『のび太の新魔界大冒険』感想(ネタバレあり)

 数日前に映画『のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜』を再び観に行ってきた。前回は10人で鑑賞したが、今回は2人だった。


 なぜか2回めのほうがうるっと涙ぐんでしまう頻度が高かった。
●うるっと来た場面
・魔界星へ向かう空飛ぶじゅうたんの上でしょげる美夜子さんにのび太が励ましの言葉をかける場面。元気を得た美夜子さんがのび太の頬に手を触れると、その頬に猫の手の跡が残るのが素敵。
のび太を洞穴にかくまった猫の姿の美夜子さんが一人で洞穴から飛び出していくまでの場面。ここが一番泣ける。
・メジューサの最期から大魔王デマオンの心臓へ到達するまでの場面。



 以下、1回め・2回めを問わない、ネタバレありの感想を書いていきます。ネタバレ全開ですから、まだ映画を観ていない方はご注意を!


●まず全体としては、ぞんぶんに楽しめる娯楽作に仕上がっていたと思う。


●科学の発達したこっちの世界と魔法の発達したあっちの世界を、旧作(F先生の原作&1984年版映画)よりも密接にシンクロさせたのは、SFマインドを感じさせる面白い試みだと思った。旧作における疑問点「魔法世界での“魔界星の接近”に対応する異常事態が、現実世界では起こらなかったのか」「現実世界には満月博士や美夜子は存在しないのか」といった事柄に対して、真保さんなりの解答を用意したものだろう。
 魔法世界と現実世界の満月博士を差異化するため、魔法世界の満月博士は「満月牧師」に改められた。現実世界では科学者だった満月博士が、魔法世界では宗教者(魔法学の研究者)になるのである。
 ただ、「二つの世界がシンクロしている」ということを十分に伝えるための描写が不足していて、普通に映画を観ているだけではこの設定がすんなりと頭に入ってきにくかった。まあ、シンクロしていることは映画を最後まで観ていれば追い追い分かってくるのだが、その設定がいまいち物語のなかでうまく噛み砕かれていない印象を受けた。



●美夜子さんの過去のエピソード(母親や病気のこと)が前半部で語られた時点で、メジューサの正体やその後の展開がだいぶ予測できてしまったが、そうした追加によってメジューサと美夜子さんが旧作より奥行きのあるキャラクターになった。とくに、旧作では後半にしか登場しないメジューサの出番が著しく増して、ただの悪人ではない立体的なキャラクターに変貌した。
 魔界歴程を探しに行くエピソードが新たに加わったことで、メジューサが活躍する機会が充分に確保されたとともに、魔界歴程の存在感も高まった。
 人間の姿の美夜子さんと、美夜子さんが変身したと思われるネズミが同時に登場したときは、「あれ? いったいどうなってるんだ?」と、その謎に引き込まれた。そんなこともあって、旧作を知っている身でも「この先いったいどんな展開になるんだ!?」と、初めて観る映画のような新鮮な興味を抱きながら物語を追うことができた。
 地球の月と魔界星の月… 『新魔界』では旧作以上に「月」という天体が重要な意味を担った。ビジュアル的にも月が美しく印象的に描かれていた。そして、魔界歴程の記述内容と月が深い関係性を帯び、そうしたところでも魔界歴程の重要性が一段と増していた。
 このあたりの、魔界歴程をめぐる新設定・新エピソードはなかなか秀逸だったと思う。しかし、魔界歴程を探しにいくエピソードに時間を使ったためか、後半の魔界星での冒険エピソードが端折られてしまって寂しかった。旧作の時代より格段に進歩したアニメーション技術で、魔界星の景色や生物たちをもっと見てみたかった。



●勇敢で聡明な女性というイメージが強かった美夜子さんの、母を思ったり悩んだりする女の子としての一面をかいま見ることができた。しずかちゃんと交わした「髪を伸ばす」云々のやりとりは、女性監督ならではの感性だろうか。
 作画監督も女性だったため、美夜子さんやしずかちゃん、ドラミちゃんといった女の子キャラが皆とてもかわいらしく描かれていたのが印象的だ。猫の姿の美夜子さんなんてファンシーショップで売っているぬいぐるみみたいなかわいらしさで、顔と体の大きさのバランスが絶妙だった。
 シャワーを浴びたあとの髪を下ろしたしずかちゃんも新鮮でかわいらしかった(髪を下ろしたしずかちゃんはテレビの「わさドラ」でも描かれている)。しずかちゃんのシャワーシーンは、真保裕一さんが書いた脚本にはちゃんとあったのだが、本編では削られてしまって、真保さんも驚いたという。



●旧作で魔法文明と科学文明の歴史について語った出木杉くんの役割は、『新魔界』ではドラえもんに割り振られたうえ、この場面自体が旧作よりも実にあっさりと流されてしまった。
 この場面は、作品の背景にある歴史観・世界観を提示し、歴史の道筋によっては魔法文明の世の中もありえたかもしれないということを印象付けることで、その後描かれる魔法世界にもっともらしいリアリティと奥行きを与える役割を担っている。そんな重要な場面が、さらっと薄められてしまったのはまことに残念だ。完全に削られなかっただけでもよしとすべきかもしれないが、やはりこの映画の世界観に真実味を与えるため丁寧に描写すべき場面だったと思う。
 出木杉くんの出番をカットしたのは真保さんなのだが、なぜそうしたかというと、真保さんは出木杉くんが嫌いなのだそうだw



●旧作の難点としてよく指摘されていたのが、終盤で助けにくるドラミちゃん登場の唐突さだった。『新魔界』ではこの唐突さを解消すべく、前半できちんと伏線を張っていた。この伏線が終盤で回収されていくくだりは、物語をパズルのように構成するのが得意なミステリー作家・真保裕一さんの真骨頂だろう。



●映画の本筋とは関係ないけれど藤子ファンが見つけるとニヤリとするような小ネタがいろいろ仕込まれていた。
 冒頭、宇宙で永久に倍増し続けるくりまんじゅうが映し出されたところでまず目を引かれた。ドラえもんが宇宙へ送り出したくりまんじゅうは、今も順調?に倍増し続けているようだ(笑) 友人から、現代物理学の知見で「バイバイン」のその後を考察したサイトを教えてもらったので、ここで紹介しておく。
 http://www.nikonet.or.jp/spring/doraemon/doraemon.htm


 ほとんどエスパー魔美にしか見えない「魔法少女マミ」の登場シーンは結構な見どころだった。 マミのお伴のペットがコンポコならぬトンポコという豚もどきの動物だったのが可笑しかった。魔法少女マミの登場は、脚本の真保裕一さんの完全な趣味だそうであるw 魔美をそのまま出せないので、こういうかたちで登場させたようだ。
 ライオン仮面オシシ仮面のフィギュアは現実に発売されてほしいとすら思った。魔法世界ができて最初に迎えた朝、窓から外を眺めるドラえもんのび太に衝突しそうになる空飛ぶじゅうたんがあるが、あれに乗っているのは『ライオン仮面』の担当編集者だったようだ。その編集者が登場する寸前には『ライオン仮面』の作者・フニャコフニャ夫先生がほうきにまたがって空を飛んでいたw 仕事場から逃げ出したフニャコ先生を追っていた編集者が、じゅうたんの運転を誤って野比家に衝突しそうになった、という設定だろうか。
「ズコッ!」というずっこけ方は、アニメ『忍者ハットリくん』を意識したものだろう。藤子Aアニメからネタを持ってきてくれたところが心憎い。


 昨年公開の『のび太の恐竜2006』に登場した“卵が二つに割れて怪獣が出てくるおもちゃ”や“のび太とピー助が遊んだボール”が『新魔界』でもちらりと描かれていた。そんな描写から『のび太の恐竜2006』とのつながりをちょっとばかり感じた。“卵が割れて怪獣が出てくるおもちゃ”は、タカラの「エッ?グッ!」という商品がモデルになっているという。藤子F先生は実際にこの玩具を買って遊んでいたらしく、『のび太の日本誕生』に出てきたクローニングエッグというひみつ道具のアイデアにも使われている。
 友人との話のなかで『のび太の恐竜2006』とのつながりにさらに気付いたので挙げておく。
・アップで映される池のカエル
ドラえもんのあたたかい目
ドラえもんの歯茎が見える描写




●映画初見時の、なるべくネタバレなしの感想はこちら。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070312