「週刊少年サンデー」1965年2号

 3日前の話になるが、9月25日(日)、「懐かしの漫劇倶楽部」製本の集いに参加し、同倶楽部の会誌 「劇眼漫歩」29号の製本・袋詰の作業を手伝った。今回の参加者は6人と私が製本の集いに参加するようになってから最少の人数だった。


 このとき会の代表Zさんが持参した「週刊少年サンデー」1965年2号(1月8日号)に、興味深い記事が見つかった。78ページから80ページにかけて、「まんがをつくる会スタジオ・ゼロ」という記事が載っていたのだ。小学生向けの易しい記事だが、中野にあった時代のスタジオ・ゼロをリアルタイムでとりあげているという点で、おもしろい資料だと思った。
 当時「週刊少年サンデー」に連載中だった『オバケのQ太郎』の作者名は〝藤子不二雄スタジオ・ゼロ〟と表記されていて、このスタジオ・ゼロとはいったいどんなところだろうか? という疑問から記事の文面が始まっている。その疑問を受けるかたちで、スタジオ・ゼロが誕生したのは1963年5月1日だとか、メンバーに藤子不二雄赤塚不二夫つのだじろう石森章太郎鈴木伸一がいるとか、社長をくじびきで決めたとか、そういった種々の情報が記述されている。
 それに加え、当時は上記メンバーのほか17人の社員がいたとの情報や、スタジオ・ゼロの建物の写真、スタジオ・ゼロの住所などが掲載されていて、興味を惹かれた。


 158ページから168ページにかけては「お正月 まんがのカンヅメ特集」というコーナーがあって、その扉ページと、ワイドスコープまんが「まんが横丁は大さわぎ!!」という見開き3コマまんがを、藤子先生を含めた6人の漫画家が執筆している。藤子先生は、オバQ、正ちゃん、小池さんといった『オバQ』のキャラを描いている。藤子先生のほかに、横山光輝赤塚不二夫貝塚ひろしつのだじろうといった面々が参加。


 また、54・55ページには「まんが大学」というコーナーがあり、図形に絵を当てはめる「はめ絵」の問題が出されていた。その問題の模範解答を5人の漫画家が執筆していて、そこに藤子先生も名前もあった。藤子先生は、図形の内側に、火鉢を抱えた男の子の絵を描きこんでいる。見たところ、安孫子先生が描いた絵のようだ。貝塚ひろしは、ぞうにを食べるオバQを描いていて、貝塚オバQが見られるところが楽しい。そのほか、赤塚不二夫つのだじろう森田拳次といった漫画家が模範解答を寄せている。


 このように、藤子先生が直接携わった企画記事を雑誌内で発見できると、結構嬉しい。




 製本の集いが終わってからは、例によって昔の漫画本や少年小説のコレクターであるTさんのお宅へうかがった。当ブログ9月18日のコメント欄で、昭和50年代に藤子先生のアシスタントをされていたDomeさんから「藤子スタジオに入ったころA先生のアシスタントから樺島勝一画集を渡されて空を描く練習をさせられました」という書き込みをいただき強く触発されたので、今回は樺島勝一に関する本を中心に見せてもらった。
 樺島勝一のペン画集を開くと、海に浮かぶ船や様々な風景の絵に空がよく描かれていて、「こうした絵が、藤子スタジオで空の絵を練習するさいのお手本になっていたのだなぁ」と深く感じ入った。樺島勝一が挿絵を担当した少年小説の単行本や、樺島の絵が掲載された戦前戦後の少年雑誌なども見せてもらった。いつも貴重な本を手にとらせてくださるT氏には大感謝である。





●藤子単行本情報
ネオ・ユートピアメーリングリストで、ぴっかぴかコミックスの最新情報を得た。11月1日に、『パーマン』第4巻が発売されるとのこと。3巻で終わりかと思っていたぴかコミ『パーマン』に続巻があったなんて! 1〜3巻と同じくてんとう虫コミックス未収録作品で構成するそうで、これは期待大である。