関西旅行記(その3)

 今日の記事は、「関西旅行記(その2)」からの続きである。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070831


 京都国際マンガミュージアムから京都駅へ戻り、新快速で大阪駅へ移動。「まんだらけ梅田店」で思い思いに買い物をしたあと、いよいよ懇親会の本番とも言える宴会に突入。会場は「スイング梅田」5階の居酒屋だった。
 極美本コレクターIくんの乾杯の音頭で宴会の幕があけた。お酒を飲んだり、料理を食べたり、おしゃべりで盛り上がったり。そのうち、各人が持参した藤子マンガの資料・自作のマンガ作品・ドラえもんのコンピュータゲームなどがあちこちで回覧されて、実に賑やかな状況に。 
 

 私は、飲み放題なのをよいことに、ビールやカクテルやサワーなどを立て続けに飲みながら、近くに座った面々と会話を楽しんだ。
 私の右隣には大阪在住のKさんが座られた。Kさんは、ファン歴40年を超える大先輩の藤子ファン。私が生まれる前から藤子ファンでいらっしゃるというだけで尊敬してしまう。


 Kさんといえば、我々のあいだでは、萌え人生をまっしぐらに歩む天性の萌え人として名高い人物でもある。
 マンガやアニメの好きな人であれば、多少なりとも作中のキャラクターに感情移入したり憧れたり好意を寄せたりするものだろう。そういう心情が深まって作中キャラに恋することを「2次元萌え」と言ったりする。(「萌え」という語は、広義ではもっと広い意味を持つが、ここでは、あとに名前の出てくる本田透さんの著作に従って「脳内恋愛」と定義する)
 Kさんは、日々の実生活と2次元萌えを密接に一体化させている。平日はマンガやアニメで萌え、土日はメイドカフェやアイドルイベントなどで萌え、常に萌えとともに生活されているのだ。前にお会いしたときは、我々に対して「生涯、2次元萌えを貫きます!」と力強い宣言を聞かせてくださった。
 ちなみにKさんは、2次元(マンガ、アニメ、ゲームなど)だけじゃなく、2.5次元(アイドル、声優、メイドカフェメイドさんなど)も萌えの対象とされている。


 そんなKさんだから、この世の多様な事象に対して価値判断をくだす場合、萌え要素があるかどうかをたいへん重要視されている。萌えられるか、萌えられないか、それが問題なのだ。
 最近の映画ドラえもんについても、萌え要素の乏しい『のび太の恐竜2006』は評価できないが『新魔界大冒険』は萌え要素満載でお気に入りということだ。
 Kさんが理想とし脳内恋愛の対象とするのは、2次元であれ2.5次元であれ、「清純な女性」だという。Kさんが女性に求めてやまないのは「純潔」なのである。
 そんなKさんが最も愛している2次元美少女が、『ドラえもん』のしずかちゃんだ。ご存じのとおり、しずかちゃんは将来、のび太くんと結婚することになっている。しかしKさんは、「未来は変わることもある」というドラえもんのセリフに希望を託し、しずかちゃんがのび太くんではなく自分と結婚してくれる未来の到来を信じて待ちたいとおっしゃっている。



 Kさんとお話しているといつも出てくるのが、「本田透」という作家さんの名前だ。本田さんは、2次元萌えに生きる人たちの理論的リーダーのような人。1980年代くらいから市場化・商品化が進行し消費の対象でしかなくなってきた生身の人間同士の恋愛を「恋愛資本主義」と呼んで批判し、マンガ・アニメ・ゲームのキャラクターに脳内恋愛する行為(=2次元萌え)の正しさや素晴らしさを、『電波男』や『萌える男』などの著書で主張している。
 これらの本田さんの著書を読んだときKさんは、自分の立場や心のありようを本田さんが的確な言葉で表現し真っ向から代弁してくれたことで、大きな勇気を得たという。私も含め、マニアとかオタクとか呼ばれる人々は世間から白眼視される体験を通過している(あるいは現在進行形で白眼視されている)ので、自分らの立場や価値観を代弁してくれる論客が登場すると、とても救われた気持ちになる。だから、本田透さんの著作によって勇気を得たというKさんのお気持ちは、私なりによく理解できるのだ。


「関西旅行記(その2)」の記事で紹介したIくんは極美単行本に徹底したこだわりを持ち、このKさんは2次元萌え人生を貫くことに強くこだわっておられる。Iくんは、永遠に極美状態であり続ける完璧な本に固執し、Kさんは、常に純潔であり続ける理想的な異性を求めているわけで、両者に共通するのは、“限りなく純化した美しさ”“寸毫の汚れもない清らかさ”を徹底して希求する精神だろう。
 彼らは、生涯をかけて、自らの信じるユートピアを追い求めているのかもしれません。
ユートピア」とは「どこにもない場所」という語源を持った、トマス・モア(1478年〜1535年)による造語。一般的には「理想郷」という意味で受け止められている。
 KさんやIくんが希求するのは、現実にはどこにもないもの(あっても極めて希少なもの)なのだろう。どこにもないものだからこそ、それを追い求めることが生涯を貫く夢となりうるのだ。そして、現実にはないものを求めようとするから、非現実(2次元)の世界にリアリティを感じ、そこに夢を託せるのだろう。
 私も彼らほど徹底してはいないが、非現実の世界から現実以上のリアリティを感じることがあるので、共感できる部分がある。

 
 世間的な価値観や社会通念から逸脱していても、自分が信じる道に対して徹底的に真摯であり続ける彼らの姿からは「誰のものでもない、自分の人生を生きているんだ!」という迫力と確信がみなぎっている。私は、そういう彼らのまっすぐさをまぶしく感じる。
 彼らと比べると、私などはかなりの相対主義者であり、中途半端なリアリスト(現実追認主義者)だなと思えてくる。


 

 居酒屋での宴会が終わったあと、「スイング梅田」1階の喫茶店で宴会の続きとなった。屋内に全員が座れる場所がなかったので、屋外に置かれたテーブルを囲んで会話を楽んだ。
 我々が居酒屋や喫茶店で交わした藤子話のなかで印象に残ったものを2点のみ記しておきたい。


・来春の映画ドラえもんが『緑の巨人伝』であることから、環境問題や動植物への愛をテーマにした映画ドラの話に。世代によって、『魔界大冒険』のグリーンドラキャンペーンを思い出したり、『アニマル惑星』『雲の王国』を原体験として記憶していたり。『ドラえもん』の影響で環境問題への関心を深めたという話も出た。
『緑の巨人伝』も、現在の子ども達に対して環境問題や自然の大切さを啓発する力を持った映画になってほしいところ。もちろん面白いエンターテインメントになることが大前提だが。


・藤子A先生の描く最終回には置き手紙パターンが多い、という話から、F先生の場合は異世界から来た異生物が異世界へ帰ることで終わりというパターンが多いかなあ、などという話になった。そんななか、『バウバウ大臣』の最終回なんてユニークで好きだという声も。私も、『バウバウ大臣』の最終回は、ラストの呆気ない雰囲気と、バウバウたちが語る百年、二百年という壮大なスケールの話のちぐはぐさが妙に可笑しくて大好きだ。
 F先生が最終回を描く予定で描けなかった『チンプイ』も話題にのぼった。



 喫茶店で喋り終えて懇親会は解散。ビジネスホテル関西で5人が宿泊した。
 翌8月26日は、難波のまんだらけやフィギュアショップ、マンガ専門店、ブックオフなどを巡った。夕方5時から、最後まで残った3人で炙り物を食べられる居酒屋で談笑。
 私は、午後9時難波発の近鉄特急で名古屋へ帰った。


 
 「関西旅行記」終わり