「ブルータス」で「オトナのマンガ」特集

koikesan2009-05-19

 現在発売中の雑誌「ブルータス」6月1日号(マガジンハウス)は、「オトナのマンガ」特集です。
 http://magazineworld.jp/brutus/663/


 藤子ネタもところどころでこまごまと見受けられます。

・マンガ評論家・渡辺水央さんが『ローゼンメイデン』について書いた文章のなかに、「本作の持つ〈心を閉ざしたまま世界に立ち向かう少年〉という図式に『新世紀エヴァンゲリオン』(貞本義行)を、〈異次元からの同居人とともに過去と未来を変える〉という筋立てには『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)」を見る人もいるだろう」との一文があります。(72ページ)


・『バクマン。』の原作者・大場つぐみさんのインタビューで、「『バクマン。』の構想を練る上で、近いテーマの作品との差別化を意識したり、参考にした部分はありますか」と問われた大場さんは、「『まんが道』(藤子不二雄A)と『男の条件』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)は読んでいますが、『バクマン。』を書くなら、本来はもっとそういったマンガを読むべきなのかもしれません。が…」と答えています。(85ページ)


・コラムニスト・ブルボン小林さん、タレント・優木まおみさん、京都精華大学教授・熊田正史さんの3人が「あったらいいな、こんな青年コミック誌」というテーマで選んだ夢の連載陣のなかに、藤子・F・不二雄先生の『モジャ公』が入っています。『モジャ公』は、ブルボン小林さんが選んだ模様。(86ページ)



 また、『べしゃり暮らし』を連載中の漫画家・森田まさのりさんとお笑い芸人・千原ジュニアさんの対談でこんなやりとりが見られます。(26ページ)

森田「僕はもともとお笑いが好きなのもあったんですけど、お笑いマンガってほかにあまりないから挑戦してみようと思ったんです。最初は単純にお笑いを描きたいだけでしたが、あとで相方同士の関係を描こうと思い始めて。」


千原「そのきっかけは何ですか?」


森田「藤子先生のエピソードを聞いて、ですね。安孫子先生が友達とマージャンをしてらした時、先生の友人が息子に電話で「今、ドラえもんとマージャンをしている」と言ったそうです。でも、安孫子先生はドラえもんを描いてないじゃないですか? その時、どう思われたのかな、と。」

べしゃり暮らし』のテーマが着想された発端に藤子先生のエピソードが存在していたと思うと、もとより面白い『べしゃり暮らし』がますます魅力的に感じられてきます。
 森田さんが現在「ヤングジャンプ」に連載中の『べしゃり暮らし』は、人を笑わせることに至上の価値を置く高校生・上妻圭右(あがつまけいすけ)が、「学園の爆笑王」からプロの芸人になることに目覚めていく物語です。リアリティあふれるハイレベルな描画と巧みな構成とまっすぐな熱気でぐいぐい読ませます。笑いをテーマにしていますが、ギャグマンガではありません。笑いを題材にした青春ストーリーマンガといったらよいでしょうか。まだ読んでませんが、コミックス第8巻が先月発売されましたね。

森田さんは、他の雑誌でも同様の発言をしています。

森田「なぜお笑いをテーマに、っていうのは、漫才とはまったく関係ないんだけど、藤子不二雄先生の何かで読んだ話がきっかけなんです。安孫子先生(藤子不二雄A)が知り合いの人と麻雀をしていて、その人が自分の息子に電話して「オレは今、ドラえもんと麻雀してるぞ」って言ったんですって。すると息子は大喜びした、って。それはそのことだけが書いてあったんですけど、でもそれを読んで、「アレ?安孫子先生はドラえもん描いてないぞ?」(笑)。」


インタビュアー「藤本先生(藤子・F・不二雄)の方ですよね。」


森田「そう。だからそれを聞いた時に、安孫子先生はどう思ったんだろう? って気になったんですよ。実際にどう思ったかはわからないけど、どこかもどかしい気持ち、嫉妬みたいな気持ちもあったのかな、って。『ドラえもん』はめちゃくちゃ売れてる漫画で――もちろん安孫子先生も大ヒット作を何本も描いているけど――、自分が描いていない作品を言われた時の、そのお互いに対するライバル意識とか、コンビの不思議な感情って、漫才師の相方の関係にも似てるんじゃないかな、って思ったんです。」
(「大阪芸術大学 大学漫画」vol.9/2008年4月12日発行)

 森田さんは、安孫子先生が藤本先生に対し嫉妬心みたいなものを抱いていたかどうか、ということに思いを巡らせています。安孫子先生本人は、藤本先生と別名義で雑誌や地元新聞に投稿していた10代のころは藤本先生への嫉妬心や劣等感を強く感じたことがあったけれど、二人で一人のペンネーム「藤子不二雄(それ以前は、足塚不二雄、手塚不二雄)」で作品を発表するようになってからは「藤本・安孫子どちらが描いた作品も藤子不二雄のものだ」と感じるようになって、藤本先生への嫉妬心はまったくなくなった、といくつかの場所で発言しています。
「藤本くんも、僕の描いた作品を自分のもののように感じてくれていたのではないか」といった発言も聞いたことがあります。また、あるイベントで「トキワ荘メンバーへの嫉妬心もなかった」と語っていたのを耳にしたことがあります。
 藤子先生が書いた戦後児童漫画私史『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(毎日新聞社、昭和52年)で安孫子先生は以下のように書いています。

「それ(koikesan注・嫉妬心や逆恨みなどの感情)が合作形式をとるようになってからは全くなくなった。以前は漫画を描く友達であり、ライバルだったのが、突如二人で一体の同一人格になったのだ。こうなったら藤本がいかに才能を発揮しても喜びこそすれ、嫉妬の感情なんかバタッと起きなくなった。自分自身に嫉妬するバカはいないもんね。」

 実際に2人で合作した作品は藤子作品の全体から見れば限られていますが、たとえ2人で同じ作品を描くわけじゃないにしても、共通の名義で作品を発表することで、安孫子先生は藤本先生のことが自分自身として感じられるようになったわけです。


 というわけで、「(安孫子先生は藤本先生に対し)どこかもどかしい気持ち、嫉妬みたいな気持ちもあったのかな」という森田さんの疑問にとりあえずの答えを用意するなら、「嫉妬心はなかった」ということになります。まあ、森田さんの発言は「安孫子先生に嫉妬心があったかどうか」を探究することに眼目があるのではなく、あくまでも『べしゃり暮らし』着想のきっかけがそこにあったという点で重要なものですから、私がわざわざここで答えを用意するのは無粋といえば無粋でしょう^^ 


 森田さんはこのインタビューのなかで「藤子不二雄先生の何かで読んだ話がきっかけなんです」と語っています。この「何かで読んだ話」とは、愛蔵版『まんが道』第4巻(中央公論社、昭和62年)の巻末に載った小説家・吉行淳之介さんの『藤子不二雄の1/2について』という文章で紹介された話のことだと思われます。吉行淳之介さんの文章から、該当箇所を引用してみましょう。

ここで思い出したことがある。藤子不二雄にたいしての少年たちのアコガレの度合の強さについてである。
十年以上前のことか。青山斎場に用事ができて、そこで阿川弘之近藤啓太郎と一緒になった。
「そばでも食うか」
「そうしよう」
ということになり、三人で赤坂「砂場」の畳の間に上がって、酒をすこし飲んだ。夕方になってきた。
「君たち、これからどうするんだ」
と、阿川がたずねた。
「砂場」のすぐ近くにマージャンをする場所があって、夕刻から場が立っていた。そのことを告げると、阿川は残念そうに、
「あとの二人は誰だ」
「北山竜とドラえもん
ドラえもん、というアダ名の男か」
「いや、本もののドラえもんの一人で、アビコのほうだ」
阿川が帰宅して、
「いまごろ、コンドウとヨシユキはドラえもんとマージャンをしている」
と話していると、幼稚園児くらいの息子が聞きつけ、
「エッ」
と叫んで、顔面紅潮、涙ぐんでしまったという。自分の父親の交友範囲に「ドラえもん」がいたことに、驚き興奮し感激したのである。
阿川からそういう電話があって、
「どうだろう、色紙を描いてくれるかしら」
「気さくないい男だから、頼めばすぐ描いてくれるよ」
ということになった。

 このとき安孫子先生と一緒に麻雀をしたのは吉行淳之介近藤啓太郎・北山竜という面々で、自分の息子を感激させたのは安孫子先生とマージャンをせずに帰宅した阿川弘之さんだった、というわけです。
 森田まさのりさんは、阿川さんが自分の息子に電話して「オレは今、ドラえもんと麻雀してるぞ」と伝えた、というふうに記憶していますが、実際は上の引用文のとおり、阿川さんは麻雀をせず帰宅して、そのとき息子さんに「いまごろ、コンドウとヨシユキはドラえもんとマージャンをしている」と伝えたのです。(森田さんが記憶違いをしていたところで、森田さんの発言の趣旨とは無関係ですが、とりあえず事実確認をしてみました^^)