藤子不二雄A先生の結婚を報じた週刊誌

koikesan2005-12-16

「週刊平凡」(平凡出版)1966年6月23日号に「オバQも舌をまいた恋愛隠密作戦」という2ページのモノクロ記事が掲載されている。この当時ブームの真っ只中にあった『オバケのQ太郎』の作者である藤子不二雄の半分、安孫子(藤子A)先生の結婚を報じる記事である。安孫子先生が後年になってインタビューや文章などでご自分の結婚について振り返った記事はいくつかあるが、「週刊平凡」のこの記事は、〝今週の話題〟としてリアルタイムで安孫子先生の結婚をとりあげたものであり、その意味でホットな感覚を味わえる貴重な資料といえそうだ。
 安孫子先生と新婦の和代さんがウェディングケーキに入刀する写真が添えられているのも嬉しい。


 記事の本文はこのように始まる。

マンガの人気者『オバケのQ太郎』の作者の一人、安孫子素雄氏の結婚式は、5月24日東京ヒルトンホテルで彼らの尊敬する先輩、手塚治虫氏の媒酌で行なわれた。
新婦は、ことし27歳になる猪目和代さん。共立女子大学英文科卒という才媛であり、また、吉以登(きいと)の名まえをもつ若柳流の日本舞踊の名取りでもある。
「3年くらい前に、絵の仕事を手伝ってもらっていらいのつきあいです」と安孫子氏はいうが、彼のいるスタジオ・ゼロの仕事場では2人の交際をだれも気づかなかったというくらいの隠密作戦(?)であったらしい。

 安孫子先生が和代さんとの交際をスタジオ・ゼロの仲間たちに内緒にしつづけていた一件が、この記事の見出し「オバQも舌をまいた恋愛隠密作戦」につながっていくのである。


 安孫子先生と和代さんの馴れ初めについて、この記事では「3年くらい前に、絵の仕事を手伝ってもらっていらいのつきあい」としか触れられていないが、他の資料によると、安孫子先生は和代さんの顔を初めて見たとたん、それまで周囲に喧伝していた独身主義をあっさりと撤回し「彼女と結婚したい」と思ったそうだ。
 当時、仕事が忙しくなってきた安孫子先生はアシスタントの必要性を感じ、挿絵画家・小林秀美画伯のもとに頼みに行った。安孫子先生と小林画伯は草野球を通じて知り合った仲だが、その小林画伯のところには女子大生やOL、ホステスなど若い女性が集まるサロンのようなものがあり、そこから手の空いた人を1人紹介してもらおうと考えたのだ。そのとき小林画伯が紹介してくれた女性が和代さんで、安孫子先生は中野の喫茶店で初めて彼女と対面した瞬間、「結婚したい」と思ったという。
 そうして、安孫子先生の願いどおり、出会いから3年の交際を経て、めでたく結婚へと至ったわけである。


 念願かなって一目惚れの相手と結婚することになった安孫子先生だが、結婚式の前日まで海外に滞在するという実にあわただしい日程を組んでいる。5月7日から、不二家のキャンペーン企画「オバQといっしょにケニアへ行こう!」で藤本先生やオバQファンの子どもたちとアフリカ旅行に出かけ、さらに藤本先生や子どもたちが帰国したのちも単独でヨーロッパへ行ったため、安孫子先生が帰国したのは結婚式前日の午後5時というギリギリの頃合になったのだ。結婚式の案内状も海外旅行中に届くよう手配してあったという。
「週刊平凡」の記事で安孫子先生は、そういう日程を組んだ理由としてこんな弁を残している。

「友だちにひやかされるのがいやなので、帰国もギリギリに、式の前日にした」

 それにしても、友達に冷やかされるのを避けるため、和代さんとの交際を3年間も隠しつづけ、結婚式の前日まで海外旅行に出かけてしまう安孫子先生の照れ屋さんぶりは並大抵ではない。大人になって社交的な遊び人に変身した安孫子先生だが、こうした極端な行動からは、赤面症で「電熱器」とからかわれていた幼少期の名残が感じられる。


「週刊平凡」の記事はその後、「藤本氏は、安孫子氏よりひとあし先の昭和37年にお見合いで結婚して、いまでは匡美ちゃん(生後10ヶ月)というかわいい子供も生まれた」とか「『オバQ』は藤本氏がQちゃんをかき、安孫子氏が正ちゃんをかくという分担作業」などと相棒の藤本先生との関係に言及し、最後に、安孫子先生には恐妻家の素質があるという話題を展開している。
 そこでは、恐妻家の素質を感じさせる安孫子先生の発言として、こんなものが紹介されている。

「結婚を機会になにかひとついいことをしようと一念発起して女房に禁酒を誓いました」

 また、その話題のなかで藤本先生はこんなことを言っている。

「結婚してからは、帰りもボクより早く帰って抜けがけするんですから」

 新婚ホヤホヤの安孫子先生は、新妻に禁酒を誓い、藤本先生より早く帰宅するという絵に描いたような理想の夫であろうとしたみたいだが、それも長続きしなかったようで、夜の酒場で遊ぶ行為はその後さらに頻度と規模を増し、長年のあいだずっと続いていったのだった。
 別の資料で安孫子先生は、結婚するとき奥様に「結婚後はどんなに遅くなっても必ず毎日家へ帰る」と約束したのに、新婚旅行から帰った翌日から10日間仕事場で泊まってしまったので、いまだに頭が上がらない、と述べている。この当時の安孫子先生は、オバQブームの真っ只中だったうえ、『怪物くん』『忍者ハットリくん』『フータくん』などヒット作の連載をいくつも抱えていて、猛烈に忙しかったのである。


 安孫子先生の奥様・和代さんは、1985年の大晦日に脳内出血で倒れ、左半身麻痺と失語症になってしまった。安孫子先生は、その当時の様子を日記形式にして本にまとめている。
●『たのむよ 和代氏、もう一度しゃべって』](中央公論社/1997年3月発行)
●『妻たおれ 夫オロオロ日記』](中公文庫/2000年5月発行/『たのむよ和代氏、もう一度しゃべって』を改題して文庫化)


 和代さんは、根気のよいリハビリによって言葉を取り戻し、安孫子先生の弁当をつくれるくらいに回復している。今年6月、岐阜県の大垣女子短大で特別講義を行なった安孫子先生は、和代さんを大垣に連れていらしていた。そんな遠出ができるのだから、お元気な証拠である。