11月2日、手塚治虫アカデミーのレポ

 11月2日(日)3日(月)、東京・両国の江戸東京博物館1階ホールで「手塚治虫アカデミー」が開催されました。手塚治虫生誕80周年を記念して、その業績を検証し論じるシンポジウムです。

 2日「手塚治虫エンターテインメント」、
 3日「アトムの時代〜SFか科学か」、「女性マンガの世界」
 といった具合に、計3つのシンポジウムが開かれたのですが、2日の「手塚エンターテインメント」に藤子不二雄A先生がパネリストの一人として参加されたので、それを観覧してきました。


 夜行バスで朝6時に新宿に到着。午後2時から始まるシンポジウムまで、まだ時間がたっぷりとあったので、川崎市まで足をのばし、藤子・F・不二雄先生のお墓参りに行ってきました。9月23日のご命日にお墓参りができなかったのでこの機会に、と思ったのです。朝の霊園はひんやりとした静かな空気に包まれていて、掃除をするおじさんに「おはようございます」と挨拶しながら、藤子F先生のお墓のある区域まで一人粛々とした気持ちで歩きました。
 お墓参りのあと、まだ時間に余裕があったので、小田急線で向ヶ丘遊園駅まで移動。2011年開館予定の「藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)」が向ヶ丘遊園の跡地に建設予定ということなので、どんな場所なのかこの目で見ておこうと足を運んだのです。行ってみると、公園跡地はかなり広大で、短時間ではミュージアムが建つポイントを見つけられませんでしたが、「だいたいこういう環境の場所に建つんだな」ということがわかっただけでも満足です。ついでに、向ヶ丘遊園跡地にある「生田緑地ばら苑」へ入場して、バラの花を眺めてきました。


川崎市総合企画局藤子・F・不二雄ミュージアム整備準備室のホームページ
 http://www.city.kawasaki.jp/20/fmuseum/index.htm




 江戸東京博物館は、両国駅の目の前、両国国技館の隣にありました。4本の脚で立っているような奇妙なデザインの建物。その1階ホールで、シンポジウム「手塚エンターテインメント」が開催されたのです。

「手塚エンターテインメント」 2008年11月2日(日)14:00〜16:30
映画に比類するエンターテインメントとしてのマンガ。その成立を手塚マンガより検証し、マンガ独自のエンターテインメント論を展開する。

パネリスト:藤子不二雄A(漫画家)、浦沢直樹(漫画家)、犬童一心(映画監督・CMディレクター)、呉智英(評論家)
ナビゲーター:手塚眞ヴィジュアリスト)、司会進行:さとう珠緒(タレント)

 前から2列目という絶好の席に座れました。おかげで、藤子A先生のご尊顔を近いところで拝むことができました。浦沢さんは、手塚先生の『鉄腕アトム』「地上最大のロボット」を原作とした『PLUTO』を描いている縁で、このシンポジウムに呼ばれたのでしょう。もともと大の手塚ファンでもありますし、現在第一線で活躍するなかでは最も「手塚治虫の後継者」と言われることの多いマンガ家ですからね。私は、浦沢さんの実物を今回初めて見ました。評論家の呉智英さんの著作は10冊近く買って読んでいるので、彼がどんな発言をするのかも楽しみでした。



 パネリスト4人がステージ上の席につき、まず一人一人が挨拶。(以下、パネリストの発言は、私が要約しています。あやしい記憶と少しのメモを頼りに書いているので、言い回しや語彙などは実際の発言と違っています)
 藤子A「日本のマンガが世界一の隆盛を誇っているのは、手塚先生のおかげです。僕の手塚マンガとの出会いは、手塚先生のデビュー作『マアチャンの日記帳』でした。このマンガを読むために、中学生になっても「毎日小学生新聞」をとってました(笑) 手塚ファンで最初にマンガ家になったのが、僕と藤子F氏なんです」 A先生が「中学生になっても毎日小学生新聞をとっていた」というくだりを強調すると、場内に笑いが起こりました。
 浦沢「A先生の話が長くなると思っていたのですが、意外に短くて油断してました(笑) 僕が生まれたときにはすでに手塚ワールドが広がっていて、幼い頃に手塚マンガの魔力にハマりました。それ以来「手塚治虫」という水のなかで泳いでいるようなものです」
 犬童「他のパネリストが凄い面々なので、なぜぼくがここにいるのか分かりません(笑) 子どもの頃から手塚マンガを読んでいますが、手塚マンガは暗かった、という印象があります。手塚治虫とは、暗いこと、わからないこと、理不尽なことを描くマンガ家という印象があって、そこに惹かれました。手塚先生の息子・眞くんとは学生時代から映画仲間で、眞くんに用があって電話したら手塚先生が出たことがあるのですが、そのときの手塚先生は不機嫌でした(笑)」
 呉「私が手塚治虫に電話したときは不機嫌じゃなく、明るく知的な人でした(笑) 私は、このパネリストのなかでは理屈を担当する係ですね。手塚治虫が亡くなったとき、マスコミは手塚マンガを、明るく前向きで正義を描いた国民的マンガだと言いました。もちろん、手塚マンガにはそういう面もあるが、それだけではありません。幼稚園のとき『アトム大使』を読み、その数年後に発表された『ライオンブックス』で、「こんな内容がマンガで描かれるのか!」と驚きました。手塚マンガは子ども騙しではありません。私は名古屋の下町で生まれましたが、周りの子どもたちはあまり手塚マンガを読んでいませんでした。手塚マンガよりも、もっと泥臭いマンガが好んで読まれていたのです。マスコミは手塚マンガを国民的アイドルのように言ったが、しかし、手塚マンガはインテリには理解できるけれど、愚民には理解できないところがあるのです。大人にインテリと愚民がいるように、子どもの世界にもインテリと愚民があったのです」 



 その後、手塚マンガの図版をスライドで映しながら、手塚マンガにおける数々の革新性が論じられていきました。
■『マアチャンの日記帳』:手塚眞さんが「この作品は、まだ旧来のマンガとあまり変わりがありませんでした」と解説したところ、藤子A先生が「線のタッチがとても新しくて、藤子F氏と二人で魅惑されました」とリアルタイムでこの作品を読んだ感想を語られました。
■『新宝島』:冒頭の2ページが映し出されました。スライドで映された図版は、手塚先生が後年描き直したもので、そのことを藤子A先生がすかさず指摘されたのが印象的でした。「『新宝島』の単行本を書店で見つけたときは、その本だけが輝いて見えました。公園で藤子F氏と一緒に読んで、これは紙に描かれた映画とだ! と衝撃を受けました」と当時を回想されました。
■『メトロポリス』:見開きのモブシーン。犬童さんが映画『ブレードランナー』を思い起こさせると発言。浦沢さんが、マンガを描く立場から、「この見開きは、ページをめくって見た瞬間、オーッ! と読者を感嘆させる効果がある」と解説。
■『ファウスト』:手塚治虫は、文学的なことをマンガで描いた先駆者でもある。
■『ジャングル大帝』:藤子A先生が『ジャングル大帝』の最終回を手伝ったエピソードを披露。「手伝いながら泣きました」
■『ブラック・ジャック』:手塚治虫は巨匠になってもまだいろいろと新しい試みを行なった。
■『きりひと讃歌』:劇画の描線を取り入れた作品。コミカルなシーンはない。
■『火の鳥鳳凰編:人間の魂も虫の魂も平等であるということを絵だけで見せている
 その他にも、『罪と罰』『鉄腕アトム』『バンパイヤ』など、いくつかの手塚作品がスライドで映され、解説されていきました。



 手塚先生は巨匠と呼ばれるようになってからも後輩マンガ家に対して本気で闘争心や嫉妬心を燃やした、ということはよく知られていますが、そのこともこのシンポジウムで話題になりました。
 藤子A「トキワ荘時代に、石森氏と赤塚氏が一張羅を着て部屋から出てきたので、どこへ行くのかと尋ねたら、手塚先生主催の食事会に誘われたという。しかし、僕と藤子F氏はそんな話を聞いていない。変だなあ、と思ったのですが、あとから、じつは藤子不二雄が手塚先生に嫉妬されていた、ということがわかったんです」 A先生は、このとき手塚先生から嫉妬を買った作品を『オバQ』だとおっしゃっていましたが、『オバQ』はトキワ荘時代の作品ではないので、実際は何か別の作品だったのでしょう。このあと藤子A先生は、石ノ森先生が「COM」に連載した『ジュン』で手塚先生に嫉妬されたエピソードをドラマティックに語られました。
 そして藤子A先生は、「手塚先生は後輩が評価されるとすごく嫉妬されましたが、僕なんか、そういう嫉妬はまったくない。隣に座ってる浦沢さんがどれだけ売れようと評価されようと、もっとがんばれ〜! と思うだけでぜんぜん嫉妬しないんです(笑)」と語って観客を笑わせました。
 浦沢「手塚先生は『巨人の星』がヒットしたとき、「これのどこが面白いのか!」と本を叩きつけたといいます。多彩なジャンルを描いた手塚先生ですが、スポ根は描けなかったのです。生々しい、泥臭い、情念的な“根性”というものは手塚先生の中にないものだったのですが、『火の鳥』黎明編の、骨を突き刺しながら崖をよじのぼっていく男の場面とか、鳳凰編の、両腕をなくした男が彫刻刀を口にくわえて仏像を彫り続ける場面などは、手塚先生の根性ものに対する一つのアンサーだったんじゃないかと個人的には思うんです」
 手塚眞「父は、人間としては誰にでも気配りするいい人だったんですが、マンガ家としては嫉妬深い性格でした」


 浦沢さんの「手塚先生は根性ものが苦手だった」との発言を受けて、呉さんも、手塚マンガの弱点として「泥臭いものが嫌い」「汗臭い友情を描くのが苦手だった」といったこと挙げました。そんななか、呉さんが手塚マンガで泣けたのは、『地球を呑む』のなかの、人工皮膚をまとった登場人物たちの擬似的な家族愛を描いた場面だったそうです。



 その他、印象に残った発言をランダムに紹介します。
■浦沢
「僕は手塚マンガから二度、大きなインパクトを受けました。一度目は『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」。そしてもう一度は、1972年に単行本で読んだ『火の鳥』。この『火の鳥』の頃に手塚先生の描線が変化したと感じています。とくに、キャラクターの口を見ると、その変化がわかりやすい。線に微妙な震えが見てとれるんです。それまでの迷いのない流れるような描線から、キャラクターの演技をいちいち確かめるような描線に変化しています。1969年から71年ごろに、そういう変化が起こっている。それに気づいた僕は、手塚治虫とはなんと常に前進しようとしている人なんだろうと感動しました」
「幼児のころ、アトムの「地上最大のロボット」を読んで、戦いの空しさを知りました」
「藤子先生が、手塚先生の生原稿が光り輝いて見えたとおっしゃいましたが、僕も、「COM」復刊号の『火の鳥』乱世編を見たとき、線が輝いて見えました」
「マンガは映画と比べ、すぐに描けるジャンルです。イマジネーションとアウトプットが直結する。思いついたことをすぐに見せられる。面白いことを鮮度の高いうちにお届けできるのがマンガなんです」


■呉
「(手塚治虫には理不尽だったり難しかったり悲しい作品が多いが、なぜ長いあいだ人気がありつづけたのでしょうか? との問いに対し)ストーリー作りがうまいんです。マンガ論を学校で教えていて実感するんですが、今の学生に一番知られた手塚マンガは『ブラック・ジャック』なんです。この作品のように、一話完結型の話を毎回高いレベルで描けるのはすごいことなんです。手塚は、天性のストーリーテラーです」
「手塚はドストエフスキーの『罪と罰』をマンガ化していますが、そこから、手塚の天才ぶりがうかがえます。登場人物のマルメラードフ(ソーニャの父)の名前には、ロシア語で「マーマレード=甘い奴」という隠れた意味があって、手塚は、そういう文学研究が発表される前から、そのような解釈をマンガで描いていたんです」


■藤子A
「『オバQ』ブームの時代、僕は『オバQ音頭』という歌をつくりました。“キュキュキュのキュ キュキュキュのキュ オバQ音頭でキュッキュッキュッ♪”という歌なんですが、これが大ヒットして200万枚売れまして、レコード大賞童謡賞を受賞して美空ひばりと一緒に写真を撮ってもらったんですよ。藤子F氏は、この曲には一切タッチしていません(笑)」



「司会進行」だったさとう珠緒さんが、自分のブログで「藤子不二雄Aさんは、まるで落語家さんみたいにお話しが上手でしたー」と書いているように、A先生は喋るたびに確実に笑いをとっていました。
■藤子A
「高校生のころ、手塚先生にファンレターを出すと、先生から描き損じの原稿や直筆の手紙などが送られてきました。手塚先生は、ファンにやさしかったんです。僕なんか、そういう手紙をもらっても、まったく見向きもしないのに(笑)」
「僕らが仲間と設立したアニメ会社スタジオ・ゼロ」で、手塚先生から依頼されて『鉄腕アトム』の仕事をやったことがあるんですが、藤子F、藤子A、石ノ森、つのだ、赤塚と個性的な絵を描くマンガ家がみんなでアトムを描いたものだから、ばらばらのアトムになってしまいました。それを手塚先生に見せたら苦い顔をされました。赤塚の描いたアトムがとくにひどかった(笑)」 この『鉄腕アトム』「ミドロヶ沼の巻」のエピソードは有名ですが、「赤塚のアトムがとくにひどかった」という発言が笑いを誘っていました。
 といったふうに、藤子A先生は会場をさんざん笑わせておきながら、シンポジウムの最後に「僕は、はにかみ屋で人前で喋るのが苦手でして、今日もあまり喋れませんでした(笑)」などとオチをつけて、最後まで笑いをさらっていました^^


さとう珠緒オフィシャルブログ「おひまなら見てよね」
 http://ameblo.jp/tamao-blog/entry-10159655140.html




藤子不二雄A先生が登場する雑誌情報(Mさんからの情報)

・「HYPER HOBBY(ハイパーホビー)」12月号(徳間書店)。9月27日に杉並アニメーションミュージアムで開催された藤子A先生と鈴木伸一先生のトークイベント「横山隆一手塚治虫は僕たちにとって何だったのか」のレポが掲載されています。
 http://www.tokuma.jp/magazine/hyperhobby
・「東京人」12月号(都市出版)の特集「手塚治虫への冒険」にも藤子不二雄A先生が登場。インタビュー「トキワ荘の青春と、先生の思い出」。
 http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html


・あと、A先生は登場してませんが、「芸術新潮」11月号の特集「手塚治虫を知るためのQ&A100」は、初心者にもマニアにも面白くて読み応えがあると思います。
 http://www.shinchosha.co.jp/geishin/