関西旅行記(その2)「京都国際マンガミュージアム」

(その1)からの続き。 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070828
 

 京都駅ビル大階段での自己紹介を終え、地下鉄で烏丸御池駅へ移動。「コロコロコミック創刊30周年展」を開催中(27日まで)の京都国際マンガミュージアムへ向かった。
 京都国際マンガミュージアムは昨年11月に開館した施設で、私は初めて訪れた。入場料を払って建物の中に入ると、通路の随所にマンガ単行本の並ぶ書棚があって、来館した人々が、廊下に座り込んだり、壁にもたれかかったり、テラスに腰かけたりしながら、思い思いにマンガを読んでいた。なんだかとても自由な雰囲気だ。


 この書棚群は「マンガの壁」と呼ばれ、総延長140メートル、5万冊のマンガを自由に読めるようになっている。このミュージアムの全蔵書は20万冊だが、そのうちの5万冊がここに並んでいるという。
 残りの15万冊は資料保護の観点から閲覧不可能だったが、8月24日から研究調査目的の人に限って試験的に閲覧ができるようになったようだ。複写ができないのが残念だが、興味をそそる本が収蔵されていれば利用してみたい気もする。
 http://www.kyotomm.com/reading_room.html
 

「マンガの壁」で読めるのは、主に1970年以降から現在までに発行されたマンガ本ということで、今となっては入手困難なマンガ本も見受けられる。
 藤子マンガもけっこう並んでいた。単行本のレーベルとしてはてんとう虫コミックス藤子不二雄ランドが多かったが、全部が揃っているわけではない。藤子不二雄ランド発行以前に絶版になっていたような古い藤子単行本はほとんど並んでいなかったが、そんななか、サンデーコミックス『わかとの』全2巻が異彩を放って感じられた。この単行本は、1980年代序盤にはすでに絶版になっていたはずだ。
 

 てんとう虫コミックスドラえもん』や藤子不二雄ランドエスパー魔美』には帯がついたままで、それを見た極美藤子単行本コレクターのIくんは、「帯つきの本をこんな雑な状態で置いておくなんて許せない!」と嘆いていた。
 Iくんは、極美状態の単行本を買ってきたら一度だけ読んで、あとは包装材などで入念に梱包し、日焼けや経年劣化を防ぎながら厳重に保管している。「そんなふうに保管したら本を再読できないじゃないか」というツッコミはIくんに通用しない。Iくんは、本を一度読んだだけで作品内容をほぼ憶えてしまえるようなので、再読しなくとも大丈夫なのだ。
 ときには、厳重な保管にもかかわらず、本の色がかすかに変わってしまったり、本の角がわずかに曲がってしまったりすることもあるそうだ。そうなると、とても極美状態とは言えなくなるため、手もとに置いておくのがつらくなって、古書店に売り払ってしまうこともあるという。売り払って得たお金を元手にして、もっと美しい状態の本へと買い換えるのだ。
 そんな強いこだわりを持ったIくんだから、帯つきの藤子単行本が誰にでも読めるよう無造作に置かれている光景には耐えられなかったのだろう。


 ちなみに、「マンガの壁」に並んだ5万冊のマンガ本のほとんどは、ある貸本屋さんから寄贈されたものだから、このミュージアムに来た時点で、すでに多くの人に読みこまれた状態だったはずだ。Iくんがその保管方法を嘆いた『ドラえもん』も『エスパー魔美』も、もとより自由に読まれるためにミュージアムに来た本なのだ。これらの本にとっては、やはりボロボロになるまで多くの人に読まれることが幸せなのではないか、と私は思う。
 Iくんの帯への愛着の深さも立派なものだと思うし、マンガ本を文化財と考えれば、帯のついた状態の完品単行本をきちんと保存していく事業もあったほうがよいと感じられてくる。



 Iくんというといつも思い出すのは、彼にたしなめられた体験だ。Iくんは極美本コレクターであるとともに、藤子マンガオンリーの人でもあり、藤子マンガ以外の本は一切持っていない。(藤子マンガが掲載された雑誌に他の漫画家の作品が載っていたりするので、厳密には藤子マンガ以外の本もあることになるが、おおまかに言えば藤子マンガしか持ってない)
 以前、私がIくんに「藤子マンガ以外のマンガも読みますよ」と何気なく話したら、「koikesanさん、浮気はしないでください! 僕は藤子マンガしか読みません!」とたしなめられてしまったのだ。
 Iくんの妥協を許さぬ徹底したマニアぶりに、私は感服するばかり。そして、彼の比類なき純粋さは、懇親会の参加者に深く愛されている。



 Iくんの話が長くなってしまったが、この「マンガの壁」が京都国際マンガミュージアムにおいてマンガ図書館の機能を果たしているのである。(館外への貸出しはしていない) 



コロコロコミック創刊30周年展」は、時代ごとにコロコロのバックナンバーやコロコロゆかりの品などが展示され、コロコロ30年の歴史を楽しく概観できるようになっていた。コロコロのバックナンバーがずらりと並んだ光景は壮観だ。
 さして大きな規模の企画展ではなく、これだけのためにわざわざ遠方から駆けつけるほどのものではなかったが、このミュージアムの全体を観覧する流れのなかで見物するには適度な内容だった。
 私は単純なので、藤子先生の生原画さえあれば満足できるところだったが、『のび太の恐竜』と『(新)忍者ハットリくん』のレプリカ原画が展示されているだけで、ちょっと寂しかった。『(新)忍者ハットリくん』の原画には「レプリカ」との断りがなかったような気がするが、私が見た限りではレプリカだったような… (上のほうに展示してあったのであまり自信がない)


 この企画展は、展示物をただ眺めるばかりではなく、コロコロのバックナンバーを読んだり、無着色のドラ人形に色を塗ったりする体験型の企画に参加することが肝要だったかもしれない。時間的な事情もあって、私は展示物をただ眺めるだけで終始したので、どこか物足りなさが残ってしまった。


 自分がコロコロを夢中で読んでいた時代の展示物やバックナンバーは、純粋に懐かしくて心誘われた。やはり私は「懐かしい」という感情に弱いようだ。



 今回ざっと見た限りでは、京都国際マンガミュージアムは近隣に住む人々のためのマンガ図書館とか憩いの文化施設としての機能はよく果たしているようだった。だが、「国際マンガミュージアム」と名乗るにはまだまだ充実度の不足した施設だとも感じられた。一緒に行った面々からも「なんか微妙だ」といった声が聞かれた。
私が見落としたところもあっただろうし、書庫のなかに貴重なマンガ本や資料がたくさん保管されているのだろうし、講演会などイベントのあるとき訪れたら印象が違うのだろうが、私のような一回性の客(なおかつマンガ愛好者)がひととおり順路を巡って、「本格的なマンガミュージアムを堪能できたなあ」という納得感を得られるかというと、まだまだ不足した面が多いような気がするのだ。愛すべきマンガというジャンルのためにも、今後のさらなる発展に期待したい施設である。



 ミュージアムの建物は、昭和4年に建造された小学校の校舎を利用していて、なかなか風情があった。
 建物のなかだけでなく、人工芝の敷き詰められた庭でもマンガを読めるようになっていた。この庭で自由に遊んでいる子ども達も見受けられて、ちょっとほほえましかった。