ぴっかぴかコミックス『ドラえもん』第16巻発売


 1日(金)、ぴっかぴかコミックスドラえもん』第16巻(小学館/300円)が発売された。
 全部で11話が収録され、そのうち3話が単行本初収録作品だ。これまでどの単行本にも収録されたことのない作品が3話読めることになった。

「水か工用ふりかけ」(TC23巻・FF31巻)
「人食いハウス」(TC14巻・FF21巻)
「入れかえロープ」(TC15巻・FF16巻)
「アソボウ」(TC9巻・FF13巻など)
「ぼう遠メガフォン」(単行本未収録)
「くせなおしガス」(TC7巻・FF10巻)
「かんせいウェーブ」(単行本未収録)
「雪ふらし」(単行本未収録)
「見たままスコープ」(TC8巻・FF17巻)
タンポポ空を行く」(TC18巻・FF30巻など)
「おすそわけガム」(TC11巻・FF12巻)


※「サブタイトル」(これまでの単行本収録状況 TC…てんとう虫コミックス FF…藤子不二雄ランド

 単行本初収録作品3話のうちでは、「かんせいウェーブ」が最も印象深かった。かんせいウェーブは、人間がやりかけていたことを最後まで完成させる電波(みたいなもの)を発信するひみつ道具。かんせいウェーブの「かんせい」を漢字にすれば「完成」だろうが、私はこの道具の名称と機能を見たとき、「慣性の法則」の「慣性」を勝手に当てはめたくもなった。「一度やりはじめたことをそのまま最後まで完成させる」という機能が、「いったん運動を始めた物体は他から力を受けない限りその運動を続ける」とする「慣性の法則」のイメージと、どことなく重なり合うものを感じたからだ。もちろん、これは私の勝手なイメージであって、この作品で見られる現象は「慣性の法則」とは直接的には関係ないだろう。



タンポポ空を行く」は、他の単行本でも読める作品だが、何度読んでもいろいろな意味で名作だなあ、と感じる。
 このお話のなかでドラえもんは“ファンタグラス”というひみつ道具を出す。ファンタグラスを眼鏡みたいに顔にかけると、身のまわりの動植物たちが表情や感情をともなって話をしているように見えてくる。そして、その動植物たちと会話ができるようになる。
 擬人化した動植物たちと話ができる…… そんなメルヘン的な世界を擬似的に体験させてくれる道具がファンタグラスなのだ。


 ファンタグラスをかけたのび太は、庭に植えたタンポポと親密になり、そのうちタンポポとの交流に深く魅入られて、嫌なことの多い現実から逃避しがちになっていく。
 のび太は、ママやドラえもんの心配をよそに、生身の人間とかかわることを忌避し、タンポポとの会話にのめりこむ。それはのび太にとって、自分が傷つくことのない心地よい時間であった。


 ここで注目したいのが、ネコ同士の会話を聞いたのび太に対してドラえもんが言った「ほんとにネコがしゃべってるわけじゃないよ、きみが心の底で思ってることなんだ」というセリフである。
 ファンタグラスをかけると聞こえてくる動植物の言葉というのは、実は、ファンタグラスをかけた当人が心の底で思っている無意識的言語が表出したものであったのだ。だからのび太は、タンポポという他者と会話しているつもりでありながら、本当は自分自身の内なる心と会話していたことになる。
 つまり、のび太タンポポの会話は、客観的に見ればのび太の独り言でしかなく、会話という行為でありながら、きわめて閉鎖的かつ他者不在的なありようを呈していたのである。



 やがて、タンポポの子どもたち(わたぼうし)が空へ旅立つ季節が到来する。のび太ファンタグラスを通して、母タンポポから離れられない意気地なしの子タンポポが、どうにか独立を決意し空へ飛び立つまでの経緯を見届ける。そうすることでのび太は、内にこもった状態から再び外の世界へ関心を向けるようになり、生身の友達との遊びに加わろうとするのだ。
 上述のとおり、のび太が見聞きしたタンポポ親子のやりとりは、本当はのび太自身が心の底で思ったことの投影だったと考えられる。
 このお話におけるのび太は、表面的には、擬人化したタンポポとの会話によって現実逃避し、そのタンポポとの交流を通して再び現実へ戻っていったように見える。しかしその裏面では、のび太は常に心の深いところで自分と向き合い、自分と対話し、そうすることで自ら外の世界へ踏み出す勇気と意欲を回復していった…と解釈することができるわけだ。


タンポポ空を行く」は、素直にさらさらと読んでいっても感動的なお話だが、私は、擬人化した動植物たちの発する言葉は実はのび太が心の底で思ったことの表れであるというさりげない仕掛けに注目することで、さらに厚みのある感動をおぼえたのである。
 


 表向きには、言葉を話す動植物たちと現実逃避したのび太の交流を描いたファンタジーストーリーでありながら、その描写の一つ一つが、実はのび太が心の底で思っていることの現象化でもあった… そんな表層と深層の二重性を感じさせる作品構造に、私は感嘆したのである。
(こうした構造を感じるのは、私の主観によるところが大きいのかもしれないが…)