のび太の服装が新しくなることについて

「アニメ『ドラえもん』の登場人物の服装がイメチェンする」というニュースを前回の記事でとりあげた。
 私は、『ドラえもん』が現在進行形で制作されているアニメである以上、その時代に合った感覚や小道具や背景をある程度取り込んでいくのは仕方がないと考えている。しかしそう考えているわりに、今回の服装イメチェンの報に接したときは強い抵抗感や違和感をおぼえてしまった。
 なぜそう感じてしまったのかについて、改めて考えてみたい。



●藤子F先生自身も、その時代に流行った玩具やその当時に使われた家庭用品などを作品に取り込んでいたので、今のアニメ『ドラえもん』が新しいものを取り込むのもその流儀の踏襲であるといえば踏襲なのだが、だからといって何をどう取り込んでもよいわけではない。とくに登場人物の服装に関しては、F先生はずっと類型的でシンプルなデザインを描き続けてきた。変化をつけるにしても、アルファベットや図形などで模様をつけたり、ちょこんと飾りを乗せたりする程度だった。
ドラえもん』という作品の普遍性や息の長さが確保されてきた一因として、「登場人物の服装がいつの時代のものか特定できない類型的で記号的なデザインである」ということがあったと私は考えている(小さな因子かもしれないが)。服装の流行というのは、その年その季節でどんどん変化していってしまうものなので、数年後に見ると恥ずかしいほどに古く感じられてしまうことがある。『ドラえもん』が今風のファッションを追いかけていけば、「数年後に見ると恥ずかしいほどに古く感じられる」という事態を招いてしまうのではないか… とそんなふうに(杞憂だと自覚しながらも)不安を抱いてしまうのだ。
ドラえもん』の登場人物の服装については、「いつ見ても少し懐かしい」くらいのセンスがよいと思う。



●2005年のアニメ『ドラえもん』リニューアルのさい、作中で描かれる背景について「時代設定ははっきりとはさせていませんが、ひと昔前(15〜20年前)くらい」という話が美術監督からあって、私はその話に共感していた。時代をはっきりと特定しないながらも、昭和の終わり頃の香りが漂う背景なら、『ドラえもん』の世界観におおむねふさわしいと思ったのだ。
 なのに、ここに来て現在の先端的なファションや小道具を取り込んでいくなんて、 やることがちぐはぐではないか、と感じてしまうわけである。昭和風味の家屋や裏山や空き地の並ぶ世界と、流行のファッションを身につけた子ども達の姿とが不釣合いになってしまうのではないか、という危惧もある。



●マンガの編集者をやっている知人が、今回のニュースを受けてこんなことを言っていた。
「こういうことは、やっていい作品とやってはダメな作品があって、『ドラえもん』はやってはダメな作品です。 『ドラえもん』のキャラクターデザインは、F先生ご自分も言っているように、すでに“古い”んです。それでもずっと支持されてきたのは、普遍的な願望の実現とか感情の共感とかストーリーのおもしろさはもちろん、“古い絵”だからこその絵の安定感とかいろんな要素があるわけです。それが生活スタイルとかファッションだけ場当たり的に新しくしたら、はっきり言うと浮きます。安定感がなくなるんです」
 私もこの意見に同調する。




●アニメ『ドラえもん』のリニューアルに私が賛同した最大の理由は、「リニューアルによって原作回帰する」と謳っていたことだったので、こうして原作(のエッセンス)から離れる、あるいは原作回帰の方向性から外れるテコ入ればかりされると個人的に失意をおぼえてしまうのだ。あのまま大山ドラが続いていたら、私は、アニメドラが原作から離れるというニュースに対し、(残念だと思いながらも)これほど敏感には反応しなかっただろう。



 
 と、まあ、私が服装イメチェンの報に違和感や抵抗感をおぼえた理由はこんなところである。
 当然ながらこれは私個人の趣味嗜好を基盤にした見解であり、アニメ『ドラえもん』の視聴率をアップさせる案でもなければ、視聴者の最大公約数的意見でもない。むしろ私のような感じ方は、時代から取り残されたマイノリティの感性かもしれない、と内省している。その半面、私が望んでいる方向が、客観的にも『ドラえもん』の作品の質を上げていくものではないか、という信念もある。自信のなさとささやかな自信とを葛藤させながら意見を述べているのである。

 アニメ『ドラえもん』の制作に携わる方々も、何も視聴率だけを意識しているわけではなく、真剣に『ドラえもん』を良くしたいと願って様々な工夫を凝らしている面もあるだろう。そういう努力は尊いと思うし、その方向がずれているからといって全面的に否定するわけでもない。
 私は今もリニューアル後のアニメドラを応援する側であることに変わりはない。心がぐらつきながらも多かれ少なかれ期待しているからこそ、失意や不満が発生するのである。
「がんばれ、わさドラ!」とエールを送りたい。