芥川賞作家・川上未映子さんはドラえもんファン

 4月27日(日)フジテレビ系で放送された『ボクらの時代』で、編集家・竹熊健太郎さん、作家・川上未映子さん、タレント・中川翔子さんの3人が座談していて、なかなか面白かった。この座談のなかで川上未映子さんが“子どものころ藤子不二雄先生の『ドラえもん』が大好きでチラシの裏にマンガを描き写して藤子先生に送ったことがある”などと話していた。
 私が川上未映子さんのこのエピソードを知ったのは、早稲田文学のフリーペーパー「WB」2007年12月6日発行号での未映子さんと漫画家・榎本俊二さんの対談記事においてだった。

川上:作品ぜんぶ写したのってじつは二回あって……一回目は『ドラえもん』でした。九歳のとき。チラシの裏を本みたいにして一冊まるまる写したの。
榎本:ちゃんとコマを割って?
川上:うん、見よう見まねで。それで、できたのを藤子先生に送ったの。
榎本:おお(笑)
川上:そうしたら、すごくすてきなお手紙と下敷きサインをいただいて。でもあのときは、藤子不二雄先生との差異を感じたいとかいう意識はもちろんなかったな(笑)
榎本:そりゃそうだ。もしそこで返事がなかったら、漫画家になってたかもしれないですよね。返事もらったことで、違う成仏のしかたしたんじゃないかな。そしたらどんな漫画描いたんでしょうね。

 未映子さんが『ドラえもん』好きだという事実は、以下のインタビューからもわかる。

漫画は『ドラえもん』を幼稚園のときから読んでました。あと、おじいちゃんがくれたオレンジと白と黒と三色刷りの『のらくろ』を読んでて、あれが今もあったらいいんやけど。でも漫画はドラ一辺倒です。(『本棚』ヒヨコ舎編/アスペクト/2008年1月発行)

 というように、未映子さんは大の『ドラえもん』好きなのである。私自身、以前からこの作家に注目していて、彼女の作品を愛読していることもあるので、今日は川上未映子さんのことをちょっととりあげたい。



 まずは、未映子さんのことをざっと紹介する意味で、私が未映子さんに魅了されていった経緯を書いていこう。
 私が未映子さんの存在を認識し注目するようになったのは、「WB」2006年11月号で発表された未映子さんの散文的作品『感じる専門家 採用試験』を読んでからだった。短編小説の体裁で発表されていたのだが、論理的な意味を突破していく鋭い言語感覚や独自の息遣いによるリズム感があふれていて、小説と散文詩の中間にある実験的言語作品という印象だった。土着性のある大阪弁で語られているのに、言葉が先鋭化しながら哲学的な思索へなだれこみ、形而上の世界をこちら側へ引き寄せる不思議な感覚に満ちていた。
「生む」と「有無」の音同士の一致から、「子どもが生まれること」と「存在の有る無し」の関係をめぐる思索へと発展していくくだりが私のお気に入りだ。


 私が未映子さんにさらにぐっとハマったのが、2007年5月発行の「早稲田文学0」に掲載された本格的な小説デビュー作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』だった。
「私は体のどこでものを考えるのか」「私の認識や感情が発生する場所は身体のどこか」という問いの答えを、通常の人は「脳」に求めるが、本作の主人公はその在り処を奥歯だと措定する。その前提から、主人公の感覚や感情がないまぜになった思索が奔流のようにドバドバと語られていく。一文が長くて改行の少ない、大阪弁をまじえた独特のリズム感あふれる文章が、畳みかけるようにほとばしり出るように綴られていく。思いつくがままに雑然と無整理に吐き出されたかに見える言葉の群れでありながら、そこには全体を統御する理性が毅然と働いていて、それでもなお理性から勢いよくはみ出していく言葉たちが躍動している。
 終盤、主人公があるつらい体験をして麻酔なしで奥歯を抜こうとするくだりで、私は涙がこみあげてきた。目の外側へこぼれ出る涙ではなく、目の底から静かに湧いて静かに消えていく、そんな涙だった。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』とは実に不可解なタイトルだが、本編を読み終えるとこのタイトルが感覚的にすっと腑に落ちた。哲学者の永井均さんが秀逸なタイトルだと誉めていたけれど、私もよいタイトルだなと感じる。
 永井均さんの名前を出したところで話を進めると、私が未映子さんにハマった要因のひとつがそこにある。未映子さんに関心を抱きインタビューを追いかけていくうち、未映子さんが哲学者の永井均さんと池田晶子さんを恩師と仰いでいることを知って、私の胸は俄然ときめいた。私が同時代の日本の哲学者で最も敬愛する2人に未映子さんも傾倒していただなんて! それを知ってみれば、未映子さんが作中で抱えている問いと、永井さんや池田さんがずっと問うてきた問いとは確かに通底しているなと思うのだ。
 私は、池田晶子さんにファンレターを送って直筆のハガキをもらったこともあるのだが、残念ながら池田さんは昨年若くして亡くなってしまった。最近になって未映子さんは「第1回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を授賞。私にとっては、未映子さんの芥川賞受賞以上に嬉しい知らせだった。
 http://www.nobody.or.jp/jushou



 未映子さんはその後、「WB」誌で対談の連載を始めたり、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補になったりと、あれよあれよという間に文壇で頭角をあらわし、今年に入って『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞、一躍時の人となってテレビや雑誌などメディアへの露出が増えた。未映子さんのインタビューが載った雑誌は出来る限り集めるようにしている。

 未映子さんの記事が載った雑誌各種



『乳と卵』も、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』と同様、一文が長くて大阪弁が随所で使われ未映子節が炸裂しているのだが、前作が観念的で抽象度が高かったのに比べ、『乳と卵』はもっと具体的で物語性があって、一般の人が思う「小説」のイメージにぐんと近づいている。豊胸手術を望む母と、初潮を迎えることに心揺れる娘、そして母の妹にあたる叔母の3人が登場人物で、叔母が物語の語り手になっている。この3人の名前や小説全体の構造などは樋口一葉の『たけくらべ』を下敷きにしているそうだ。だから、さりげなく5000円札を小道具で出してくるところでニヤリとさせられる。一文が異様に長い文体も、樋口一葉の影響下にあるようだ。


 未映子さんの著作は今のところこんなものがある。

・エッセイ集『そら頭はでかいです 世界がすこんと入ります』(ヒヨコ舎)
散文詩集『先端で、さすわさされるわそらええわ』(青土社
・小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社
・小説『乳と卵』(文藝春秋


未映子さんは、“文筆歌手”と自称するように、文壇デビューする前に歌手デビューを果たしていて、CDを6枚ほど出している。私が持っているのはアルバム2枚(『夢見る機械』『頭の中と世界の結婚』)だが、『頭の中と世界の結婚』が未映子さんの表現したい世界が率直に歌われたアルバムだろう。



 もう2ヶ月近く前になるが、そんな川上未映子さんのサイン会に行ってきたので、そのときのことも少し触れておきたい。
 サイン会が開催されたのは、3月8日(土)近鉄名古屋駅の真上にある星野書店近鉄パッセ店。芥川賞を受賞した『乳と卵』の単行本にサインをしてもらえることになっていた。
 予定の時刻がきて、未映子さんが会場に登場。雑誌の写真やテレビの映像を見て綺麗な人だなあと感じていたが、実物はさらに綺麗だった。
 サイン会というのは、順番を待っている間のドキドキ感もたまらない魅力だが、私は整理券番号が10だったので、サイン会が始まるとすぐ順番が巡ってきた。


 テーブルを挟んで未映子さんの前に腰かけた私は、
芥川賞、そして池田晶子さんを記念する賞の受賞、おめでとうございます」と声をかけた。
未映子さん「ありがとうございます」
私「池田晶子さんの賞は最近授賞式があったんですよね?」
未映子さん「そうなんですよ。授賞式のあった3月3日は池田晶子さんの死が公に発表された日だったんですよ」
私「それでこの日に授賞式があったんですね」
 そんな言葉を交わしながら、未映子さんは本にサインを書いていった。
私「未映子さんの『わたくし率』を読んだとき、池田晶子さんと通じるものを感じました。“存在することの奇跡”にとらわれた魂と言いますか… それですごく共感したんです」
未映子さん「koikesan(実際は私の本名)さんも、そういうことに関心をお持ちで?」
私「そうなんです! 池田晶子さんや永井均さんの本に傾倒してるんです。池田さんは亡くなってしまって無念ですが…」
未映子さん「でしたら同志ですね。共に頑張っていきましょう」
私「はい! これからも活躍を期待しています!」
 未映子さんは立ち上がって「ありがとうございます」と言いながら両手を差し出し握手をしてくれた。


 そんな感じで私の順番は終わったのだった。そうとう緊張しながらも、けっこう未映子さんと会話ができたので満足だった。とくに同志扱いしてもらえたのが嬉しい。
 贅沢を言えば、未映子さんとドラえもん談義をしたかったところだが、さすがにサイン会の席でそれ以上の長話はできなかった。


 これが、未映子さんからいただいたサイン。


 その後、サイン会がすべて終了するまで、未映子さんとお客さんのやりとりを見ていた。ツーショット写真を撮ってほしいと頼む人や、サインを本の表紙に書いてほしいという人、15文字以内で直感的に思いついた言葉を記してほしいと難しい依頼をする人もいた。職場の女性が未映子さんにそっくりだと報告する人もいれば、名古屋でライブをやってほしいとお願いする人、きのう見たテレビと髪型が違いますねと指摘する人も。「テレビに出たときの髪はウィッグで今日は自分の毛なんですよ」と未映子さんは気さくに答えていた。
 岐阜からやってきたと言う人に対し、未映子さんは「岐阜って東京へ行くより愛知のほうが近いんですか!?」と天然ボケな発言もあった(笑)
 最後まで楽しいサイン会だった。


川上未映子さんのブログ「純粋悲性批判」
 http://www.mieko.jp/




●藤子情報
5月2日、藤子不二雄A先生の『PARマンの情熱的な日々』連載中の「ジャンプスクエア」6月号発売。



 最後に、
 大山のぶ代さんのご快癒を心よりお祈りします。