リスト漏れ藤子作品

 10月25日(土)、兵庫在住の藤子ファン仲間Dさんが、ある用事で愛知へやってくるというので、用事が終わってから名古屋駅で落ち合って、藤子ファン仲間数人と飲みに行くことになりました。神奈川からKさんが駆けつけ、愛知のKさんやOさん、Tさんも参加。みな、ディープな藤子マニア、藤子研究家ばかりで、じつに濃くて熱い集まりになりました。

 Dさんが最近発見したリスト漏れ藤子作品を見せてくれました。リスト漏れ作品とは、われわれ藤子マニアや研究家のあいだでこれまで知られていなくて、藤子作品リストに掲載されていなかった作品のことです。
 Dさんが見せてくれたのは、「少年画報」1969年11月号に掲載された藤子A先生の四コママンガ『午前11時56分』と、「ぼくらマガジン」1970年33号に載った藤子F先生の2ページマンガ『天国と地獄』です。どちらも、他のマンガ家との競作企画で発表されたものです。
 A先生の4コマは、ブラックなアイデアが冴えていました。F先生の作品は、天国を味わうマンガ家と地獄をみるマンガ家を1ページずつ描いています。リスト漏れ作品を発掘したDさんには拍手ですし、こうしてまだ知られざる藤子作品が埋もれていると思うと発掘へのロマンがわいてきます。私もリスト漏れ作品を発見したことがあるのですが、そのときの興奮は格別のものがあります。

 
 遠方より訪れたDさんとKさんが名古屋に宿泊したので、翌26日も一緒に行動しました。「まんだらけ」をはじめ、古本屋をいくつか巡ったのです。
 私は、古本屋で数冊本を買いましたが、これはそのうちの2冊です。
 
週刊少年サンデー」1977年13号: 創刊18周年突入記念企画として、19人のマンガ家がサンデー初登場の思い出を語っています。表紙には、この号でマンガを描いているマンガ家の自画像がずらりと並んでいて両藤子先生の顔も見えます。当時のサンデーには、藤子A先生が『プロゴルファー猿』を連載中でした。


 
「3軒茶屋の2階のマンガ屋」の写真カタログVol.6(1997年12月発行): マンガ古書店のカタログです。藤子マンガの載った雑誌の写真もいろいろ掲載されていて、「少年チャンピオン」のページで『狂人軍』のトビラ全14話分が紹介されているのが藤子ファン的には一番の見どころです。


 この日は、大阪から突然Iさんがやってきて、我々と合流。極美単行本の収集に打ち込んでいたIさんは、最近、単行本未収録作品の掲載された雑誌を購入したり、マンガ雑誌を所蔵した図書館へ出かけ未収録作品のコピーをとったりする活動に熱中しているそうです。この日も、最近古本屋で入手した雑誌「DELUXEサンデー」1969年10月号を持参して我々に見せてくれました。この号には、藤子A先生の『世界ザンコク旅行』という作品が掲載されているのです。この作品は、はりきって世界旅行に出かけた藤子A先生が、行く先々でひどい目にあったあげく、骨だけになって日本へ帰ってくるブラックユーモアです。実際に藤子A先生が世界旅行をしたときの写真を加工して構成されています。A先生の悪ふざけが過ぎるため、最終ページの欄外で編集者が「ヒャーッ!! まいった、まいった !! 先生、もっとマジメにやれーっ!!」と呆れたふうに注意しています^^ (ちなみに、『世界ザンコク旅行』は、単行本未収録作品ですが、リスト漏れ作品ではありません)
 

 夜は、名古屋駅近くの手羽先で有名な店で飲み会。
 藤子マニアが集まったので藤子関連の話になるのは必然としても、藤子以外でこの2日間われわれの話題をさらったマンガがあります。神奈川のKさんが持ってきた『パンダラブー』です。『パンダラブー』は、1973年に描きおろし単行本(ひばり書房)で発表された作品で、作者は、「劇画工房」に参加し貸本劇画の時代に活躍した松本正彦氏です。劇画作家が無理やり描いたナンセンスギャグマンガが『パンダラブー』なのです。
 パンダをモデルにしたマスコットキャラが少年の家に居候するというパターンは、なんだか藤子マンガ的ではありますが、藤子マンガ的なのはそこまでで、この作品はキャラデザインも背景も描線もアイデアもストーリーもすべてが隙だらけでテキトーでくだらなくて緩慢で、何も考えずに描かれた感がありありと浮かんでいるのです。実際、作者の松本氏もヤケクソな気持ちで無意識的に描いたと証言しています。
 主人公のパンダラブーは、当時流行っていたパンダをモデルにしながら、豚の鼻だったり出ベソだったりでパンダのかわいらしさを台無しにしていて、どこかネジが狂った風貌です。いったい彼がどんな生物でどこから来て何の目的を持っていてどんな能力があるのかまるで説明されず、ただ毎回登場してはナンセンスで無目的でバカバカしいことをやるばかり。そのうえ、下品や残酷なネタもいろいろ。
 通常、ここまで絵も内容もキャラクターもダメっぽい作品であれば、単なる駄作としてやりすごしてしまうことになるのですが、この『パンダラブー』はそんじょそこらの駄作と違って、わけのわからぬ破壊力や衝撃力を持っていてます。全体的に緩み切った脱力的な作品なのに、なぜか無駄に底知れぬパワーがある。ツボにハマると、すべてのコマが笑いを喚起する。パンダラブーの表情や口調が妙に恋しくてたまらなくなる。そんな不思議な魔力を持っているのです。
 たまたま私は『パンダラブー』の特集を組んだ雑誌「アックス」Vol.28を持っていたのですが、これを機に単行本も買ってしまいました^^ 2002年に青林工藝舎から発売された復刻版です。

 復刻版『パンダラブー』の巻末に松本正彦氏のインタビューが掲載されていて、以下の発言が私の心にとまりました。

デビュー前の話をしますと、昭和二六年、手塚さんの全盛時代、『来るべき世界』を読んだときに十六歳でしたからね。で、どうしても会いたくなって、東光堂という出版社に行ったんですよ。出版社っていっても普通の家ですよ。そこでね、なんと宝塚の手塚先生の家を教えてくれたんです。それで私、家に押しかけて行ったんですよ。親切な人でね、二階にあげてくれたんです。

 手塚マンガを読んで感動して宝塚の手塚治虫先生の自宅を訪ねたという情熱的な行動が、藤子先生と一緒です。松本氏のインタビューを読む限りでは松本氏の手塚宅訪問は昭和26年のことだったようですが、両藤子先生が高岡からはるばる宝塚の手塚宅を訪問したのは昭和27年のことでした。
 それにしても、出版社がファンに手塚先生の自宅の場所を教えてしまった、というエピソードは時代を感じさせます(昔の雑誌には、マンガ家の住所がよく掲載されていましたね^^)。


 この2日間でご一緒したみなさん、ありがとうございました!