「おばあちゃんのおもいで」「ジーンと感動する話」などレビュー

koikesan2006-07-02

 6月30日(金)放送のアニメ『ドラえもん』は、「ドラえもん!キャンディーなめてジーンと感動するおばあちゃんスペシャル」。作品の合間合間に、速水もこみち相武紗季が登場し、ドラえもんと短いトークを展開した。



●「キャンデーなめて歌手になろう」
【原作】

初出:「小学五年生」昭和48年8月号
単行本:てんとう虫コミックス第8巻など

ドラえもん』にはほぼ毎回ひみつ道具が登場するが、そのひみつ道具の原理やメカニズムをもっともらしく科学チックに説明する回と、そういう理屈付けをまったく(ほとんど)しない回とがある。「キャンデーなめて歌手になろう」は、前者に相当する。本作のドラえもんは、「きみの声もん」と言ったあと「指もんが、ひとりひとりちがうように、声にもそれぞれとくちょうがあるんだよ」と薀蓄を披瀝し、「そのとくちょうをとらえてキャンデーにするのが、この機かいなんだよ」と説明したのち、声のキャンデーを実際に使ってみせる。『ドラえもん』は、こうしたもっともらしい科学チックな説明がさらっと盛り込まれるところも魅力なマンガである。


 ドラえもんのび太の声で「宿題なんか、うっちゃらかしてさ」と言う場面がある。この「うっちゃらかす」という言葉が小学生時代の私には馴染みがなく、その独特の語感に不思議なインパクトをおぼえたものだ。


 ジャイアンの歌を聴くみんなのげんなりしたリアクションが最高。とくに、のび太「のうみそがむずむずしてくる」、スネ夫「目がまわってさむけがして」、ドラえもん「これも公害の一しゅだよな」と3人が続けて不快感を示すくだりは秀逸だ。読者の聴覚に直接訴えることのないジャイアンの歌声の尋常でない加害力を、本当に脳みそがむずむずして寒気がしてくるほどの臨場感で伝えてくれる。


 ドラえもんは本作で、のび太のび太のママ、しずちゃんジャイアンの母ちゃんの声を発するが、マンガというジャンルの性質上、読者にその声の変化を音で伝えることができない。音で伝えられないぶんを、ドラえもんの言葉づかいの違いやその声を聞いた人の反応で補って、ドラえもんの声が別人化したことを巧みに表現している。



アニメ】(ジャイアンの甘〜い声! キャンディーなめて歌手になろう)


ドラえもんのび太のママやしずかちゃんの声を出すのを、文字でなく音声でダイレクトに表現できるのが、アニメの利点だ。しずかちゃん声のドラえもんが、のび太に「好き、好き」と言うところなど、ドラえもんの見た目と声のギャップが妙に可笑しかった。


・「スネ夫の声のキャンディーなんてなめる気しないや」とつぶやくのび太の、いかにもイヤそうな表情が印象的だった。口元のしわや頬の汗が効果をあげている。


ジャイアンリサイタルが終わったとたん、みんなが感動して涙を流す。ジャイアンの歌に感動したのではない。拷問のようなリサイタルからようやく解放されたことに感動しているのである。その感動の涙が、ジャイアンの歌を聴く苦しみの大きさをありありと伝えてくれる。


ジャイアンの口の動きに合わせ、スキマスイッチの「ボクノート」が聴こえてくるのは、なかなかの迷シーンだった。空き地でスキマスイッチの歌声が聴けるなんて、ある意味ぜいたくなリサイタルだw




●「おばあちゃんのおもいで」
【原作】

初出:「小学三年生」昭和45年11月号
単行本:てんとう虫コミックス第4巻など

 何度読んでも感動できる話だ。読者のノスタルジーを誘発し、そこから目が潤むほどの感動体験へと導いてくれる珠玉の名作である。
 冒頭、ガラクタ箱から落っこちてきたつぎだらけのくまのぬいぐるみ。このアイテムからして、胸の底に眠っていたノスタルジーを掘り起こしてくれる力がある。それは、必ずしもくまのぬいぐるみである必要はない。昔遊んだスーパーカー消しゴムだったり、昔読んだアンデルセン童話集だったり、昔かぶっていた黄色い帽子だったり、読者それぞれの記憶の中から、のび太にとってのくまのぬいぐるに相当する物を思い浮かべればいい。
 大掃除やら引越しやら家具の移動やらをして、ふとそんな昔の私物を見つけたとき、日常の生活に追い立てられてすっかり忘れていた幼少時代の思い出が蘇り、たまらなく懐かしい気持ちが胸に広がる。それと似た気持ちが、「おばあちゃんのおもいで」の冒頭を読むことで読者の内に喚起されるのだ。



 そのあとすぐ、物語の主眼は、懐かしい物から懐かしい人へと移っていく。のび太は、くまのぬいぐるみをきっかけに、のび太が幼稚園のころ亡くなったおばあちゃんを思い出す。それにつられて読者も、自分のおばあちゃんやおじいちゃんや、今はもう会えない大切な誰かのことをじわじわと思い出し、作中ののび太に感情移入していく。もちろん、具体的な誰かを思い出さなくとも、おばあちゃんを懐かしむのび太に深く感情移入できるだろう。



 そのような心理状態が読者の内にできあがってから、のび太は、いよいよタイムマシンで過去へ向かう。自分が幼かった時代の家の様子、近所の風景、まだ若いママ、幼い友人たち、幼少の自分自身…… そうした舞台装置に魅入られながら、ついにおばあちゃんの登場場面に到達。おばあちゃんの姿を見たのび太の「生きてる。歩いてる!」という感動表現は、読者もまたその場面にナマで立ちあっているようなリアリティを生成する。


 終盤は、おばあちゃんとのび太のやりとりになる。おばあちゃんののび太を思う気持ちと、のび太のおばあちゃんを思う気持ちに心打たれ、読者の目にも涙が浮かんでくる。涙が浮かぶどころではなく、大量に流れ落ちるかもしれない。
 さっきから〝読者〟という第三者的な表現を用いているけれど、この読者とは要するに〝私〟だ。「おばあちゃんのおもいで」を読んだ私の心理を、読者という言葉に託して、なるべく客観的に記述してみたのだ。
 私も生まれたときから祖母と同じ家で暮らしていた。祖母が亡くなったのは私が大学生の頃。私の祖母は、のび太のおばあちゃんと違って気が強く短気で口やかましいタイプだった。だが、孫である私のことはずいぶんかわいがってくれた。祖母が生きているうちに何かしてあげられたかと思うと悔いばかりが頭をもたげるから、私がいたというそのことが祖母を喜ばせていたのだと都合よく思い込むことにしたい。なんだか、そう言ってるうちに泣けてきそうだ… (ちなみに、母方の祖母は健在です)



【アニメ】(あの名作をもう一度… おばあちゃんの思い出)


「おばあちゃんの思い出」については、2000年に公開された渡辺歩監督の映画のイメージが強く、この映画が巷で高い評価を得ていることから、作る側も観る側も、どうしてもこの映画を意識してしまうことになる。今回のサブタイトルのアオリに〝あの名作をもう一度〟と付けたのも、渡辺監督の映画を念頭においてのことだろう。私も、映画の印象から完全には離れることができず、とくにおばあちゃんの声や思い切り感動できるか否かという点で映画と比べてしまい、今回のアニメには違和感や物足りなさをおぼえた。
 このレビューでは、原作マンガとの対比でわさドラを見ていくことに眼目を置いているので、ここからはなるべく映画の影響から離れて語っていきたい。



 今回のアニメでは、くまのぬいぐるみが原作より強い意味を持たされた。まず、くまの左目にボタンが縫い付けられていることが、後半のエピソードの伏線になっていた。ここで言う後半のエピソードとは、くまの失った左目と同じ物を買いに出かけたが見つけられなかったおばあちゃんに対し、幼いのび太が「おばあちゃんなんて嫌い」とわがままを言うところだ。現在ののび太は、くまのぬいぐるみを見て過去のそのエピソードを思い出し後悔の念を抱き、おばあちゃんに謝らなきゃという気持ちから、おばあちゃんに会いに行こうとする。後半のエピソードの伏線というだけでなく、のび太がおばあちゃんに会いに行く動機の面でも、くまのぬいぐるみは重要な意味を持たされているのだ。
 原作ののび太は、やさしかったおばあちゃんのことが無性に懐かしくなって純粋におばあちゃんに会いたくなったのだが、アニメでは、おばあちゃんに謝りたいという意思・目的を果たすためにおばあちゃんに会いに行こうとする。
 私としては、のび太がただただおばあちゃんという存在に会いたい一心から過去へ行き、その過去を舞台に、おばあちゃんがただただ純粋に未来から来たのび太の言うことを信じてくれる、という原作の構成に愛着があるので、今回のアレンジは、どちらかといえばありがたくないものだった。
 ラスト、「結婚してよ」とのび太に頼まれたしずかちゃんがのび太の顔に強烈な張り手をくらわすのも、その直前まで描かれていたおばあちゃんの場面の余韻を一気に打ち消すガサツさがあって好ましくない。
 そのように、私の好みで言えばマイナスのアレンジが随所に見られたものの、さすがに「おばあちゃんのおもいで」のアニメ化だけあって、全体を通して感動できる箇所がちらほらあったし、終盤にきてホロリとしてしまうところもあった。



 ドラえもんの「年よりだから、悪くするとそのショックでぽっくりと」というセリフや、小学生ののび太が幼年のジャイアンスネ夫の頭を拳骨で小突く場面や、ママの「かわいそうに。頭がおかしいのね」というセリフなど、現在の感覚からすると差別的・反教育的と思われる危惧のある原作の表現は、改変されるなり削除されるなりしていた。




●「ジーンと感動する話」
【原作】 

初出:「小学四年生」昭和50年6月号
単行本:てんとう虫コミックス第9巻など

 0点をとったため家に帰れないでいるのび太を、先生が熱く励ます。「目が前向きについているのは、なぜだと思う?」「前へ前へと進むためだ!」「ふりかえらないで、つねにあすをめざしてがんばりなさい」と。先生の言葉にのび太ジーンと感動し、その言葉を忘れないうちに自分も同じことを言って、みんなをジーンとさせてやろうと考える。
 のび太は、内容的には先生と同じことを言っているはずなのに、その話を聞く相手は、まともに取り合わなかったり、怒り出したり、あっけにとられたりして、誰一人としてジーンとすることはないのだった。このくだりを小学生時代に読んだ私は、同じ話をするにしても、それを言う人や聞く人、言うタイミング、言い回しの微妙な差異によって、感動的な話になることもあれば、くだらない話になることも、人を怒らせる話になることもあるんだ、と深く腑に落ちた。とりわけ、のび太から「あのね、目が前についてるのは前に進むためなんだよ」と聞かされたドラえもんの「?」「?」「?」という反応が絶妙で、のび太の口下手ぶりがおもしろく際立ってくる。



 ロケ中の西条ひろみを見物するしずちゃんが、興奮と感動のあまり露呈させる言動が笑いを誘う。のび太の胸倉をつかんで「ね!ね!のびちゃん、なんて感動的な歌かしら」と言ったあとまた西条ひろみのほうを向いて「心の底からジーンとなるわ。ウキーッ」と叫ぶしずちゃんの熱狂ぶりが可笑しいし、ここでしずちゃんのび太のことを「のびちゃん」なんて呼ぶのが珍しくて、印象に残る。「ウキーッ」と猿のような声を発するしずちゃんも珍奇で笑える。



 のび太のプウ〜というおならがジーンマイクを通して伝わり、みんなが、じじじいん、と大感動してのび太を追いかけだすオチは、ちょっとお下劣でばかばかしく、だからこそ底抜けに楽しい。のび太のおならに感動し涙顔でのび太を追いかけるみんなと、自分のおならがみんなに感動を与えてしまって恥ずかしがるのび太コントラストが笑えるし、こういう大げさな状況を生んだ原因がのび太のおならにあると思うと、非常にくだらない気分になってさらに笑いがこみあげる。




【アニメ】(もこみちくんと紗季ちゃんだ! ジーンと感動する話)


 テレビ朝日で新たに始まるドラマ『レガッタ』の番宣で、同ドラマ出演者の速水もこみち相武紗季がアニメキャラになって登場。声も本人があてた。原作の西条ひろみロケ現場のシーンが、アニメでドラマ『レガッタ』のロケ現場に変更されたのだ。
 それよりも何よりも、今回は、しずかちゃんの異常な弾けっぷりに尽きるだろう。速水もこみちを見て興奮したあげく「ウッキー!ウッキー!もこみちウッキッキー!」と奇声を発しただけでも十分に破壊力があるが、aki-radioさんが文字を大きくして強調されているように、最後の最後で、のび太のおならに感動して「もういっぺんこいて〜!」とお下劣なセリフを炸裂させるのだから、しずかちゃん一人ですべてをかっさらっていった感があるw




●藤子A新刊情報
6月30日から、ぴっかぴかコミックス『忍者ハットリくん』第4巻が発売中です。