大山のぶ代サイン会in京都

koikesan2006-08-06

 5日(土)、京都の大垣書店ダイヤモンドシティ店で、大山のぶ代さんのサイン会が開催された。『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』出版を記念したものだ。私は、6月11日東京で行なわれた同サイン会に参加したものの、東京より近い京都でも開催されると知って、こちらにも行ってこようと思ったのだ。
 藤子・F作品のファンサイト「藤子・F・不二雄FAN CLUB」の管理人・河井質店さんが「一緒にどうですか」と声をかけてくださったのも参加を決めた大きな理由である。河井質店さんの運転する乗用車に「はなバルーン倶楽部」(「ドラちゃんのおへや」「はなバルーンblog」)の管理人・おおはたさんと私が同乗して、この3人で京都へ向かった。河井質店さん、おおはたさん、私は、3人とも愛知県に住んでいるのだ。
 道中の大半は、名神高速道路の上で、藤子話を中心に会話を楽しんだ。
 河井質店さんは、わざわざ私の住む春日井市まで来て私を拾ってくださったので、ありがたかった。その前に、サイン会の整理券を獲得するため一度京都の大垣書店まで足を運んでくださっているわけで、それもまことにありがたかった。



 河井質店さんは、かつてテレビ朝日で放送されていた「ウッチャンナンチャン炎のチャレンジャー」の企画「ドラえもん王になれたら100万円」に出場し、見事に100問連続正解して「ドラえもん王」の称号を手にした人物である。そのとき100万円の賞金も獲得している。
 この企画が放送されたのは1998年なので、それからずいぶん時間が過ぎたが、車中でこの番組に出たさいの舞台裏話を改めて聞かせてもらうと、実に興味深かった。



 おおはたさんは、今月12日に東京で「ドラちゃんのおへや」オフ会」を主催するということで、その準備に追われているそうだ。残念ながら私はこのオフ会に出席できないが、当日の模様をおおはたさんのブログで読ませてもらうのを楽しみにしている。



 京都のダイヤモンドシティに到着すると、さっそく大垣書店前に足を運び、サイン会会場になると思われる場所を確認してから昼食をとった。そうして再び大垣書店前へ戻り、何らかの動きがあるのを待った。と、すぐ、サイン会用のテーブルや看板などが設営されはじめ、係の人から列を作るよう指示が出された。我々は、前から10番目くらいに並ぶことができた。ほとんど待たなくていい順番である。
 大山のぶ代さんとは6月のサイン会でお会いしたばかりとはいえ、自分が小学生の頃からずっと親しんできたドラえもんの声の主を目の前にするとなると、どうしたって気分が高揚し、そわそわしてくる。



 サイン会開始予定の午後2時になって大山さんが会場に姿を現すと、サイン会の列に並ぶ人、サイン会を見物する人から拍手が起こった。大山さんが「ぼく、ドラえもんでした!」とお馴染みの声を出すと、さらに大きな拍手が沸き起こる。
 サイン会がスタートすれば間もなく私の順番がまわってくる。東京では「大山さんとお会いできて感激です」と声をかけさせてもらったが、今回は大山さんがドラえもんの声を演じてくださった26年に感謝の意を示そうと「26年間、楽しませていただいて、ほんとうにありがとうございました!」とお礼を述べた。大山さんは、「いえいえ、こちらこそ、ありがとう」と言葉を返してくださった。
 そのあと、「大山さんの声じゃないドラえもんが始まるとは思ってもみませんでした」と、アニメドラ声優交替の報を聞いたときの率直な驚きを伝えたら、大山さんは「原作がしっかりしてるから、誰がやっても大丈夫なのよ」とにこやかに返答された。私は「そうですね!これからもドラえもんを観続けます」と決意表明したのだった。そういうやりとりをするあいだに、大山さんは、金色のマーカーで「ドラえもん大山のぶ代」とサインを書いてくださった。
 そして、大山さんと握手。係の人がその姿を写真に撮ってくださった。
 最後に、サインの書かれた本と、景品のドラえもん扇子を手渡され、私の番は終了。
 東京ではサインの為書きで自分の下の名前を書いてもらったので、今回は苗字を書いてもらおうと考えていたのだが、京都では為書き無しのサイン会となった。東京で全員に為書きをしたのが負担だったのだろうか。



 サインそのものが欲しいというより、大山さんの元気なお姿を拝見し、二言三言ことばを交わせたらいいなあと思って京都のサイン会に参加したので、その思いがかなって満足である。
 200人ほどの参加者に、常に笑顔で声をかけながらサインを書いていかれた大山さんが退場するのを拍手で見送ってから、我々も帰途についた。


 
 6日(日)は、広島で大山さんのサイン会が開催されたが、さすがに広島までは足を運べなかった。