富山旅行3日め「藤子不二雄A先生のふるさと巡り」(9月5日)

 3日めまで参加した藤子ファンは17人。朝、この17人で宿泊先の北陸健康センター・アラピアから高岡駅へ。そこから午前8時34分発の忍者ハットリくん列車に乗り、藤子不二雄A先生のふるさと氷見へ向かった。私も含めた車の運転手は、忍者ハットリくん列車に乗らず、自分の車で氷見へ移動。当ツアーに地元から参加した2人の方も、車で氷見へやってきた。
 氷見駅で「まちの応援団 ブリンス会」の方が出迎えてくださり、駅舎の横に皆が集まって、この日の流れについて説明を受けた。


 氷見駅の駅舎の中には、以前市役所のロビーに置いてあったハットリくん人形ひとそろいが展示してあった。ここに人形が置いてあれば、鉄道で氷見を訪れた誰もがハットリくんたちの姿に目をとめることができるわけで、「氷見はハットリくんの生みの親・藤子不二雄A先生の出身地なのだ!」という事実をアピールする効果を期待できそうだ。


 一行が氷見駅から歩きだして最初に向かったのが、氷見市役所だった。車組は、広い駐車場のある場所へ車を置きに行き、別ルートで市役所へ歩いた。
 市役所の市長室に、藤子A先生が1992年に氷見市へ寄贈した巨大なイラストの原画が飾ってある。忍者ハットリくんとその仲間たちが忍法ムササビの術で空を飛んでいて、バックに冬の立山連峰日本海に浮かぶ唐島が描かれている。唐島とは、藤子A先生の生家・光禅寺が所有している島で、先生は氷見に帰省するたびに唐島を眺めにいくという。絵の隅の藤子A先生のサインの隣に、「K2」というサインが記されていた。ツアー参加者のU氏によると、これは長友啓典黒田征太郎率いるデザイン集団の名称だそうだ。つまりこのイラストは、藤子A先生とK2の協作ということになる。
 我々一般人はふだん市長室に入れないので、この市長室でのイラスト鑑賞は、今回の氷見巡りの隠れた目玉ともいえるだろう。


 市役所を出た一行は、忍者ハットリくん人形の寸劇が観られる湊川ラクリ時計へ向かったが、市役所の近くに藤子・F先生のご親類H氏が到着したという報を受けた私は、T氏とともに市役所の前に残ってH氏を出迎えた。これでH氏は、当ツアーに3日とも参加してくださったことになる。
 H氏と一緒に市役所から湊川ラクリ時計に向かって歩き始めると、H氏は「ここが、藤子・Fの父親が最後に勤務した場所です」と、氷見郵便局を指差しておっしゃった。藤子・F先生のお父様が最後に勤務した職場は、正確には氷見電報電話局なのだが、当時は電報電話局と郵便局が庁舎を共同で使っていたため、場所的には現在の氷見郵便局が藤子・F先生のお父様の最後の勤務地となるわけだ。藤子・F先生のお父様は、氷見電報電話局に赴任して2〜3日で病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。昭和24年3月のことだったという。



 このあとのレポートは、場所ごとに分けて順番に書いていきたい。


湊川カラクリ時計
『忍者ハットリくん』のキャラたちの人形が1時間おきに姿をあらわし、愉快な動きで寸劇を見せてくれる。最後にケンちゃんが獅子舞をもって登場するのは、氷見が獅子舞の町でもあるからだ。私は行ったことがないが、ひみ獅子舞ミュージアムという施設もあるようだ。



潮風通り・サカナ紳士録のモニュメント
 商店街の通路に、藤子A先生がデザインしたサカナ紳士録のモニュメント8種類16体が並んでいる。ブリンス、タコ八、トビー、カニ丸、アンボス、イカゾウ、エイチョウシマシマ博士という名前は、公募で地元の子どもたちがつけたもの。サンリオピューロランドでは地下駐車場から園内に入っていくとき、キティちゃんのモニュメントが並んでいて、サカナ紳士録のモニュメントもそれを参考にしたという。
 これらのモニュメントはセンサーで反応して喋り始めるのだが、タコ八は「チューして」とせがむので、女子中学生などが「キャーキャー」と恥ずかしがったりすることもあるそうだ。
 アーケードに貼ってあるサカナ紳士録のシールは、忍者ハットリくん列車のラッピングと同じ素材。



氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館ひみぼうずくん
 氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館は、いわゆる〝道の駅〟だ。氷見の海産物や土産物がいっぱい売られている。海鮮レストランもある。この場所に、藤子A先生がデザインしたひみぼうずくんの立体像が立っている。海坊主の子どもという設定で、頭を撫でた人に幸運が訪れるという。ひみぼうずくんの背後には日本海に浮かぶ唐島が見える。天気がよければ日本海の向こうに立山連峰を望めるが、この日はあいにくの天気で遠くを見渡せなかった。
 海鮮館の横には魚型の大きな遊具が設置され、その滑り台部分に忍者ハットリくんとひみぼうずくんがデザインされている。遊具のてっぺんにはひみぼうずくんの立体像のレプリカが立っている。前々日に誕生日を迎えたSさんが滑り台の上に立ち、カメラを持った面々が彼女を撮影するという一幕もあった。



●潮風通りと海鮮館の間
 ブリンス会では、湊川ラクリ時計から潮風通りを経て、氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館に至るまでの区間を、藤子不二雄Aキャラを見て楽しめるゾーンにしたいそうだが、潮風通りから氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館までの区間に藤子Aキャラがなく、そこだけが断絶したようになっている。現在氷見で使用できる既存の藤子Aキャラは『忍者ハットリくん』の登場人物に限られているが、たとえばこの区間にロボ丸などの脇キャラを使えばよいのではないか、とブリンス会の方がアイデアを語った。



光禅寺
 光禅寺は、650年以上の歴史を持った曹洞宗のお寺。藤子不二雄A先生の生家である。藤子A先生のお父様がこのお寺の第49代住職だったのだ。お父様は、藤子A先生が小学5年生のとき亡くなり、次の住職が外から来ることになったため、A先生の家族は高岡市へ引っ越すことになった。その高岡で、A先生はF先生と運命的な出会いを果たしたのである。
 光禅寺の敷地内に墓地があって、歴代の住職の墓が並んだ区画がある。そこに藤子A先生のお父様の墓も建っている。それとは別の区画に、藤子A先生のお母様の墓もあり、その墓石には、お母様が生前大好きだったというパラソルヘンべえの姿が彫られている。
 現住職(第51代)の菊池大定和尚が我々一行をにこやか迎えてくださった。菊池和尚は、幼い頃の藤子A先生のお兄さん的な存在であった。
 我々はお寺の中で休憩をさせていただいた。玄関から上がると、藤子A先生が絵を描いた衝立が目に飛び込んだ。片面には喪黒風の達磨が、もう片面には21体の野仏が、迫力ある筆致で描かれている。休憩中には、サカナ紳士録のキャラをかたどったタイ焼き風のお菓子〝ブリンス焼き〟を出していただいた。商店街のモニュメントになっている8種のキャラのほか、9種めのキャラ「サザエ」をかたどったものも含まれていた。私はこのサザエ型ブリンス焼きをI氏と半分ずつに分けて食べた。
 藤子・F先生の親類H氏は、高岡のローカル紙「週刊市民新聞」昭和26年1月新春号に掲載された藤子・F先生と藤子A先生のコママンガを見せてくださった。両先生が高校生のときの作品だ。こういう作品があることじたい初めて知った。
 光禅寺の次の住職(第52代)は、藤子A先生の弟さんの息子さんが継ぐことになっているそうだ。光禅寺が久しぶりに安孫子家に帰ってくるので、藤子A先生も喜んでいるという。



●昼食
光禅寺を出て、少し遅い昼食を氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館でとった。私は、藤子・F先生の親類H氏のお話を最後まで聴きたくて、H氏の隣の席に陣取った。藤子・F先生が亡くなる7〜8年前、F先生はプラベートで高岡に帰省し、誰にも言わず1人静かにご自分の思い出の地を散策したという。すでに病気で体調が悪かった藤子・F先生が、この時期に故郷を訪れこっそりと1人で思い出の地を見て歩いたのかと思うと、胸がジーンとしてきた。



●如意の渡し(高岡市
 ここは、氷見から高岡駅へ車で戻る途中、H氏が連れていってくださった。義経伝説ゆかりの地であるが、藤子先生とは直接関係のない場所だ。遊覧船に乗って景色を眺めたりして、なかなか楽しめた。
 観光地によくある、顔を出して記念撮影をするボードがあったが、このボードに、毛が3本の丸っこいものがさりげなく描き込まれていた。オバQの頭のようだ。さすがは高岡。藤子先生と直接関係のない観光地にも、こうして藤子キャラが紛れ込んでいるのであった。



●解散
 高岡駅の近くでツアー参加者が解散。最後まで残った5人と地元から参加した2人の計7人で高岡市立中央図書館へ行き、ドラえもん文庫などで読書をしてすごした。
 地元の方2人は帰りぎわに「自分は富山に住んでいてあまり誇れることはないけれど、藤子不二雄だけは大きな誇りです」と熱く語ってくださった。このうちの1人の方が、前日、高岡の町を歩いているとき、koikesanのブログを読んでいるとおっしゃったので、私は思わず「私がそのブログを書いている本人です」と打ち明けてしまった。



●帰宅
 私は午後5時頃、車で帰途についた。行きは同乗者が3人いて賑やかだったが、一緒に来たメンバーは皆私とは別の日に帰宅したので、帰りは愛知の自宅までずっと1人だった。





 この日も地元の新聞社が取材にきていたが、愛知に帰った私は翌朝の地元新聞を見られないため、どんな記事が載ったのか確認できていない。個人的な事情で6日(火)まで富山に滞在したN氏によると、富山新聞に記事が載ったということだ。


 この3日間の富山ツアーは、藤子ファンとして非常に濃密な時間をすごすことができた。一生の思い出になりそうだ。
 最後に、今回のツアーでお世話になったすべての方に深く感謝を申し上げたい。





●参考
富山ツアーに参加されたよねさんやおおはたさんもご自分のサイトでツアーのレポートを発表している。合わせてご覧いただきたい。

・藤子不二雄atRANDOM「フジコ日記通信/9月3日」
http://www17.big.or.jp/~yonenet/fujiko/


・はなバルーンblog「聖地・富山ツアー2005」
http://blog.goo.ne.jp/hballoon/d/20050904(一日目)
http://blog.goo.ne.jp/hballoon/d/20050905(二日目)