富山旅行1日め「ドラえもん学特別講義」(9月3日)


 ドラえもんの誕生日になるかならないかという9月3日午前0時ごろ、JR春日井駅で藤子ファン仲間のN氏・H氏と落ち合い、私の車で名古屋市内へ移動。そこでおおはた氏と合流し、その4人でドラえもん学特別講義が開催される富山大学へ向かった。深夜の高速道路を走っているあいだ、車内は藤子トークで盛り上がり、夜が明けるまで語り合った。空が明るくなってようやくサービスエリアで1時間ばかり仮眠をとり、富山インターチェンジから富山市内へ降りた。
 富山大学での集合時間は昼0時45分、ドラえもん学特別講義の開始は午後1時半の予定だったが、我々が富山市に着いたのは朝7時ごろ。集合時間まで膨大に時間があったので、早朝から営業しているファミリーレストランに入り、藤子トークで時間を潰した。途中、北海道から参加したK氏を富山駅へ迎えに行き、再びファミレスですごした。北海道のK氏は十代の頃からの友人だが、実際に会うのはこれが2度め。手紙やネットで深く熱く親しくつきあってきた友人なので、実際に対面すると特別な感懐がわきおこってくる。


 昼0時をすぎて富山大学へ向かう。正門から大学の構内に入り、どこへ向かえばよいかわからぬまま適当に車を走らせていたら、横山泰行教授らしき人物が構内を歩いているのを発見。「あの人、横山教授じゃない?」「そう見えるけど、どうかなぁ」などと車中で盛り上がった。結局その人物が横山教授だった。


 横山教授の案内で車を駐車場に停め、教育学部第三教棟に入った。横山教授は、早めに訪れた我々を教室ではなく控え室に誘導し、その時点で集まっていた10人ほどに対して、現在体調が悪いこと、1人で休みなく『ドラえもん』研究に打ち込んでいること、ホームページの更新がたいへんなこと、来年度で富山大学を退官することなどを語った。
 初めてお会いした横山教授は、穏和でまじめそうな印象で、大学教授らしいといえば、まさにそのとおりの人物だったが、気難しいところはなく、気さくに接してくれるタイプだった。


 集合時間になり、全国から続々と藤子ファンが集まってきた。すでに何度も会って親しくしている人から、名前だけは知っていて初対面の人、完全に初めて会う人など、様々だった。ネット上で活躍している藤子ファンとしては、前述のよね氏(藤子不二雄atRANDOM)、おおはた氏(ドラちゃんのおへや)のほか、河井質店氏(藤子・F・不二雄FAN CULB)、荒田氏(ドラえもんメーリングリスト)らが参加。最大の藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」のスタッフや、「早稲田大学藤子不二雄研究会」のメンバーの顔もあった。


 今回の富山ツアーの1日め2日めを仕切る夢たかおか実行委員会の方や、3日めにお世話になる氷見のブリンス会の方、そして、藤子・F・不二雄先生のご親類であるH氏も出席した。高岡に住んでいた頃の藤子・F先生をよく知るH氏は、当ツアーに3日とも参加し、興味深く貴重な話をたっぷりと聞かせてくださった。そのことについては後述したいと思う。


 横山教授のドラえもん学特別講義は、教育学部第三教棟第十番教室で開講された。その教室の風景は、私の小中学校時代を思い出させる懐かしさがあふれていた。空調設備は整っておらず、そこに並ぶ机はまさに小中学校で使っていたような、教科書を入れる空間とカバンをかけるフックのある4本脚のアレだった。私は、前から2番めの真ん中あたりの席についた。



ドラえもん学特別講義の内容を要約してレポートしよう。

富山大学の授業に単位認定を目的としないゼミ形式の科目があり、それを「コロキアム」と呼んでいる。私(横山教授)は、このコロキアムの枠内で1999年から「ドラえもんの世界」という授業を開講。それが「ドラえもん学」のスタートだった。
ドラえもんの世界」の授業は学生に人気がない。学生が聴きたいことと実際に私がやっていることの差が大きいからだろう。


藤子・F・不二雄先生の人生に関して、安孫子先生と出会って以後の記録は多く残されているが、それ以前はほとんどわかっていない。子ども時代のF先生がどんな人物で、どんな生活を送っていたかを究明することが、『ドラえもん』という作品を読み解くうえで必要だと思う。


・『ドラえもん』が連載された時代の日本は、歴史上最も繁栄しており、その時代は〝マンガの世紀〟でもあった。そんなマンガの世紀の頂点といえるのが『ドラえもん』である。
2112年9月3日のドラえもんの誕生日まで、『ドラえもん』が世界の人に読み継がれ、語り継がれてていってほしいと思っている。しかし、アニメやグッズなどでドラえもんを知っている人はいても、『ドラえもん』のマンガを読んでいる人は極めて少なくなっている。講演会で5000人の聴講者に、てんとう虫コミックスドラえもん』全45巻と『大長編ドラえもん』全17巻を読んだことがあるか尋ねたら、あると答えたのは1人だけだった。
富山と金沢で大学紹介の摸擬授業を行なったときは、80人の生徒すべてが『ドラえもん』を読んだことがなかった。
ドラえもん』のような優れた作品でも、時代につれて人々の視野から消えていく可能性が高い。私は、『ドラえもん』を古典にしたい。多くの人に『ドラえもん』のマンガを読んでもらいたくて『ドラえもん』研究にとりくんでいる。


国会図書館などで『ドラえもん』の初出を全部集めようとしたが、どうしても手に入らなかった別冊付録2冊を、「なんでも鑑定団」に」出演して1冊3万円という破格の高値で購入した。
こうした別冊付録に未確認の作品が眠っている可能性があるが、書誌学において完璧を狙うのは、必ずしも学問上の得策ではない。


・『ドラえもん』の全体像を理解するため、藤子・F先生が描いた『ドラえもん誕生』と、アニメコミックスの『2112年ドラえもん誕生』も、『ドラえもん』作品に含んでいる。(koikesan注 ファンのあいだでは、『2112年ドラえもん誕生』を、藤子・F先生が描いた『ドラえもん』作品としてカウントすることに違和感をおぼえる向きが強い)


ひみつ道具の定義は難しい。全部で1963個以上は存在しないだろう。1963個と数えたときは、セット物の道具をバラバラに勘定したが、その後セット物を1個と考えて数え直したら1705個になった。現段階でひみつ道具の個数は1705個としている。最終的な個数はまだ言えない。
ひみつ道具は、『ドラえもん』がマンガの頂点になった原動力だと思う。


・長い時間をかけてデータベースを作成をしている。『ドラえもん』全1345話の文字情報を蓄積し、現在およそ16万行に達している。このデータベースを電子図書化したいが、著作権の問題で難しい。
私のデータベースを利用したいという人や企業も出てきている。某社は、介護用ロボット開発にあたり、人が困難に陥ったときどういう言葉を用いるか調べるため、このデータベースを利用したいと言ってきた。


・現在の出版事情は厳しい。私の『ドラえもん』に関する著作は1ヶ月で書かねばならなかった。PHP新書ドラえもん学」は、もともと「ぼくらのドラえもん」というテーマで書いたが、編集者によって「ドラえもん学」というタイトルをつけられた。「学」と言いながら「学」にふさわしくない内容ということでネット上で批判されたが、私も「学」というタイトルにされて驚いた。ライフワークなので、もっと時間をかけて書きたいが、思うように本を書かせてもらえないし、思ったほど売れない。


・マンガは文字と絵の集合体なのだが、著作権の問題で図版を使えない。


・私は年齢も年齢だし、マンガ論をやるほどの力もないので、『ドラえもん学』の基礎となることをやっていきたい。


・来年度には大学を退官するが、それまでに大長編ドラ17巻を富山県内の小学校や児童館、公民館などに寄贈したい。

 横山教授の講義を聴いたあと、マスコミでも報道された「ドラえもん文庫」を見学。「ドラえもん文庫」は、第十番教室のすぐ近くにある。
 藤子・F・不二雄先生が描いた『ドラえもん』全話のコピーが分類・製本され、本棚に並べてある。『ドラえもん』の単行本や関連書籍もあった。
 ドラえもんのカットが使われた英語や社会の教科書なども閲覧した。てんとう虫コミックスの初版本は、盗難にあうと困るので別の場所に保管してあるそうだ。


 第十番教室へ戻り、質疑応答の時間となった。まず横山教授から藤子ファンへの質問、そして、ファンから横山教授への質問、という形式で行なわれた。
 今回の集まったファンの多くは、20年30年前から『ドラえもん』を愛好している筋金入りの面々なので、6年ほど前から『ドラえもん』研究をはじめたの横山教授が知らないことを膨大に知っている。そういう濃いファンから意見や知識を得ようという横山教授の姿勢には好感がもてた。
 ファンからの質問・意見は、横山教授の研究に共鳴するものもあったが、どちらかといえば横山教授に対して辛辣な内容が多かった。そんな辛辣な意見を要約して紹介したい。

・『ドラえもん』以外の藤子作品を読まないのでは、『ドラえもん』を理解することが十分にできないのではないか。藤子・F・不二雄というマンガ家について正しく論じることもできないはずだ。


・横山教授は『ドラえもん』の魅力を多くの人に伝えたいとおっしゃったが、教授が現在やっているようなことで多くの人に『ドラえもん』の魅力を伝えられるとは思えない。

 横山教授は、ファンの厳しい言葉に対して感情的になることなく、穏やかに、しかし熱意をこめて自分の考えを述べた。横山教授とファンがこうして忌憚なく意見をやりとりすることで、質疑応答の時間が血の通ったものになったと思う。濃いファンの知識や意見は教授の参考になっただろうし、ファンの中にも横山教授の研究や考えに触発された人があった。
 質疑応答の最中は教室内にピリピリした空気が流れ、横山教授との交渉役だったよね氏は、「いつか横山教授が怒り出すんじゃないか、と気が気ではなかった」と、このときの気持ちを振り返っていた。


 プレスリリースを発行した甲斐があって、富山新聞北日本新聞、毎日新聞といった新聞社と、北日本放送が取材にきてくれた。北日本放送は、当日のニュースで映像を流し、各新聞社は翌日の朝刊に記事を掲載してくれた。
 北日本新聞に載った講義風景の写真に私の姿が写りこんでいたので、個人的にもよい記念になった。





 およそ4時間にわたるドラえもん学特別講義が終了し、全員が車で高岡市に移動。高岡駅前のサッポロビアレストラン・デュオドラえもんの誕生日を記念するパーティーが開催された。
 このパーティーは、ドラえもんの誕生日を祝福するとともに、当ツアーの発案者であり当日が誕生日のドラえもんファン・Sさんの誕生日をお祝いするものである。と同時に、横山教授へ感謝の気持ちを捧げ、「ドラえもん学コロキアム」開設6周年をお祝いする目的も持っていた。
 パーティー会場には、大きな花輪や、ドラえもんの石像、130個のドラえもんドラ焼きなどが飾られ、ムードを高めていた。
 パーティー中に行なわれた主なことを、簡単に書き出してみたい。

・Sさんを祝福するためハッピーバースデーの歌を皆で歌った。
・当ツアーの協力者にドラえもんの石像と感謝状を贈呈。
・用があって会場に来られなかったドラえもんから届いた電報を朗読。
ドラえもん型バースデーケーキの披露。
・横山教授のあいさつ
「今年は、NHKのラジオ番組で大山のぶ代さんと対談し、こうして全国のドラえもんファンの皆さんとお会いできました。今までの人生の集大成のような年になりました」
・Sさんのあいさつ
「こんなに素晴らしい誕生日は初めてです」

 パーティー中は、自由な歓談の時間になるたびに、横山教授や藤子・F先生のご親類Hさんを皆が取り囲み、熱心にお二人の話を聴いていた。
 Hさんは、藤子・F先生が高岡時代に通った映画館や、F先生のお父さんの職歴に関する資料を全員に配布してくださった。トキワ荘時代の藤子・F先生がHさんに宛てた手紙や、若かりし頃の藤子・F先生の写真も見せてくださった。これらの資料は皆、メディアでは未公開のものである。


 パーティーが終わってからは、10数人のメンバーで高岡駅近くのショットバーに移動。この店は、我々が藤子不二雄にまつわるオリジナルカクテル名を考案して告げると、その名に合ったカクテルを創作してくれる。数年前に訪れたさい、私は「ジャイアンシチュー」を注文。すると、生卵黄入りの濃厚なカクテルができあがってきた。今回は飲みやすいものを期待して「しずちゃんピンク」を注文。期待どおり、ピンク色の飲み心地のよいカクテルを作ってもらえた。同行した仲間の中には、「黒ィせぇるすまん」「黒ベエ」「クルパーでんぱ」「ジャイ子レインボー」など、危険な香りのするカクテル名を告げるチャレンジャーが何人かいた。



 9月4日と5日のレポートは明日発表する予定。