「未来の国からはるばると」放送

 3週間連続で放送を休んだアニメ『ドラえもん』が、4月21日(金)、ようやくお茶の間に帰ってきた。今回は「新生ドラえもん1周年記念スペシャル!!」ということで、大山ドラ時代の懐かしの映像ランキングと、「大山ドラ」初期のOP映像を流した。本編のほうは、原作の第1話にあたる「未来の国からはるばると」をアニメ化。
20日(木)の日記でとりあげた報道記事に、「大山のぶ代復活」「この2週間は大山のぶ代(69)ら懐かしのメンバーが声優を務める」なんて書いてあったものだから、私は、「大山ドラ」が本格的に放送されると思い込んで過度に身構えてしまったが、実際に放送を観てみれば、「大山ドラ」に関してはランキングコーナーで短く小刻みに紹介される程度だったので、なんだか肩透かしを食らった気分だ。これでは、「大山ドラ」復活を喜んだ人も、抵抗を覚えた人も不満が残るだろう。報道記事の表現がとにかく誇大で、「この2週間は大山のぶ代(69)ら懐かしのメンバーが声優を務める」というくだりなどは間違いと言って差し支えない。



●「未来の国からはるばると」


【原作】

初出:「小学四年生」1970年1月号
単行本:てんとう虫コミックス第1巻などに収録

 マンガ『ドラえもん』の連載第1回は、「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」「小学二年生」「小学三年生」「小学四年生」の1970年1月号で同時にスタートした。実際にこれらの雑誌が発売されたのは、1969年12月になる。6誌同時のスタートながら、その6誌に同じ話が掲載されたわけではなく、読者の年齢に合わせて6通りの第1話が描かれた。ドラえもんが未来の世界からのび太の部屋へやってくるという大枠は同じだが、話の具体的な部分でそれぞれに違う展開が見られる。
「小学四年生」で発表された「未来の国からはるばると」は、そんな6通りの第1話のうち最もポピュラーなものであり、なぜポピュラーかといえば、分かりきったことだが、『ドラえもん』単行本の元祖でありスタンダードである「てんとう虫コミックス」に収録されているからだ。マンガ『ドラえもん』をてんとう虫コミックス第1巻の第1話から順当に読みはじめた人が初めて出会うエピソードが、「未来の国からはるばると」なのである。



 かくいう私は、てんとう虫コミックスを読みだす以前に小学館学年誌で『ドラえもん』をぼちぼちと読んでいたし、てんとう虫コミックスで初めて買ってもらった巻が1巻ではなかったので、「未来の国からはるばると」が『ドラえもん』初体験というわけではない。だから「未来の国からはるばると」を初めて読んだとき、ずんぐりむっくりした体型のドラえもんが奇異に感じられたことを、今でもよく憶えている。
「未来の国からはるばると」以外の第1話を読んだのは、1984年6月8日、藤子不二雄ランドドラえもん』第1巻(中央公論社)が発売されたときである。私は高校1年生だった。その藤子不二雄ランドドラえもん』第1巻に、「未来の国からはるばると」のほか、「小学一年生」〜「小学三年生」の第1話が収録されていたのである。私は、幻だったそれらの第1話を目にして大いに感激した。そして、複数の第1話をまとめて読んだことで、なんだか不思議な感覚にとらわれた。
 このうち「小学二年生」の第1話は、のちに、ぴっかぴかコミックスドラえもん』第1巻(2004年発行)と、てんとう虫コミックススペシャル『ドラえもんカラー作品集』第5巻(2005年発行)に収録。また、「小学一年生」第1話は、「ドラえ本 ドラえもんグッズ図鑑3」(2000年発行)に再録された。
「よいこ」「幼稚園」の第1話については、今のところ単行本未収録である。



「よいこ」の第1話は、全部で11コマ(4ページ)しかなく、机の引出しからいきなり出てきたセワシが、一緒にやってきたドラえもんを紹介しがてら「おとしだまにどらえもんをあげる」と言うが、のび太「いらないよ そんなへんなの」と断り、その後も「ひきだしからでてくるなんてきもちわるいや」「そばへくるなっ」と、4コマめまでドラえもんを拒否し続けるのだった。「幼稚園」第1話(4ページ/12コマ)ののび太も同じような反応をするが、「そばへくるなっ」とまでは言わない。
 また「よいこ」第1話のドラえもんは、最後にズレた働きをしてのび太を困らせるが、「幼稚園」では普通に良いことをして、「ともだちになろうね」とのび太に好感をもたれて終わる。
 あと、「よいこ」版の10コマめに、ドラえもんが獣のように四本足で駆け出すシーンがあって、面食らう。




【アニメ】(ドラえもん登場の思い出 未来の国からはるばると)
 原作では第1話にあたる「未来の国からはるばると」も、当然ながら「わさドラ」では第1話ではないので、ドラえもんがやってきた日のことを現在ののび太が回想するという導入方法がとられた。



「首つり」のネタはやはりまずいようで、「針地獄」に変更。屋根から落ちたのび太は、木の枝に引っかかるのではなく、庭のサボテンに尻もちをつくことになった。
 羽子板で負けた罰でのび太の顔を真っ黒にする役目*1は、原作のジャイ子から、アニメではジャイアンに変更。原作でのび太ジャイ子に向かって「おまえなんか、ぜったいもらってやらないから」と怒鳴るシーンも、フェミニズムの観点からか、ニュアンスが改められた。ジャイ子本人への嫌悪感より、ジャイ子と結婚すればジャイアンが兄になることのおぞましさに視点が移されたのだ。



 本作で最も心に残ったのは、以下の場面だ。

ドラえもん「未来を変えるのは、きみ自身だよ」
のび太「えぇ〜っ!?」
ドラえもん「ぼくはちょっとした手伝いをするだけ。きみが宿題を忘れないように注意してやったり…」
セワシ「大けがをするはずのところを、こぶくらいで済ますとか、そんなことだよ」
のび太「なんだ… それじゃあ未来は大して変わらないよ」
セワシ「そうでもないんだ。小さなことの積み重ねで未来は変わっていくんだ」
ドラえもん「結局、未来をすばらしくするかどうかは、きみ次第なんだよ」

 ドラえもんは、のび太の運命を変えるため未来の世界からやってきたわけが、ドラえもんにできるのはのび太の〝ちょっとした手伝い〟程度であって、運命を変える主体は、あくまでものび太の行動や意思であるということが、登場人物のやりとりによって明確に示された。のび太のささやかな援助者であるドラえもんの役割と、のび太の未来を変えるのは本人次第というのび太の主体性が強調された格好だ。
 この追加シーンは、「自分で努力することが大切」「日々のこつこつとした積み重ねが未来を良い方向へ変える」「自分の運命は自分で切り開くもの」といった教育的な含意があるのだろうし、「のび太ドラえもんに頼りすぎる」「ドラえもんのび太を甘やかしすぎる」という典型的なドラえもん批判に対する「わさドラ」側の態度表明の意味もあるかもしれない。

*1:今回の「未来の国からはるばると」は舞台が正月ではないため、羽子板からバドミントンに変更された