氷見旅行記その6(藤子不二雄Aまんが展)

 藤子不二雄A先生や藤子スタジオの方々と「氷見キトキトまつり」を満喫させていただいた私は、その後、藤子ファン仲間の3人(愛知のNさん、東京のMさん、雑誌「ハイパーホビー」の取材で富山にみえたライターのAさん)と昼食をとり、潮風ギャラリーでこの日(10月14日)から始まった「藤子不二雄Aまんが展」を見に行った。
 会場の潮風ギャラリーは、もともと北陸銀行の支店で、その建物を改装してギャラリーにしたものだ。

 さほど大規模な展覧会ではないし、セキュリティーの問題から本物の原画は置けないということで、すべて複製原画の展示だった。複製とはいえ、最高の印刷技術で原画を再現していて、まるで本物の原画を観ているような感覚を味わえた。おそらく、一般のお客さんは、言われなければ本物の原画としか思わないだろう。
 複製原画の展示数は、ざっと数えたところ133枚あった。作品で言えば、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『サル』『踊ルせぇるすまん』『少年時代』『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』があった。



 我々がまんが展を観覧中に藤子スタジオのチーフSさんが会場に入ってこられたので、その後はSさんの解説付きで複製原画の鑑賞となった。これらの原稿を藤子A先生とともに実際に作成されたSさんから直接解説をいただけるなんて、なんと贅沢な展開だろうか。
 Sさんからは、今回の原画の選定基準や、アシスタントの方々が原稿に凝らしたひそかなこだわり、藤子A先生から直接誉められた彩色箇所、その原稿を描いているときの秘話などを聞かせていただいた。
 私が「この線はどんなペンを使ったんですか?」「A先生の影のつけ方は革新的ですよねえ」などと尋ねるたびに、Sさんは丁寧に優しくお答えくださって、とてもありがたかった。
 ちなみにSさんは、今回の『PARマンの情熱的な日々』にも登場されている。


『少年時代』の複製原画の前でSさんは、『少年時代』の連載が始まった当時のお話をしてくださった。藤子A先生が『少年時代』を連載していた当時は、同時期に4つの週刊誌(「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」「週刊女性セブン」「週刊明星」)にマンガの連載を持っていて、たとえば水曜日は『少年時代』、木曜日は『ミス・ドラキュラ』、金曜日は○○、といったように、毎日が締切日という殺人的なスケジュールだったそうだ。(「週刊少年サンデー」の『プロゴルファー猿』終了後、すぐに「週刊少年キング」で『まんが道 青雲編』が始まったので、週刊誌4誌同時連載状態であることに変わりなかった)
 数年前に藤子スタジオのMマネージャーから当時の様子をうかがったときは、「鉄道のダイヤのような過密スケジュールだった」と回想されていた。
 週刊誌4誌に同時にマンガを連載するなんて、信じられないほど壮絶な状況だったと思う。
 


 このまんが展では、複製原画のほかに、トキワ荘14号室を再現したスペースが見どころだった。
 2階に上がると、藤子A作品の単行本読み放題や、藤子Aアニメ上映のコーナーが設けられていた。書棚に並んでいた単行本は「藤子不二雄Aランド」と「ぴっかぴかコミックス」がメイン。


藤子不二雄Aまんが展」は10月14日から1年間も開催される予定なので、再び行けたら行きたいものだ。



 その後は、ライターのAさんが藤子先生ゆかりの地などを取材されるというので、それに同行させていただいた。その取材内容の一部は、現在発売中の「HYPER HOBBY(ハイパーホビー)」12月号70ページの「藤子不二雄A情報局」に掲載されている。
 このライターAさんは、「もっと!ドラえもん」や「熱血!!コロコロ伝説」の編集・執筆も担当されている。

 

 夕刻、私の乗る名古屋行き特急しらさぎ高岡駅に来るまで、駅ビル内のマクドナルドに入って4人で藤子話を楽んだ。MさんとライターAさんと私は、20年以上前の高校生時代から、当時活動していた小規模藤子ファンクラブや藤子研究会への投稿家としてお互いに名前を知り合っていた。その当時のファンクラブ名を挙げれば、たとえば「Q」とか「アスナロ」とか「ユメカゲロウ」など。
 というわけで、当時の昔話にも花が咲いたのだった。

 
 藤子ファン仲間と別れ、高岡駅のプラットホームに立ったものの、時刻になっても特急しらさぎはやってこない。5分ほど前にどこかの駅と駅のあいだで人身事故が起こり、北陸本線がストップしてしまったのだ。
 おかげで、肌寒い高岡駅で1時間半も待たされる羽目に。私は、上半身は半袖のTシャツ1枚で、昼間は藤子スタジオの方々に「寒くないの?」「それは寒いでしょ〜」としきりに心配されながらも、ちょうどよいくらいだったのだが、さすがに日が沈んだあとの10月の北陸はひんやりとして、電車が全然やってこない状況と合わせて言い知れぬ寂寥感にみまわれた。
 最悪、当日中に愛知県に帰れないんじゃないかと心配になったが、どうにか午後11時過ぎに名古屋駅に到着。自宅最寄の駅まで行く列車への乗り換えに間に合ったのだった。



(氷見旅行記は、これでようやく終わりです。最後まで読んでくださってありがとうございます)