藤子不二雄とあだち充と岡田史子

 先日、もっこりザムライさんとお会いしたさい、かつて虫プロ商事が出していたマンガ雑誌「COM」に掲載された藤子関連の記事を数冊分読ませていただいた。おもしろい記事がいくつもあった。



 たとえば藤子先生*1は、1968年1月号から一年間、「まんが予備校」なるコーナーで投稿マンガの総評・指導を担当していて、今回読んだ1968年6月号では、安達充さん(17歳)の『友の影』という作品にこんなコメントを寄せている。

線はキレイだし、画面の隅まで神経がゆき届いていて気持ちがいい。絵とストーリーとの均整がよくとれている。次回作に期待する。

 この安達充さん(17歳)とは、『タッチ』『みゆき』『H2』などで有名なあのあだち充さんである。あだち充さんが「COM」の常連投稿者だったことはマンガファンのあいだで結構知られた話だと思うが、こんなところで藤子先生とあだち充さんに接点があったということが実に興味深い。





 それから、1968年4月号では「第1回COM新人賞発表」があって、選考委員のなかに藤子(安孫子)先生も名を連ねている。このときの受賞者2人のうち1人が、今年4月に亡くなった岡田史子さんである。受賞作品は『ガラス玉』。選考会の席で安孫子先生は岡田さんをこう評している。

感覚的には非常に新しいものを持っている人だと思うんですが、こうした「ガラス玉」のような作品だけでなく、いまの児童まんがが忘れてしまっている、童話の世界というか、子どものための純粋なメルヘンのようなものを描いてもらえば、いいと思いますね。

 この選考会の席で、石森章太郎(のち、石ノ森章太郎)さんが岡田作品に対して否定的な論調を繰り返しているのが印象的だ。
 石森章太郎さんは当時「COM」誌上で実験的マンガ『ジュン』を連載中で、岡田史子のような詩的で前衛的な作風に率先して理解を示してもよさそうなものだが、石森発言をひととおり読んでみると、〝岡田史子はこういう系統の作品しか描けないのでは〟という点にひっかかりをおぼえていたようだ。多様なジャンルを描きこなし、そうした多様さのなかの一端として『ジュン』のような先鋭的作品に挑んだ石森章太郎さんらしい視点だと思う。
 参考までに、岡田作品に対する石森さんの発言を引用してみる。

・この人は、自分の世界に埋没して、それ以上のものがでてこないんじゃないかと思うんですがね。
・たしかに観念の世界だ。観念まんがというんですかね(笑)
・ぼくなんか、岡田さんをまっさきに推さなきゃいけないんだろうけど(笑)、この世界しか描けないということに、どうもひっかかるんだ(笑)



 1969年3月号の「TV映画・アニメ展望 〝ウメ星デンカ〟制作快調」という情報記事も、ある意味おもしろかった。アニメ『ウメ星デンカ』がこの年の4月からスタートすることを伝えた記事なのだが、それがこんな一文から始まっているのだ。

四月一日(火)から、TBS系の「怪物くん」のあと番組として放映される、赤塚不二夫原作、沼たかお脚色、スタジオ・ゼロ東京ムービー共同制作の「ウメ星デンカ」(小学館学年誌連載)のTVアニメの制作が、快調に進行中で、すでに二クール分の撮影を終了した。

赤塚不二夫原作」って……
 藤子不二雄の〝不二雄〟と赤塚不二夫の〝不二夫〟が混同されて、「藤子不二夫」なんて表記されることはよくあるが、ここまで堂々と「赤塚不二夫原作」なんて書かれると、なんだか苦笑や失笑を通り越して清々しさすら感じる(笑)

*1:「まんが予備校」を担当していたのは、藤本先生か安孫子先生か定かではないが、おそらく安孫子先生だろう