週刊少年サンデー・マガジン創刊と藤子不二雄

 12日(水)に「ビッグコミックオリジナル」1月増刊号が発売された。藤子不二雄A先生の連載マンガ『愛…しりそめし頃に…』の第71話が掲載されている。


 以下、『愛…しりそめし頃に…』第71話の内容に触れていますので、未読の方はお気をつけください。



『愛…しりそめし頃に…』第71話は、「新連載『海の王子』」というサブタイトル。講談社から創刊される「週刊少年マガジン」への新連載を依頼にしにきた牧野編集長に対して、満賀と才野がその依頼を断るところから話が始まる。満賀と才野がマガジンの依頼を断ったのは、その前日に、小学館から創刊される「週刊少年サンデー」の新連載を引き受けたばかりだったからだ。牧野編集長に対しては、「なかよし」別冊の原稿を落として迷惑をかけた過去があるので、その罪滅ぼしのためにもマガジンの新連載を引き受けたいところだったが、1日前にサンデーの連載のOKしたばかりとあっては泣く泣く断るしかなかったのだ。
 満賀と才野は、たった1日違いで先に依頼のあった「週刊少年サンデー」で連載を始めることになったわけで、才野は「運命の一日ちがいだったねえ!」、満賀は「この一日ちがいがどうなるか?」と言っている。
 昭和34年、「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」の創刊によって、少年漫画の世界が週刊のサイクルでまわっていく時代が訪れたのだ。



 この出来事については、今年10月に氷見で藤子不二雄A先生とお会いしたさい、先生から直接お話をうかがったばかりなので、今回の『愛…しりそめし頃に…』は、そのとき聞いたA先生の肉声と相俟って、深い臨場感や感慨を味わいながら読むことができた。
 満賀が「この一日ちがいがどうなるか?」と言っているが、結果的にサンデーの依頼が先にあったことは「藤子不二雄」という漫画家にとってとても良かったようだ。もしあのときマガジンの依頼が先にあって連載を引き受けていたら、その連載は早いうちに打ち切られ、その後の藤子不二雄の大成はなかったかもしれないというのだ。藤子A先生は、氷見でお話したときそうおっしゃっていたし、メディアのインタビューなどでもそのように答えている。そのへんのことを記述した資料を引用しよう。

講談社小学館は社風も違うが、編集者のタイプも違う。叩き上げのプロフェッショナルで漫画家に厳しく、あれこれ注文をつけるのが講談社の編集者。いっぽう小学館はそれまで専門の漫画編集者がおらず、学年誌や教育の編集部から集めてきた漫画には素人の編集者だったため、わりに好きなように描かせてくれた。
指図されたり、あれこれ言われるのが嫌いな藤子不二雄のような漫画家にとっては、小学館のカラーがピッタリだったという。
(「本の窓」1999年6月号/引用文は、藤子A先生の発言を聞き手の生田安志氏がまとめたもの)

藤子A:「マガジン」は断ったんだけど、あれがもし逆で「マガジン」が先に来てて僕らが引き受けて「サンデー」が次の日来て、断ってたら絶対僕らダメだったね。つまり「マガジン」では僕ら絶対続かなかった。あれホント不思議なもので、漫画家はね雑誌のカラーとね、物凄くフィットするかフィットしないかで違うんだよね。


編集部:その時の「マガジン」のカラーと合わなかった。


藤子A:僕らは合わなかった。もちろんそれはわかんないよ。「マガジン」だってこれから創刊するんだから。わかんないけどあとあと考えてみると、「マガジン」に連載してたら、途中で切られてて、その後、僕らの運命もどうなったか。アハハ。


編集部:確かに小学館の作品が多いですね。


藤子A:そうなんです。僕らやっぱり小学館が合ってたんですね。フィットしたっていうの。「マガジン」はね、厳しかったんです。当時有名な鬼の牧野といわれる牧野編集長が初代の編集長でね。その人なんかありとあらゆるチェックをする。
(「まんだらけ」目録10号/1995年発行)

 私は氷見で藤子A先生に「サンデーとマガジンの両方の連載を引き受けるという選択肢は微塵もなかったんですか?」とズレた質問をしてしまったのだが、藤子A先生は「それはまったくなかった。ありえない話だよ」ときっぱりお答えになった。



 さて、『愛…しりそめし頃に…』も、その前の時代のエピソードを描いた『まんが道』も、藤子A先生の半自伝的作品であり、事実をベースにしながらも虚実入り混ぜてエピソードが綴られている。
 そこで、『愛…しりそめし頃に…』第70話「少年雑誌新時代きたる」第71話「新連載『海の王子』」のエピソードを、当時の藤子不二雄A先生の日記と比較してその違いを見てみたい。藤子A先生の日記は、カッパ・ノベルス『トキワ荘青春日記』(光文社/昭和56年発行)から引用する。私は、『愛…しりそめし頃に…』『まんが道』の、事実と虚構が入り混じった世界を愛する者だが、やはりどこが事実と違って描かれているのか無性に気になるのだ。

2月11日(水)
午後、突然小学館記者くる。新しく児童向き週刊誌(『少年サンデー』)だすとのことで、それに長谷川公之氏原案「警視庁物語」、一回八ページの依頼。藤本氏と相談して引き受けることにする。しかし週刊誌の連載などはじめての経験なので不安。


2月13日(金)
午後、石原(小ク)氏、突如くる。講談社のほうの週刊誌(『少年マガジン』)の依頼なり。二日ちがい。残念ながら断る。とても週刊誌二本なんか描けない。いよいよ少年誌も週刊誌時代になったか。そらおそろしいような(?)気がする。


2月17日(火)
夕刻、小学館、梶谷氏と陶山氏つれだってくる。「警視庁物語」長谷川氏の都合でやめ、高垣葵氏原案の「海の王子」なる海洋活劇に変更とのこと。

『愛…しりそめし頃に…』では、「週刊少年サンデー」の編集者(陶山昇氏)が最初に尋ねてきたときから、脚本家・高垣葵氏の書いた『海の王子』の原案が満賀・才野に渡されているが、現実に編集者が渡したのは、長谷川公之氏原案の『警視庁物語』だったようだ。その6日後に、長谷川氏の都合で『警視庁物語』がとりやめになり高垣葵氏の『海の王子』に変更になったことが藤子先生に告げられるのだ。
 また、『愛…しりそめし頃に…』では、サンデーとマガジンの新連載の依頼は1日違いだったと描かれているが、日記を読むと、サンデーの依頼が2月11日(水)、マガジンが2月13日(金)で2日違いだったことが分かる。
 マガジン新連載の依頼を持ちかけてきた編集者が、『愛…しりそめし頃に…』では牧野編集長になっているが、日記では雑誌「少年クラブ」の石原氏となっている。



●藤子情報
12月13日(木)、コンビニ単行本・ChukoコミックLiteSpecial『笑ゥせぇるすまん』豹変ゴルファー中央公論新社・2007年12月13日初版発行)が発売。