「ビョードーばくだん」「ぼくをタスケロン」レビュー

 放送から5日も経過してしまいましたが、8月18日(金)アニメ『ドラえもん』で放送された2作品のレビューをアップします。



●「ビョードーばくだん」
【原作】

初出:小学五年生1980年9月号
単行本:てんとう虫コミックス26巻など

 本作では、ドラえもんが出したひみつ道具“ビョードーばくだん”によって、街中(日本中?)の人たちがのび太と同じ能力レベルになる。のび太を標準にして、皆が平等になってしまうのだ。ドラえもんの言葉を借りれば「(ビョードーばくだんを)爆発させれば、その灰をかぶった人はみな、きみみたいに頭悪く 弱くて ずっこけて……」という状態になるわけだが、その説明を聞いたのび太の「言い方は気にいらないけど、すばらしい」という反応が実に印象的だ。
「きみみたいに頭悪く 弱くて ずっこけて」とさんざん侮辱的な言葉を並べられながら、ビョードーばくだんの性能をただちに「すばらしい」と言い切ってしまえるのだから、のび太がいかに自分の置かれた不公平で不平等な状況に辟易としているかが理解できる。



 本作は、皆がのび太と同じレベルになることで、誰もがダメ人間なってしまい、あげくのはてに人々の生活や社会がまともに立ち行かなくなっていく顛末を描いている。私は、これを読むとガチャ子が登場する問題のエピソード「クルパーでんぱ」(小学一年生1970年11月号/単行本未収録)を思い起こす。「クルパーでんぱ」では、皆がのび太と同レベルになるどころか、のび太以下の能力になってしまうため、皆の駄目さ加減が「ビョードーばくだん」よりさらにひどい有様で描かれる。のび太以外の誰もが白痴化し、目が互い違いで鼻水を垂らしっ放しの顔になってしまうのだから、そりゃあ凄まじい様相だ。
 そんなわけで、皆の呆けっぷりの過剰さでは「クルパーでんぱ」に軍配が上がる。だが、生成されるシチュエーションの面白さでは、皆がのび太と同レベルになる「ビョードーばくだん」のほうに強みを感じるのだ。のび太の周囲がダメ人間だらけになる可笑しさは同じでも、「ビョードーばくだん」には、のび太にとって理想であった平等状態が達成された世界が、本当に実現してしまうと結局はのび太自身も困ってしまう反理想的な世界であった、という逆説的な面白さがあるし、のび太化した一人ひとりの言動を見るたびに「これがのび太標準の世の中なのか」と納得しながら笑える楽しさもある。



 もちろん、『ドラえもん』という作品の全体を読み通せば、のび太が単なるダメ人間でないことがわかるが、本作に限って見れば、皆がのび太と同レベルになってしまうというアイデアを活かすため、のび太のダメ人間ぶりを単純にわかりやすく抽出して笑いに結び付けているのだ。



 のび太の爪の垢を煎じた汁をビョードーばくだんに詰める、というくだりを読むと、すぐに「爪の垢を煎じて飲む」ということわざを思い出す。このことわざは、模範的な人物に少しでもあやかろうとするたとえとして用いられるが、本作ではそれを逆手にとって、のび太という非模範的な人物の爪の垢を煎じて使っているところが愉快だ。



 本作には、かけっこで皆が横並びになって同じ速さで走る一コマがある。こんな光景は、藤子・F先生がこの話を描いた1980年当時には絵空事の笑い話だったろうが、後年、かけっこで児童に手をつながせ横並びにゴールさせる学校が現実に出現し、結果的にこの一コマが予言的な色彩を帯びてしまった格好だ。



【アニメ】「全人類のび太化計画!? ビョードーばくだん」


のび太が側溝に落ちたら、ほかの3人も同じように側溝に落ちたところが可笑しかった。


のび太の爪の垢が強力な影響を及ぼした結果として、授業が昼寝になったり、店のおじさんがおつりを計算できなくなったり、警官が犯人を捕まえる意欲を失ったり、発電所が休んでしまったり、と原作にないシーンがいろいろ追加された。




●「ぼくをタスケロン」
【原作】

初出:小学五年生1979年9月号
単行本:てんとう虫コミックス20巻など

 のび太は、ジャイアンスネ夫にタスケロンを飲ませ自分に奉仕させようとするが、2人にその計画を見透かされ、逆にタスケロンを飲まされてしまう。そのため、自分の意思とは関係なく、困った人たちを助け続ける羽目に。そんなのび太の姿をしずちゃんがたまたま目撃。のび太のやさしさに心を動かされたしずちゃんが最後にはのび太を助けてくれる。
 本作は、人を助けることは善いことで、善いことをやっていれば最後には報われる、という素朴な訓話的要素を抽出しやすい作品だ。



【アニメ】「しずかは見た…。 ぼくをタスケロン」


ドラえもんは、世の中で助け合うことの大切さをのび太に説教するさい、「情けは人のためならず」ということわざを用いた。このことわざは、“情けはその人のためにならない”という意味に誤解されがちだが、正しくは、“人に情けをかけておけば、いずれめぐりめぐって自分のためになる。どんな場合でも人には親切にしておいたほうがよい”という意味である。まさに本作の内容に合致することわざだ。


・原作では瓶に入った球状の薬だったタスケロンが、アニメでは仁丹のような食べ物に。薬系のひみつ道具を薬でないものに変更するのは、新生ドラの常套的なやり方である。


・最近のアニメドラでのしずかちゃんは、弾けた言動を示したりキツい性格を発揮したりするところがよく目についたが、今回はやさしいしずかちゃんが見られてホッとした。弾けたりキツかったりするしずかちゃんも魅力的で面白いが、やさしいしずかちゃんを見ると、本来のしずかちゃん(私がしずかちゃんに期待するしずかちゃん像)に触れられた気分で、心が安らぐ。