富山旅行2日め「『まんが道』ゆかりの地ツアー」(9月4日)

 9月4日朝、富山ツアー一行が宿泊した北陸健康センター・アラピアから、数台の車で高岡駅近辺のコインパーキングへ移動。そこに車を置き、皆で高岡大仏へ歩いた。高岡大仏から「『まんが道』ゆかりのツアー」がスタートするのだ。



「『まんが道』ゆかりのツアー」は、夢たかおか実行委員会の方のガイドで、藤子不二雄A先生と藤子・F・不二雄先生にゆかりのある場所を歩いてまわるという企画。この日も昨日に続き藤子・F先生のご親類であるH氏が参加したので、H氏だからこそ知っている細かい情報を教えてもらいながらの道程となった。
 高岡の藤子両先生ゆかりの地にはこれまでに数度訪れたことがあるが、今回は、夢たかおか実行委員会の方に加えH氏も同行してくれたので、高岡大仏、高岡古城公園、定塚小学校、高岡工芸高校、文苑堂書店といった比較的メジャーなスポットだけでなく、藤子両先生の住んでいた住居跡地や藤子・F先生が通った幼稚園、藤子両先生が2人で散策した堤防道路など、個人で歩いたのでは絶対に分からない場所も見学することができた。そういった場所は、当時の建物がほとんどなくなっていて、まさに「跡地」としか言いようのない状態になっているが、それでも「ここに藤子先生が住んでいたのか」「この場所で藤子先生が映画を観たのか」「この土地が藤子作品の中に反映されているかもしれない」などと想像するだけで胸が熱くなるのだった。


 橘慶一郎高岡市長が激励に訪れるとか、富山新聞北日本新聞、富山放送といったマスコミが取材にくるとか、なんだか凄いことになっているな、とも感じた。




「『まんが道』ゆかり地ツアー」で巡った各場所で見たものや思ったこと、ガイドの方やH氏からうかかがったことなどをまとめて、以下に綴っていきたい。



高岡大仏
 高岡大仏は、藤子A先生の『まんが道』に何度か登場する。とくに、満賀道雄が大仏前で霧野涼子のキスシーンを目撃するくだりは衝撃的だ。
 高岡大仏の境内で、夢たかおか実行委員会の方から、ツアーのガイドブックや資料を受けとった。「『まんが道』ゆかりの地ツアーガイドinTAKAOKA(ver.2)」は、全16ページ、オールカラーのガイドブックで、『まんが道』ゆかりの地を実際の写真と『まんが道』の図版を使ってわかりやすく案内している。よくできたきれいな冊子で、藤子コレクターズアイテムとしても魅力的である。
 現在の銅製の高岡大仏は昭和8年に完成していて、藤子両先生と同学年になる。藤本家は、この大仏の建造時に寄付をしているそうだ。
 昭和61年、ドラマ『まんが道』のロケのさい藤子A先生が寄贈したツゲの木が、大仏の前に植えてある。コンビ時代のことだったので、看板の寄贈者名は「藤子不二雄」となっている。それはよいとしても、「藤子不二雄」の横に「ドラえもん」と記されているのは、コンビを解消した今となってはちょっと違和感をおぼえる。ここはやはり「まんが道」と記すのが妥当だったのではないか。
 私は、この場所で「開運 高岡大仏お守り」を購入。



●〝自転車場〟と呼ばれる空地の近くにあった藤子・F先生の住居跡地
 藤子・F先生が1歳の頃から住んだ家の前には、〝自転車場〟と呼ばれる広い空地があった。子どもが自転車の練習に使うのでそう呼ばれたという。
 藤子・F先生は、小学5年で藤子A先生と出会うまで親しい友達がいなかったので、この空地で活動的な遊びをすることはなかったようだ。



山町筋
 土蔵造りの建築物が並ぶ、風情ある町並み。この場所の風景が、『まんが道』にも幾度か登場している。
 我々一行が、山町筋の一画にある国指定重要文化財・菅野家の前にきたところで、橘慶一郎高岡市長が激励の挨拶にかけつけてくださった。市長は、モノクロのアニメ『オバケのQ太郎』『パーマン』で育った世代だそうで、当時富山で藤子先生のサイン会があったのに病気になって行けず、結局藤子・F先生とは一度も会えなかったという。
 高岡市ドラえもんのキャラクターイラストを母子手帳や広報紙などで使えるようになったのは、この橘市長の功績である。挨拶が終わると、市長を囲んでの記念撮影となった。このときの模様は、富山新聞9月5日朝刊においてカラー写真でとりあげられた。
 山町筋の途中で、藤子両先生が映画を観た「帝劇」の跡地や、『まんが道』立志編「ときめきの雪」のトビラで描かれた「志甫商店」の前を通った。



●高岡郵便局
まんが道』に何度も登場する。満賀道雄才野茂が投稿作品を郵送するため、この郵便局の窓口にやってくるのだ。



●世界館跡地
 藤子両先生が映画を観た高岡の劇場全7館のうちのひとつ。現在は病院になっている。



万葉の杜・ドラえもんの散歩道
 ドラえもんのレギュラーキャラのブロンズ像が高い位地に並んだ公園。一行は、この場所で藤子A先生の大好物「おやき」を食べた。



文苑堂書店
まんが道』によく登場する、藤子先生行きつけの書店。『まんが道』では、この書店のおじさんの顔がタコそっくりに描かれている。
 私は今回店内に入らなかったが、以前訪れたときは、1階に喪黒福造、2階にドラえもんの直筆色紙が飾ってあった。



桜馬場通り
 藤子A先生が高岡に引っ越してきて最初に住んだ住居の跡地が桜馬場通りにある。現在は鉄筋のビルが建っているが、その奥の大家さんの家の建物は残っている。
 この通りには、養順湯という銭湯もあった。現在は「ようじゅんとう」という焼肉屋などが入った雑居ビルになっている。『まんが道』には、満賀道雄が養順湯のペンキ絵をうっとりと眺めるシーンがある。満賀が露天風呂で裸の女性と遭遇する場面を空想するのもこの場所だ。
 養順湯の隣には、藤子・F先生の生家があったそうだ。



材木置き場の隣にあった藤子・F先生の住居跡地
 藤子・F先生は、この家に住んでいる時代に藤子A先生と出会った。家の隣には材木置き場として利用された空地があった。前述の〝自転車場〟と呼ばれた空地や、この材木置き場が、藤子・Fマンガに登場する空地の原風景になっているのではないか。ただし、『ドラえもん』などでお馴染みの土管は、それらの空地に置かれていなかったという。



高岡市立定塚小学校
 藤子両先生が運命の出会いを果たした場所。当時は、現在の鉄筋の校舎が建つ前の、木造校舎だった。



●高岡時代の藤子・F先生が最後に住んだ住居跡地
 我々一行は、この住居跡地から高岡工芸高校へと歩いたが、このルートは当時の藤子・F先生の通学路だったと思われる。高校時代の藤子・F先生が毎日のように歩いた道を、いま自分が歩いていると思うと、しみじみした気持ちになった。


県立高岡工芸高校
 藤子・F先生が通っていた高校。その隣に藤子A先生が通った県立高岡高校があったが、今はその場所に高岡市美術館が建っている。高岡高校は別の場所に移っている。
 今回は校内を見学しなかったが、高岡工芸高校の中には、藤子・F先生ゆかりのグッズや資料などを展示する空間が設けられている。しかし、最近この空間は大幅に縮小され、非常に寂しい状況になっているそうだ。



●藤子・F先生の住居(旧定塚小学校前)
 定塚小学校が現在の場所にできたのは昭和16年のことで、それまでは少し離れた別の場所にあった。定塚小が移転したのは、藤子・F先生が2年生のときのことで、藤子両先生がこの学校で出会ったのは5年生だったので、2人の出会いは現在の場所での出来事だった。
 藤子・F先生は、旧定塚小学校のあった場所の目の前に住んでいたこともあるという。藤子・F先生が高岡で暮らした住居6ヶ所のうち、当時の建物が残っているのはここだけ。



●志貴野幼稚園
 藤子・F先生が志貴野幼稚園というところに通っていたことを、今回初めて知った。



高岡古城公園
まんが道』に頻繁に登場する公園。満賀と才野が学校帰りに毎日のように通った。とくに公園内にあるニつ山は、満賀と才野(=藤子両先生)にとって重要な場所だったようで、『まんが道』では、手塚治虫先生の『新宝島』を初めて読んだのも、マンガ家になる誓いをたてたのも、この二つ山だった、と描かれている。二つ山は、正式には「卯辰山」というそうだ。
 1989年には公園内の動物園に絵筆塔が建てられた。154人のマンガ家がデザインしたカッパ絵を見ることができる。もちろん藤子両先生の絵も。




 昼食は、昨晩パーティーを行なったデュオでとった。このとき、2日間案内役をしてくださった夢たかおか実行委員会の方が帰られた。




●津田製菓跡地
 昼食後は、藤子・F先生のご親類Hさんの先導で車を走らせ、津田製菓の跡地へ向かった。
 津田製菓は、高岡工芸高校を卒業した藤子・F先生が3日間(あるいは2日間)だけ在籍したという会社だ。工場があった場所はすっかり空地になっているが、事務所の建物はまだ残っていた。現在はどなかかが住んでいるようだ。この工場は主にキャラメルを製造していたという。
 藤子・F先生は、働きだして2日目で指をつぶすような怪我をし、「これではマンガを描けなくなる」ということで、津田製菓をやめたそうだ。辞表を出しに行ったのが翌日と考えれば、藤子・F先生がこの会社に在籍したのは3日間ということになる。
 その後、藤子・F先生の住居跡地のひとつ(現在、高岡税務署が建っているあたり)と、藤子両先生が散策したという堤防道路を見学し、Hさんと別れた。Hさんは翌日の氷見巡りにもかけつけてくださったので、すぐに再会することなる。




 それから夕刻にかけて、高岡市立中央図書館と高岡地域地場産業センターを訪れた。



高岡市立中央図書館
 この図書館は高岡駅前の再開発ビル「ウイング・ウイング高岡」の2階と3階にある。我々の目的は、『ドラえもん』全話を読める「ドラえもん文庫」だった。「ドラえもん文庫」の蔵書は、前日にお会いしたばかりの横山泰行教授が収集して寄贈したものである。つまり、富山県には「ドラえもん文庫」がこの高岡市立中央図書館と富山大学の2ヶ所に存在しているわけだ。
「ウイング・ウイング高岡」1階ロビーで、高岡市の広報紙「たかおか市民と市政」9月号をゲットした。この広報紙には、『ドラえもん』のカットを使用したページがあるのだ。



高岡地域地場産業センター
 この施設の小ホールの緞帳を、藤子・F先生がデザインしているので、それを見学に行った。子どもたちが乗った船が空を飛んでいるデザインで、夢があふれていた。
 コンビ時代の仕事なので、緞帳に刺繍されたサインは「藤子不二雄」となっている。
 当センターの1階は高岡の名産品売場になっていて、私は、高岡大仏せんべいを購入。午前中に高岡大仏のお守りを買ったばかりで、今度は大仏せんべいときた。どうやら私は高岡大仏に魅入られているようだ。



 夜は、藤子ファンだけの宴会で、狂騒的に盛り上がった。


「『まんが道』ゆかりの地ツアー」の模様は、翌朝の富山新聞北日本新聞で記事になり、当日には富山放送のニュースで報道された。
 富山新聞北日本新聞とも、カラー写真を載せてくれて、そこに私もちゃっかりと写りこんでいたので、記念に買っておいた。



 9月5日の氷見巡りについては、明日レポートする予定。