「サンタイン」「うつつまくら」レビュー

 8月25日(金)のアニメ『ドラえもん』は、「サンタイン」と「うつつまくら」を放送。
 千秋がドラミちゃんの決め台詞を考える企画をやっているが、もともと決め台詞のないキャラクターに、とってつけたように決め台詞を与える必要はないのになあ、と思う。



●「サンタイン」
【原作】

初出:小学三年生1982年7月号
単行本:てんとう虫コミックス第33巻など

 本作は、固体・液体・気体と物質が三態に変化する性質をアイデアに用いている。三態変化は、理科で習う知識であるとともに、我々の日常生活でもよく見かける科学現象。そんな卑近な科学の知識を元に、人間の体が簡単に液体になったり気体になったりする空想的な話をこしらえ、科学する心とすこしふしぎな世界を身近な圏内で融合させている。『ドラえもん』が日常のなかの非日常を描いたSFギャグマンガであることを改めて認識させてくれる良作だ。



 話の終盤、のび太しずちゃんの家の風呂場に避難すると、タイミング悪く(良く?)しずちゃんがシャワーを浴びている。こうやってしずちゃんのび太に入浴シーンを覗かれる事態は『ドラえもん』の作中で何度も起こっているが、この事態に際して思い出すのが、「アニメージュ」1985年4月号での藤子・F・不二雄先生の言葉だ。
「藤子先生にとってしずかちゃんはどういう意味をもつ女の子なんでしょう?」との質問に、F先生は、「のび太がメロメロにまいっているヒロインなんですね。そのことは、読者も共感をもって見てくれないと困る。だから、その意味ではひとつのアイドルとして描ければと思ってますが…」と答えたあと、次のように述べている。

それと、ドラえもんの道具には他人のプライバシーをあっさり侵害しちゃうのがたくさんある。その被害者代表でもあります。「オバQ」の小池さんにあたります。だから、お風呂シーン(プライバシー)も、よく出てくるわけです。

 しずちゃんは、『オバケのQ太郎』における小池さんと同様、他の登場人物に軽々とプライバシーを侵害される役回りを付与されたキャラクターだったのだ。小池さんは、部屋でラーメンを食べているその目の前をQちゃんらがドタドタと通りすぎていくことでプライバシーを侵害され、しずちゃんはお風呂に入っているところを主にのび太に覗かれることでプライバシーを侵害される。小池さんとしずちゃんにとっては、そうされることが、作中のキャラクターとしての一つの意味であるということなのだ。
 ただ、小池さんがプライバシーを侵害される場面は、本筋とほとんど関係がなく、ナンセンスでとぼけた味わいがあるのに対し、しずちゃんがプライバシーを侵害される場面は、本筋としっかりかかわってきて、のび太のスケベ心の発露とか、のび太しずちゃんの関係に影響を及ぼすとか、読者へのサービスといった明瞭な意味を持たされることが多い。プライバシーに関心を持たれないのに無意味にプライバシーを侵害される小池さんと、アイドル的な存在としてプライバシーに興味を抱かれ、そのプライバシーが明かされることに価値を置かれるしずちゃん… 両者は、同じ役回りでも対照的な位置に存在しているようだ。



【アニメ】「風の強い日はご用心? サンタイン」


・液体化したドラえもんのび太がチャプンチャプンと揺らぎつつ動くさまは、アニメになってさらに目を引く楽しいものとなった。
 液体ののび太が風呂の排水口に吸い込まれるとか、気体ののび太が煙突の煙に混ざるのを避けるなど、液体や気体になったからこその異体験シーンを追加したのはよかったが、排水口から下水道へ流れ出たのび太を、ドラえもんがバケツで簡単に掬ってしまったのには少し無理を感じた。


・竹刀を手にしたカミナリさんが塀を飛び越してくる絵は、颯爽としてカッコよかった。


・ラスト、のび太がボロボロになって帰ってくる直前、部屋で一人お茶をすするドラえもんは、のほほんとして癒し系テイストが滲んでいた。




●「うつつまくら
【原作】

初出:小学三年生1970年9月号
単行本:てんとう虫コミックス第5巻など

 本作では、ひみつ道具うつつまくら”の力でのび太の夢とうつつが何度も入れかわるさまが描かれている。その夢とうつつの変転を整理すると以下のようになる。

(1) 夏休みが終って今日から新学期。のび太は夏休みの宿題をばっちりやって、調子がいい。のび太らしくない。
(2) 夏休み最後の日。宿題がたまっている。いつもののび太らしい。
(3) (1)の続き。新学期、遅刻もせず宿題もばっちりやったのび太に、友達や先生は戸惑ったり疑いをかけたり。
(4) (2)の続き。夏休み最後の日。宿題がたまっている。
(5) のび太の都合に合わせた世界。のび太は優秀で、周囲の人々から大仰に尊敬される。プロ野球にスカウトされたり外国のスパイに襲われたり、話がエスカレート。
(6) のび太らしく宿題をやっていないが、夏休みはまだ半分以上残っている。ドラえもんうつつまくらを知らないと言う。

(6)の場面が本作のラストであり、それまでの(1)から(5)までがすべて夢だった、という夢オチになっている。しかし、単純明快な夢オチではなく、どこまでが夢でどこまでが現実なのかはっきりとしない。単純な夢オチならば(6)の場面が確定的な現実という結論で終わるはずだが、本作の場合、のび太の「いったい、どれが夢なんだ」という台詞もあって、ラストの(6)の場面すら現実かどうか怪しいままなのだ。作中人物ののび太も、それを読んでいる読者も、夢とうつつの境界線を行ったり来たりして頭が混乱し、最後の最後まで不思議な眩惑感を残したまま、話が終了するわけだ。
 素直に(6)の場面を“現実”と解釈するなら、“うつつまくら”というひみつ道具ドラえもんの四次元ポケットの中に存在しないことになる。とすると、この話にはドラえもんひみつ道具がひとつも登場しなかったことになる。



【アニメ】「夢の中で夢を見てそれも夢…ってどれが夢? うつつまくら


ドラえもんの音痴な子守歌がちょっとしたインパクトを残した。こんな子守歌でスヤスヤと眠れるのび太はさすがだ。


・ラスト、どれが夢でどれが現実か頭を混乱させるのび太の思考が、のび太の台詞によって原作より詳しく説明された。