藤子不二雄A×鈴木伸一 トークショー

 当ブログ11月11日の記事で紹介したように、今月6日から、東京の杉並アニメーションミュージアム「ドーン!! 藤子不二雄A〜アニメの世界展〜」という企画展が開催されている(来年2月12日まで)。昨日10日(土)には、この企画展の一環として、特別トークショー藤子不二雄Aと語る」が催された。藤子不二雄A先生と杉並アニメーションミュージアム館長の鈴木伸一さんによるトークイベントである。
 言うまでもなく鈴木伸一さんは、藤子マンガにたびたび登場するあの〝小池さん〟のモデルになった人物だ。


 トークショーの会場は、同ミュージアム内のアニメシアター。150インチのスクリーンで日々さまざまなアニメ作品を上映しているスペースである。「ドーン!! 藤子不二雄A〜アニメの世界展〜」開催期間中は、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』『ウルトラB』『ビリ犬なんでも商会』といった藤子Aアニメを中心に上映している。(上映作品は、日によって変わる)


 トークショーの席は先着順で、藤子ファン仲間数人とともに早めに列に並んだ私は、一番前に座ることができた。藤子A先生と鈴木館長がトークを繰り広げる場所は、私の足先からおよそ2メートルという、実に近い距離だった。そこに椅子が3脚置いてあり、藤子A先生、鈴木館長のほか、司会者が座るのだろうと予測された。


 開演予定時間の午後1時を10分ほどすぎて、マンガ家で大垣女子短大教授の篠田英男さんがマイクを握ってステージに立った。なので篠田さんが司会を担当するのかと思ったら、本来の司会者であるアニメーション作家の片山雅博さんの到着が遅れているため、ピンチヒッターとして篠田さんが喋っているということだった。篠田さんがそうやって話しているうちに片山さんが到着し、さっそく司会を交替。
 片山さんが藤子A先生と鈴木館長の名を呼んでステージに招き入れると、場内から拍手が起こった。藤子A先生はジャケットの襟に、ほうきにまたがって飛ぶ怪物くんのバッジをつけていた。観客から向かって左に鈴木館長、中央に藤子A先生、右に片山さんが座った。
 こうして、トークショーがスタートしたのだった。


 
 藤子A先生は、「このミュージアムは初めてですか?」と片山さんに尋ねられ、「そんなことはない。何十回も来てる」と返答。片山さんはすかさず「本当ですかあ?(笑)」と疑わしげにツッコミを入れた。結局、A先生の「何十回」という発言は誇張だと判明したが、実際に4回ほどは足を運んだことがあるということだった。藤子A先生は以前ここを訪れたさい、近くにあるうどん屋のかたうどんを気に入ったそうだ。
 片山さんはその後も、藤子A先生がとぼけたことを言ったとき、場合によってはまじめなことを語っても、「それは本当ですかあ?」「またまた、そんなこと言って〜」「それは本当は○○というんです」などとツッコミをいれ、ボケとツッコミの漫才のようなやりとりを展開した。鈴木館長も、藤子A先生の発言を補足・修正する役割を果たしていた。



 藤子A先生は、鈴木館長とはトキワ荘以来の付き合いで今の彼はアニメ界の巨匠であるとか、日本のアニメやマンガは世界に冠たる文化だが海外への発信が遅れている、といった話をしてから、鈴木館長とともに、スタジオ・ゼロのお馴染みのエピソードを語った。

・鈴木館長が横山隆一先生のおとぎプロを辞めたと知って、トキワ荘の仲間たちでアニメの会社をやろうということになった。
・鈴木館長は、おとぎプロに8年ほどいた。
スタジオ・ゼロは最初、中野にある八百屋さんの裏のボロっちいバラックのような建物を借りてはじめた。ゼロからはじめる、という意味で「スタジオ・ゼロ」と名づけた。
手塚治虫先生の虫プロから『鉄腕アトム』の「ミドロが沼」*1を製作してほしいと依頼が来た。この一本をスタジオ・ゼロがやると、虫プロのスタッフが1週間休めるということだった。その仕事を引き受けたのはいいが、アニメのプロは鈴木館長だけで大変だった。
 絵コンテは、鈴木と石森が描いた。同じアトムを描いても、藤本アトム、安孫子アトム、石森アトムなどそれぞれのタッチが出て統一性がなかった。試写会で「ミドロが沼」を観た手塚先生は、ふだんは非常に愛想がいいのに、このときは黙り込んでしまった。作品の出来が気に入らなかったのだろう。鈴木館長は日曜に虫プロに呼ばれ、虫プロで描きなおすかどうか話し合った。でも皆さん描きなおしたくないので、「まあ、いいでしょう」ということになって、そのまま放送した。
・当時のアトムは、16ミリで撮っていた。
・「ミドロが沼」のフィルムは長いあいだ行方不明になっていたが、アメリカで見つかった。ネガはなかったので、画像はよくない。その後、虫プロの倉庫で音源と原画も発見された。
・『オバケのQ太郎』は、スタジオ・ゼロの仕事として引き受けた。原稿料はスタジオ・ゼロの収入になった。藤本と安孫子がネームと主要キャラのペン入れをやってゼロへ持っていき、石森や赤塚らにあとのキャラクターなどを手伝ってもらった。石森が多くのキャラクターを描いている。フジオ・プロの長谷氏なんかも結構描いていた。
・『オバケのQ太郎』のアニメは、スタジオ・ゼロパイロットを作ったが、本編は東京ムービーに持っていかれた。スタジオ・ゼロでは実力が足りないということだ。後番組の『パーマン』『怪物くん』『ウメ星デンカ』ではスタジオ・ゼロに半分仕事を持ってこれた。


(注:この枠内の発言は、藤子A先生の発言だけでなく、鈴木館長が補足した部分も混ざっています)

 藤子マンガをアニメ化したときどう思ったか、と訊かれた鈴木館長は、

とてもやりやすかった。Aの作品もFの作品もしっかりしていて、そのままアニメ化できる。2人の作品は内容が緻密。違う生き物が異世界からこちらへやってくる作品が多く、今の世界を舞台にできて、現実感があるのでつくりやすい。まるっこい絵なので描きやすかった。

と答えた。



 アニメーターとしての鈴木館長について問われた藤子A先生は、

全面的に信頼できる。センスが抜群。おしゃれで先端を行っている。

と鈴木館長を絶賛。



 その後、藤子・F先生との出会いやコンビ解消についての話になった。藤子A先生は、藤本少年(藤子・F)が初めて声をかけてきたときのことをこう語った。

転校したばかりで友達もいなくて、1人でノートに絵を描いていた。すると藤本くんが横に立って、「おまえ、うまいのぉ」と話しかけてきた。藤本くんもマンガを描くというので見せてもらったら、びっくりするくらいうまかった。僕は伊藤彦造樺島勝一の挿絵をまねて描いていたが、藤本くんは、手塚タッチとはまた違うあたたかみのある、見ていてよい気持ちになる絵を描いていた。のちの『ドラえもん』の絵柄に通じるものがあった。藤本くんは藤本くんで、僕の絵を気に入ってくれたようだ。

 トークショーも終盤に入り、藤子A先生は自作のアニメ化について、このように発言。

僕の作品のアニメ化が決まり、キャラクター表を見せてもらうと、それは僕のキャラではなくアニメーターのキャラになっていることが多い。それで喧嘩になる。いくらアニメとしては素晴らしくても、僕の原作を読んでいる子どもたちは、「違う!」と思うはず。アニメはアニメでいいんじゃないかという意見もあるが、僕は自分の作品を愛しているから、アニメ化される以上、自分のイメージに合った、あるいは自分のイメージを超えたものにしてほしいと願う。


  鈴木館長は、今後アニメ化したい藤子A作品を訊かれ、『怪物くん』をもう一度作りたいと返答してから、『ひっとらぁ伯父サン』を作ってみたいと思っていた、と発言。『ひっとらぁ伯父サン』をもし作るなら、アニメのなかに実写も使って作品化したい、という。それを受けて藤子A先生は、(商業的には難しそうなので、作るにしても)自主制作になりそうだな、とコメント。実際に企画が持ち上がっているわけではないようだが、『ひっとらぁ伯父サン』のアニメを鈴木館長が作るなんて、実に夢が膨らむ話だ。『ひっとらぁ伯父サン』自体は悪夢のような内容の話だが。



 トークショーの締めは、藤子A先生がホワイトボードにイラストを描くという、ファンにはたまらない実演企画だった。A先生はいったい何を描くのだろうと注視していたら、一番初めにモジャモジャした線を描き出したので、すぐに小池さん(=鈴木館長)だと分かった。座布団の上にあぐらをかいてラーメンを食べる、お馴染みの小池さんの姿が徐々にできあがっていった。
 藤子A先生は、ズボンの点描をこまかく打ったり、座布団に模様をつけたりと丁寧にペンを進めた。小池さんを描き終えると、トキワ荘時代の裸電球も加え、「杉並アニメーションミュージアム鈴木伸一館長」と記して、イラストは完成。ラーメンのどんぶりの模様と、小池さんのセーターの模様を同じにするという芸の細かさも見せてくれた。
 藤子A先生が小池さんを描いている最中、片山さんが「鈴木伸一館長がスタジオ・ゼロ時代に下宿していた家が小池さんだった。小池さんは鎌倉の名士で、今でも家が続いている。小池家へ行くと、鈴木館長の肖像画が飾ってある」と説明した。




 トークショーが終わってからは、「ドーン!! 藤子不二雄A〜アニメの世界展〜」の展示物を見学したり、藤子スタジオのかたに携帯電話の藤子Aコンテンツに関する情報を教えてもらったりしてすごした。そうこうしているうちに、控え室から藤子A先生と鈴木館長が出てきた。館内の展示物を見るため出てこられたようだが、その前に、2人の巨匠と我々が並んで記念撮影をしていただけた。感激である。



 同展の展示物で最大の見ものは、スタジオ・ゼロ藤子スタジオが入っていた市川ビル3階の窓ガラスの実物だ。この窓には「スタジオゼロ」という大きな白いロゴシールが貼ってあるのだが、ここで展示されている現物にはなぜか「ゼ」の字だけなかった。市川ビルは2003年に取り壊され、私は貴重な文化財が失われてしまったと落胆したけれど、その窓がこうして保存されていると分かってホッとした。
 そのほかの展示物では、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑ゥせぇるすまん』『プロゴルファー猿』の原画のコピーや、『プロゴルファー猿』のゴルフクラブを実物化したもの、『怪物くん』『忍者ハットリくん』の石膏像、各藤子Aアニメのキャラクター設定の資料が目にとまった。




●注:この記事で紹介した藤子A先生や鈴木館長の言葉は、実際の発言そのままの言い回しではなく、私が要約したものです。また、簡単なメモと頼りない記憶を元に書いているので、実際の発言と多少ニュアンスがズレている可能性もあります。

*1:藤子A先生は「ミドロが沼」を「ミドロが沼の怪人」と発言し、鈴木館長と片山さんに「怪人は要りませんよ!」とダメ出しを食らっていた。