「ほんもの図鑑」「地球製造法」放送

わさドラ』2月3日放送分は、来月4日の映画『のび太の恐竜2006』公開に向けた、恐竜ちょっとだけスペシャル第1弾。スペシャルといっても、番組の放送時間を拡大するのではなく、通常の放送枠のなかで恐竜を題材にしたエピソードを放送していく、というもののようだ。



●「ほんもの図鑑」

初出:「小学二年生」1971年12月号
単行本:「てんとう虫コミックス」6巻などに収録

【原作】
〝ほんもの図鑑〟とは、その外面をポンと叩くと、開いたページに載っている生き物やら食べ物やら乗り物やらが、本物になって出てくる、という道具。からっぽの箱から本物の鳩が出てくる類の、手品の演目を観ているような楽しさがある。


 のび太はめがね猿にそっくりと悪口を言われるが、まったく怒らない。なぜならのび太は、めがね猿がどんな姿をしているか知らず、自分に似ているならよほど立派な顔の猿だろう、と思っていたからだ。のび太の無知と自惚れが、悪口としての「めがね猿」という喩えを無効化したのである。
 この場面は、悪口を言われても怒らないのび太の姿を見て「はりあいないや」とつぶやくスネ夫たちと、のび太がめがね猿と悪口を言われた事実を知って怒るドラえもんと、自分に似ているなら立派な猿だろうとあくまでも能天気なのび太の、3コマの展開が愉快だ。
 そういえば、私が子どものころも、眼鏡をかけている子は「めがね猿」と仇名され、からかわれていたような気がする。眼鏡をかけていれば「めがね猿」に喩えられるのが定番だったのだ。


 しずちゃんが「オバケ図鑑」から出した数々のオバケのなかにオバQが混じっているのは、藤子ファン的に重要なポイントだ。


 スネ夫が「大むかしの生きもの図鑑」からマンモスを出す。実に個人的な話になるが、マンモスといえば、昨年開催された愛知万博で、永久凍土から発掘された冷凍マンモスの頭と脚を見学したことを思い出す。世間的にはこの冷凍マンモスばかりが話題になったが、愛知万博ではほかにロシア館でマンモスの骨格標本が展示されていて、そちらのほうが全身の骨が組み上げられているぶん素人目には見栄えがするものだった。とはいえ冷凍マンモスは、およそ1万年前に絶滅したと言われるこの動物の本物の肉や皮膚や体毛を見られるという点で珍しさがあり、そこに感動もあった。この冷凍マンモス、現在はフジテレビの敷地で公開されているそうだ。
 マンモスの気を静めるため、ドラえもんが「ぞうさんぞうさん、おはなが長いのね」と童謡を歌うところが笑える。
 マンモスをつかまえるため、のび太が「お話図鑑」から強いヒーローを出すが、あっさりとやられてしまう。そのヒーローたちが、ウル○ラマンもどきであったり、スー○ーマンもどきであったりと、有名ヒーローのパチモン臭さを漂わせているのもおもしろい。



わさドラドラえもんVSマンモス! ほんもの図鑑)

のび太がめがね猿と言われたことを知って怒るドラえもん。だが、「ぼくに似てるならよっぽど立派な顔だろう」とあきれたことを口走るのび太に対して口あんぐり。この、顎が外れんばかりのドラえもんの表情がおもしろかた。それから、ほんもの図鑑を友達に持っていかれたのび太に抗議するドラえもんの、何度も繰り返し跳び上がる動作も可笑しかった。「ほんと、きみはいい友達をもってるねえ」と皮肉まで言っちゃうドラえもんも、いい味だ。


・「たべもの図鑑」のお菓子を食べてしまったジャイアンは、お菓子を買って返すことになる。菓子屋で財布からお金を出そうとするジャイアンの表情が、口を3にして頬に線の入った原作の表情と同じで目を奪われた。それにしても、ジャイアンのお小遣いで、食べてしまったお菓子を全種類買えるのだろうか?


・「オバケ図鑑」は、「やさしいオバケ図鑑」にマイナーチェンジ。そこから出てきたオバケたちのなかにオバQはいなかった。容易に予測できた事態だが、それでも一抹の寂しさを感じた。



●「地球製造法」

初出:「小学三年生」1973年3月号
単行本:「てんとう虫コミックス」5巻などに収録

【原作】
〝地球セット〟を使って本物そっくりの地球をのび太の部屋のなかに作ってしまおうという話。それも、われわれが暮らす現在の地球を作るのではなく、まだ太陽ができたばかりの宇宙で地球を生成するところから始め、生物の誕生・進化にたちあいながら、長大な地球の歴史を再現しようというのだから、のび太の部屋のなかという狭いスペースで行なうにしては、途方もなく壮大な行為である。これは、のび太が作中で「つまりぼくは、この世界の神さまだ」と発言しているとおり、普通の人間が造物主(=神)の役割を果たそうとする所業ともいえる。


 本作で扱われた〝ミニチュア的空間で地球の歴史を再現する〟というモチーフを、さらに本格的に作品化した藤子・F作品として、SF短編『創世日記』(「マンガ少年」1979年7月号)を挙げられる。この『創世日記』や「地球製造法」などの作品に対しては、藤子・F先生の「造物主願望」や「ミニチュア(箱庭)趣味」「神話的物語への愛着」といった心理の現れだという切り口で論じる向きもある。
 藤子・F先生が、地球の生い立ち、生物の進化、人類の誕生、文明の発展など、〝もうひとつの歴史〟を俯瞰的な視点で物語る営為は、いま挙げた2作以外にも、多くの藤子・F作品でなされた試みであり、そこで描かれた〝もうひとつの歴史〟は、史実に基づいたものもあれば、パラレルワールドのような現実の歴史から少しズレたものもあるし、現実の歴史から相当遊離した空想度の高いものもある。藤子・F先生は、そうやって、さまざまなバリエーションで〝もうひとつの歴史〟を語ることで、ほんらい神ではない作中人物に神の役割を負託したりしながら、F先生自身も神の視野と機能を獲得していったのである。
 こうした、藤子・F先生の〝もうひとつの歴史〟を物語る試みは、数々の藤子・F作品で見られる、タイムトラベルの物語とそれに付随するタイムパラドックスの仕掛け、人生やり直しのテーマ、もしあのときこうしていたらという発想、歴史へのロマン、恐竜・古生物・絶滅動物への愛情などなど、〝過ぎ去った時間の回復〟と括れそうな諸要素と相関しながら、一種の体系をなしていると私は考えている。
 また、そんな〝もうひとつの歴史〟を物語る作品群の一部には、もうひとつの世界を描くパラレルワールド物に含まれるものもあるだろう。
 そうやって〝もうひとつの世界〟を想像し構築し様々な可能性をシュミレーションしていく快楽が、藤子・F先生の創作行為に根差していたような気がするのだ。


「地球製造法」は、リアルな地球を作り上げようというとてつもなくスケールの大きな話だが、そのために用いる物といえば、シート状のパーツを部屋に敷き、その周辺内でのみ作業を行なうという「お座敷釣り堀」「趣味の日曜農業セット」にも似たお座敷系の道具で、やろうとしていることと、そのために用いる道具との、スケール感のちぐはぐさが可笑しい。


 自分らが作った地球の内部に入ったドラえもんのび太は、ティラノサウルスとおぼしき肉食恐竜に追いかけられる。生命の危機に瀕して懸命に逃げまわり、ようやく出口を発見したときのドラえもんの表情が凄い。命を失うかもしれない極限の状況に置かれた恐怖と、出口を発見したことで危機から解放される安堵が入り混じって、妙な迫力が浮かんでいる。


 のび太は、本物そっくりの地球を自慢しようとジャイアンスネ夫を呼ぶが、2人がやってきたのはその地球が爆発して単なる泥の塊になりはてたあとだった。「べんかいする気にもなれない」と背中を向けるのび太の気持ちが痛いほどよくわかるが、それでも笑いがこぼれてくるおもしろいオチになっている。のび太をいじめてやるつもりだったジャイアンスネ夫が、泥の塊と化した地球を見て失笑し、いじめる気すら失せているように見える描写も秀逸。



わさドラ(恐竜ちょっとだけスペシャル、登場! 地球製造法)

・大枠で原作どおりのストーリー展開を見せながら、ジャイアンの作ったプラモが水陸両用になっていたり、最古の両生類が紹介されたり、ドラえもんのび太が地割れ部分を果敢に飛び越えたりと、適度なアレンジが加えられていた。最も大きなアレンジは、恐竜の場面が増えたことだろう。原作に出てこなかったトリケラトプスやステゴサウルスなどを描くことで、この作品が〝恐竜ちょっとだけSP〟であることをアピールしていた。のび太ドラえもんがせっかく恐竜時代に来ているのだから、こうやって恐竜のシーンを増やしたのは、よいアレンジだったと思う。


のび太に未来のプラモをねだられたドラえもん、原作では「未来にプラモなんかないの」と言っていたが、『わさドラ』では、「未来の世界だってプラモはプラモだよ」と、とりあえず未来のプラモの存在を認めていた。


・ちりやガスから地球が出来上がっていく映像は、色と動きと音があるおかげで、なかなか見応えのあるものになっていた。