「ぞうとおじさん」

 当ブログ7日のコメント欄で野球とMSXさんが『げんしけん』のなかで見つけた藤子ネタを詳細に報告してくださった。『ドラえもん』の「ぞうとおじさん」や『エスパー魔美』を意識したセリフが見られるということだ。
「ぞうとおじさん」といえば、今年の終戦記念日にさいし、あるとことろでこの作品についてちょっとした文章を書いたので、それを加筆修正してここで紹介したいと思う。


 
「ぞうとおじさん」は、「小学三年生」昭和48年8月号で発表され、今はてんとう虫コミックスドラえもん』第5巻などで読むことができる。雑誌初出時のサブタイトルは「スモールライト」だった。
「ぞうとおじさん」には下敷きになった話がある。土家由岐雄さんのノンフィクション童話『かわそうなぞう』がそれだ。
かわいそうなぞう』は、おおよそこんなストーリーである。

 太平洋戦争が激化する世情のなか、東京の上野動物園で飼育中の猛獣が殺害されることになった。空襲で檻が破壊され猛獣が街へ逃げ出すのを防ぐ、という理由からだ。ライオンや熊、大蛇などが次々殺され、残ったのは象のジョン、トンキー、ワンリーだけになった。
 飼育員は、毒の入った餌を与えるが、象たちがその餌を吐き出してしまうため、なかなか殺すことができない。毒を注射しようにも針が折れてしまって駄目だった。そこで、餌や水を与えるのをやめ、象たちが餓死するのを待つことになった。
 象たちは人間から餌をもらうため、けなげに芸を披露するが、それも虚しく、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していくのだった。

 この童話は、現実にあった出来事が元になっている。上野動物園では実際に、昭和18年8月から9月にかけて、ライオン、トラ、ヒョウ、ホッキョクグマ、インドゾウなど14種27頭が、薬殺、絞殺、撲殺、絶食などの方法で処分されていったのだ。童話にあるように、空襲で檻が破壊され動物が街へ逃げ出すのを防止するためというのが最大の理由だが、食糧事情の悪化も要因のひとつだった。上野動物園へ行くと、今も象舎の近くに動物慰霊碑があるという。



かわいそうなぞう』を読んだF先生は、この悲劇的な物語を『ドラえもん』と結びつけることで、少しでも救いのある結末を提示したかったのだろう。そうして執筆したのが「ぞうとおじさん」だったのではないか。


 のび郎おじさんの話を聞き、戦時中に動物園で象が殺された事実を知ったのび太ドラえもんは、象を助けようとタイムマシンで戦時中の動物園へ向かう。二人が到着した動物園は、とてもひっそりとしていた。「からっぽのおりばっかりだよ」「ライオンや、とらやひょうもいない」という二人のセリフから、「ああ、ほとんどの猛獣はもう殺されてしまったあとなんだ」と察せられ、物悲しい気持ちがよぎる。
 その後この物語は、『かわいそうなぞう』で書かれたエピソードを『ドラえもん』流にアレンジしながら進行していく。「戦争ならだいじょうぶ。もうすぐ終ります」「日本が負けるの」というセリフなどは、実に『ドラえもん』的だ。このセリフは、のび太ドラえもんが未来からやってきたからこそ言えるもので、深刻でリアルな話のなかでひととき、時間SFのおもしろさをちらりと感じさせてくれる。



 最終的には、のび太ドラえもんひみつ道具を使って象のハナ夫の命を救うのだが、ストレートなハッピーエンドで終わらせず、そこにひとひねり加えているところが魅惑的だ。
「ぞうとおじさん」の作中でハナ夫が殺されずにすんだ事実を知っているのは、のび太ドラえもんと飼育係のおじさんだけで、表向きの記録ではハナ夫は殺されたことになったままなのだ。のび太ドラえもんは、表の歴史を変えることなく、ハナ夫の命を救うことに成功したわけである。
 そしてラスト、のび郎おじさんから、インドの山奥でハナ夫らしき象に出会った、というエピソードが披露される。のび郎おじさんは、この体験が夢か現実かよくわからない様子だが、それを聞いたのび太のパパが、「そりゃ夢だよ」と反応したことから、のび郎おじさんとパパのあいだでは、それはおそらく夢だろう、という結論に落ち着いていく。しかし、事の真相を知っているのび太ドラえもんは、ハナ夫が今でも元気でいると知って大喜びだ。この二人ばかりでなく、「ぞうとおじさん」を作品の外側から読んでいる我々読者も、ハナ夫の無事を確認できて感銘と安堵をおぼえることになるのだった。
 のび郎おじさんが語る不思議話のなかでハナ夫が元気でいることを知らせてくれるなんて、F先生の物語構成と演出が心憎いばかりである。



「ぞうとおじさん」は、現実にあったリアルで悲しい話に、すこしふしぎな藤子・Fテイストがブレンドされ、面白味があって後味の良い作品になっている。後味が良いながらも、罪のない動物たちを殺さなければならなかった戦争の理不尽さや人間の身勝手さが我々の胸に深く刻まれることに変わりはない。