瀬名秀明『八月の博物館』と藤子不二雄

koikesan2005-11-08

当ブログ10月25日の記事で、作家の瀬名秀明さんが藤子ファンであることを紹介した。そのさい、瀬名さんの『八月の博物館』(角川書店/2000年10月発行)という長編小説に藤子ネタが多く出てくることにも触れた。『八月の博物館』で見られる藤子ネタについては、以前、藤子不二雄ファンサークル「Neo Utopia」への投書で詳述したことがあるので、そのときの原稿を若干修正して、ここで発表したい。




 瀬名さんの作品については、デビュー作の長編小説『パラサイト・イヴ』と二作めの長編『BRAIN VALLEY』をはじめ、こまごまとしたエッセイなども含めていろいろと読んできた。そうやって瀬名さんの作品を追いかけるなかで、瀬名さんが藤子先生のファンであるという事実を知るようになり、ますます瀬名さんの作品や発言に興味をおぼえるようになった。
 瀬名さんの長編小説としては三作めにあたる『八月の博物館』は、瀬名さんの藤子ファンぶりが最も如実にあらわれた作品だ。「本書を、故 藤子・F・不二雄先生に捧げる」という献辞を単行本の末尾に添えている事実からも、藤子・F先生への想いのほどが伝わってくる。(こうして藤子・F先生への献辞を単行本に載せている小説としては、ほかに、よしもとばななさんの『デッドエンドの思い出』がある)


『八月の博物館』をハードカバーの単行本で初めて読んだときは、虚心にそのストーリーに没入し、瀬名ワールドの新境地を満喫したが、新たに文庫版で再読したさいは、藤子ファン目線を意識的に強化して読み進めてみた。
『八月の博物館』は、三つの話が微妙に作用しあいながら並列的に進んでいき、そこにメタフィクションの要素も加わって、精妙な仕掛けの小説になっている。その仕掛けに魅力を感じる人もいるだろうし、そうした仕掛けにとらわれず、ひとりの少年を主人公にしたSFマインドあふれる冒険ファンタジーとしてストレートに読む人は、藤子・F先生の「大長編ドラえもん」シリーズに通じるワクワク感を純粋に味わうことができそうだ。


 この小説の主人公は、亨という名の小学生。亨は、瀬名さんの少年時代が色濃く投影されたキャラクターで、瀬名さんと同様、亨もまた藤子先生のファンということになっている。そのため、亨が登場する場面ではところどころに藤子ネタが見つかり、そのたびにちょっと得した気分になれるのだ。たとえば、「前に藤子不二雄先生の『まんが大学』を読んだとき、胸に突き刺さるような言葉に出くわした」とか「藤子不二雄の真似をしたSFギャグを連載していたのだ」とか「藤子不二雄も『ドラえもん』と『魔太郎がくる!!』では絵柄が違うことくらい亨にもわかっていた」といった文に遭遇できる。
 亨が学校の友達と二人で小説を書き同人誌をつくっているところや、その友達が亨の才能にショックを受け劣等感をおぼえるくだりなどは、藤子A先生の『まんが道』で見られる満賀道雄才野茂の関係を彷彿とさせる。
 それから、直接的な藤子ネタではないにしろ、物語を読み進めていくなかで、「恐竜」「タイムマシン」「古代エジプト」「ピラミッド」「カンビュセス」「ミノタウロス」「ミノア」「シュリーマン」といった単語を見つけるたび、いくつかの藤子・F作品のイメージが脳裏をよぎっていく。
  

 藤子ファン的にツボなところはまだある。
 この小説には、瀬名さん自身を連想させる作家が登場する。その作家が、創作上の悩みを抱いたり自己の作家生活を回想したりするという自己言及的な内容は、藤子・F先生の『未来の想い出』との接点を、どこか感じさせてくれるところがある。
 また『八月の博物館』は、登場人物が時間を超えて旅する物語なので、藤子・F先生が『ドラえもん』やSF短編などでよく描いたタイムトラベル系の話ともつながりを感じる。
 個人的には、亨が生活している時代と私が小学生だった時代がちょうど同じ頃であるというところにも魅入られた。「そういえば、そんなこともあったよなぁ」とか「あのころ自分が感じていたことと同じだなぁ」などと、少し懐かしい気分にひたれるのだ。
 藤子・F・不二雄先生に捧げられたこの『八月の博物館』という長編小説は、同時にわれわれ藤子ファンにも捧げられた一編なのだと、そう私は勝手に思い込んでいる。その思いを胸に、これからもう一度、この作品を読み返してみたいと考えているところだ。






※小説の中の藤子ネタといえば、本日くらいに発売の『凍りのくじら』(辻村深月・著/講談社ノベルス)は、まさに藤子・F先生へのオマージュ作品といえるだろう。作中に藤子・F・不二雄愛する人物が登場し、『ドラえもん』が物語の鍵になっていたりする。
 著者の辻村深月さんは、『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビューした1980年生まれの作家。生まれて初めて買ったマンガ本が『ドラえもん』11巻だったそうである。

 七月の図書室。彼と出会ったあの夏は、忘れない。
 藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう……。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。


 誰でも一度は読んだことがあるはずの名作『ドラえもん』。その『ドラえもん』が辻村深月さんの新作『凍りのくじら』の鍵となっています。
 この作品を読むと、また『ドラえもん』が読みたくなってしまいます。そう言えば、こんな道具があったなとか、こんな話があったなとか。でも、どうやって物語に『ドラえもん』が絡んでくるのでしょうか?(“ドラえもん”そのものが登場するのではありませんが……)


     講談社「ミステリーの館」2005年11月号(メールマガジン)より

 本書のオビには、瀬名秀明さんがこんな推薦文を寄せている。

クライマックスにおける藤子世界観との共鳴等々、細やかな愛情を持って構築された作品。これは傑作だと思います。