボロシ太夫』は、ひとことで言えば少年向けナンセンスギャグマンガだ。その独特のハチャメチャ感やシュールさ、奇妙なテイストから、そこそこ読者を選ぶ作品だと思う。「週刊少年キング」連載時も、大きな人気は獲得できなかったようだ。とくに連載終盤は、人気を得るためのテコ入れか、藤子A先生が飽きてしまわれたのか、連載当初の設定を放棄して変太夫が一人旅をするシリーズに変貌し、作品のパワーはトーンダウンしていった。
 連載当時、カネボウハリスから「マボロシ太夫ガム」という品が発売された事実があり、大きな人気を期待されていた作品だったこともうかがえる。


 読者を選ぶ作品、と書いたが、いったん変太夫ワールドにハマってしまった者は、その独特のムードや珍妙なキャラクターの数々、迷走ぎみの連載の展開などが病みつきになり、変太夫と一緒に変な世界で遊ぶ快楽にひたれるようになる。ユルい中毒性を有したギャグマンガなのだ。


マボロシ太夫』は、パパの運転する車で家族旅行に出かけた雲野一家4人が、道に迷ったあげく奇妙な町に入り込むところから話がはじまる。その町は「マボロ市」という。そこでは、雲野一家の常識や価値観がまるで通用しない。
 雲野一家がマボロ市で最初に親しくなったのが、変太夫という少年だ。口が異様に大きく、常に鼻水をたらし、目の下が隈のように黒ずんだ不思議な少年である。その大きな口は、強力掃除機のごとく周囲の物を何でも吸い込むことができるし、彼がいつも常備しているマボロシパラソルを使うと、行きたいところへ瞬時に移動できる。
 変太夫以外にも、妙なキャラクターがあれこれ登場する。変太夫のペット「トリ犬」は、耳を翼代わりにして空を飛ぶダックスフンド風の小型犬だ。変太夫は、トリ犬のオシッコをシャワー代わりにしている。
 アフロヘアで怪物的な風貌の前衛画家「ジャーニー氏」や、全身毛むくじゃらでガリ勉メガネをかけた天才的生き物「ケダラケ」なども、『マボロシ太夫』の変な世界をより変な方向へと彩っている、愛すべき?キャラたちだ。



 昨年(平成16年)4月24日(土)から5月9日(日)にかけて京都の美術館「えき」KYOTOで「まんが道 藤子不二雄A展」が開催されたさい、それを記念して、初日の4月24日に藤子A先生と漫才師の中川家によるトークショー「笑い道 まんが道」が催された。
 その中で藤子A先生は、自分ではイケると思って連載をはじめたのにあまりうまくいかなかった(=人気が出なかった)作品として、この『マボロシ太夫』を挙げておられた。私は、藤子A先生の口から『マボロシ太夫』という作品名が出ただけで、ウキウキした気分に包まれ、この作品に初めて出会ったときのことを懐かしく思い出した。
 たしか中学2年生(今から20年以上前)だったと思う。当時大都社から出ていたスターコミックス『マボロシ太夫』全2巻を探し求め、私の住む愛知県春日井市内の書店をかたっぱしから自転車で巡回したことがあった。ところが、どの書店でもさっぱり見あたらない。仕方なく隣の名古屋市まで自転車を走らせて、ようやく、ある個人書店の棚で『マボロシ太夫』を見つけられた。そのときの感激と達成感は、今でも忘れらない。
 そして、ホクホクとした気分で自宅へ帰り、さっそく『マボロシ太夫』をひととおり読んでみたときに受けた心の衝撃は、さらに忘れられない。


 『マボロシ太夫』という作品は、単行本を探し求めて数々の書店を巡回したときの情熱や、その本をようやく探しあてたときの達成感など、いっぺんに粉砕してしまうほど奇怪な脱力感に満ちていたのだ。その脱力感があまりにも強力だったため、この作品がおもしろかったのかおもしろくなかったのかすら、まるで判断できなくなった。
 その日以降、何度となく『マボロシ太夫』を読み返すうちに、その、読者を判断不能に陥らせる奇妙な脱力感こそが『マボロシ太夫』の際立った個性であり魅力なのだと感じるようになった。そしてそう感じるようになってから、この作品を読み返し玩味することが、一種の快楽へと進展し、読めば読むほど『マボロシ太夫』の世界に溺れていったのである。


 
マボロシ太夫』を繰り返し読むうちに、私は、この奇妙な作品を統合するイメージとして、どことなく、「雲」を想起するようになった。
 現実の雲は、我々が地上から見上げる限りでは、綿菓子のような固体のようにも、不定形の気体のようにも感じられ、その実体はといえば、微細な水滴または氷晶の集まりが空中に浮いている現象である。雲には、そんな、実体があるようなないような、曖昧で不思議なイメージがある。
 そうした雲のイメージが、『マボロシ太夫』のフワフワとしてつかみどころのない作風と、私の中で重なり合うようになったのだ。そして、そのイメージの重なりをさらに補強してくれたのが、作中にちりばめられた具体的な「雲」の絵や文字であった。
 たとえば、第1話が雲だけのコマからはじまっていること、マボロ市に迷い込む一家の姓が「雲野」であること、雲野一家の長男がワクオでその妹がウカブという名であること、トビラページに雲の絵が描かれた回がいくつもあること、マボロ市の周辺を雲らしきものが取り囲んでいること…。そんな諸要素が、作品全体から漂う漠とした「雲」のイメージを、目に見える具体的なかたちで補強してくれるのだ。
 そうしたことから、『マボロシ太夫』は「雲」を象徴として全体を統合したマンガである、と言えなくもなさそうだ。だが、そうやって単純に言いきってしまうと、その瞬間、この作品は「雲」のイメージにおさまりきらない次元へと逸脱していくような気もする。それほど、『マボロシ太夫』はつかみどころのない妙なマンガなのである。


 そういったつかみどころのない作品を読むという行為は、それこそ、幻想的な雲の只中を遊泳するような不可思議な体験となる。私はかつて、『マボロシ太夫』の世界にどっぷりとつかりきることで、自分の脳がクラゲのように軟化して海中をプカプカ浮遊しているような、妙に弛緩した夢うつつの感覚にみまわれたことがある。それは異様な体験であった。とともに、精神の緊張を解きほぐしてくれる、好ましい癒しの体験でもあった。
 ところがこの作品は、雲のようだといっても、ただ白く清潔でふんわりとした雲ではなく、シュールやサイケデリックといった異端的なイメージが混ざりこんだ雲なので、単に心地よく癒されているだけでは済まされない。そのうえメインキャラクターの変太夫が、常に鼻水をたらしていたり、愛犬のオシッコをシャワーに使ったり、といった下品な描写に出くわすことも手伝って、ますます癒し系のイメージから遠ざかっていくのである。
マボロシ太夫』は、脱力感漂うユルユルしたムードの中に、シュールな刺激や下品な描写をキツイ香辛料のごとく加味することで、癒しと毒気が混在した世界を現出させたギャグマンガなのである。


マボロシ太夫』の風変わりなテイストや下品な描写は、3年近くのインターバルをおいて藤子A先生が同じ「週刊少年キング」で連載したギャグマンガ『オヤジ坊太郎』*1に受け継がれ、『オヤジ坊太郎』の奔放で陽気な作風に乗せられながら、ある程度の通俗性や大衆性を獲得していった、と私は解釈している。
 ついでに言うなら、この『オヤジ坊太郎』は、『黒ベエ』『狂人軍』『仮面太郎』『マボロシ太夫』といった、藤子A先生の奇妙で先鋭的でひねくれた少年向けギャグマンガの系譜における最終地点の作品であった、とも思う。
 藤子A先生は、昭和40年代中頃から50年代の初めまで、こうしたアクのある強烈なギャグマンガをよく描いていた。そのことについてA先生は、平成5年頃のインタビューで「あの頃はあのようなものが面白かったんじゃないの。多少赤塚くんを意識したところもあると思うし。赤塚チックなものも描いてみようか、なんて思ったのかもしれない」と回想している。
マボロシ太夫』が連載されていた時期には、赤塚不二夫氏や谷岡ヤスジ氏といったギャグマンガ家が最先端で活躍しており、藤子A先生はそうしたギャグマンガ家の作品を多少なりとも意識しながら、ほどほどに対抗心を抱いていたのだろう。


『オヤジ坊太郎』と赤塚不二夫氏の名前が出たところで唐突ながら思い出したのが、「週刊少年キング」昭和50年15号の、結構インパクトのある表紙絵である。
『オヤジ坊太郎』の主人公・坊太郎が、山口百恵さんとおぼしきアイドルのスカートをめくろうといたずらしている絵(藤子A先生画)が表紙を飾っている。そのアイドルが、まくれ上がる自分のスカートを押さえて「きゃあハレンチギャグ大進撃!ヨ」と悲鳴をあげている横に、「藤子不二雄」「赤塚不二夫」という文字が目立つように並んで掲載されているのだ。
 ドラえもんブーム以降のパブリック・イメージでは信じられないことだが、当時の「藤子不二雄」は、「ハレンチギャグ」を描くマンガ家として、赤塚氏と並べてとりあげられるような存在でもあったわけだ。


 藤子A先生がそういう強烈な作品をある時期から発表しなくなったことに関しては、A先生自身の「年のせいかな。あんまりアクの強いのが好きじゃなくなった」という発言が参考になるだろう。 たとえば、平成の時代になって連載された、比較的新しい藤子A児童マンガである『パラソルヘンべえ*2は、『マボロシ太夫』を原型にして案出された作品であるにもかかわらず、『マボロシ太夫』が含有していた狂気や下品さやアクの強さがおおむね抜きとられ、健全でかわいらしい雰囲気のマンガに仕上がっている。そこには、藤子A先生の「年のせい」ということのほかに、お堅いNHKでテレビアニメ化されるという事情も影響していたと思われる。
マボロシ太夫』は、普通の世界に住む普通の家族が異世界に迷い込むところから話がスタートするが、『パラソルヘンべえ』は、異世界の住人が普通の世界にやってきて普通の家庭に住みつくという『オバQ』『ドラえもん』パターンの設定になっており、その点も、両作品のくっきりとした対照性である。
 ちなみに、『パラソルヘンべえ』は藤子A先生のお母様がとくに気に入っていた藤子A作品で、NHKのアニメを毎回楽しみに観ておられたそうだ。富山県氷見市にあるお母様のお墓の墓石には、ヘンべえの姿がさりげなく刻まれている。


パラソルヘンべえ』の原型となった『マボロシ太夫』であるが、『マボロシ太夫』自体は、ブラック短編『不思議町怪奇通り』*3の構造を継承した作品である。自動車を運転する作中人物が霧のような視界不良の風景を通過して常識の通じない異世界に迷い込む、というところが一致しているのだ。



藤子不二雄AランドVOL.077「マボロシ太夫」1巻
http://www.fukkan.com/a-land/index.php3?mode=99&i_no=4091392
藤子不二雄AランドVOL.079「マボロシ太夫」2巻
http://www.fukkan.com/a-land/index.php3?mode=99&i_no=4091393



(今日の文章は、以前「月刊ぽけっと」に発表した原稿に大幅に手を加えたものです)

*1:『オヤジ坊太郎』 初出:「週刊少年キング」昭和50年2月10日号〜昭和51年8月30日号連載

*2:パラソルヘンべえ』 初出:「ヒーローマガジン」平成元年10月号〜平成3年1月号連載

*3:『不思議町怪奇通り』 初出:「別冊少年マガジン」昭和44年8月号読切