「コロコロコミック」の『ドラえもん』再録

 5月末に発売された「定本コロコロ爆伝!!1977-2009 『コロコロコミック』全史」(渋谷直角・編/飛鳥新社・発行)には、これまで「コロコロコミック」に携わった人たちの様々なインタビューが収録されていて読み応えがあります。そのなかに、現「コロコロ」編集長の佐上靖之氏のこんな言葉も載っています。

今の『コロコロ』は、記事もマンガの本数も昔に比べたら増えたので、アンケート項目も毎月44〜45項目になってるんです。「ドラえもん名作劇場」という再録を毎月載せてますけど、決してアンケートで上位に来たりはしない。(中略) ただ一方で、「ドラえもん」のコミックスの購買層を見てみる。または、ドラえもん関連の書籍ってたくさん作ってる。それはやはり、その時代時代で小学生が買っていなければ、あれだけの部数にはならないものです。だから、現在の『コロコロ』読者に、「ドラえもんがどれだけ響いてるか?刺さっているか?」っていうと、「ドラえもんが載ってるから『コロコロ』を買う」という強烈なものにはなっていないかもしれない。でも、絶対に「あって当たり前な感じ」にはなっている。

 このインタビューで語られているとおり、「コロコロコミック」では現在も藤子・F・不二雄先生の『ドラえもん』が再録され続けています。てんとう虫コミックスからの再録で、これといって珍しい話が読めるわけではないのですが、今も「コロコロコミック」の原点はF先生が描いた『ドラえもん』であると認識し、その『ドラえもん』の魅力を現在の「コロコロ」読者にも誠実に伝えようとするこの再録の試みを、私は相応に評価しています。その試みに応える意味で、今でも「コロコロコミック」を毎号買い続けています^^


コロコロコミック」最新号(2009年7月号/通巻375号)では、てんとう虫コミックス27巻より「しあわせトランプの恐怖」が再録されています。
 藤子ファン的にこの話でまず印象的なのは、『オバケのQ太郎』の登場人物である木佐くんやゴジラがチョイ役で顔を出しているところです。のび太と木佐くん・ゴジラとがちょっとだけ絡んでいるのです。別々の作品の登場人物が作品の枠を越境して共演してくれると、なんだかそれだけで無性に嬉しくなります。『ドラえもん』の世界にこっそりと『オバケのQ太郎』の世界が紛れ込んだこの話は、もうそのことだけで私にとってとても印象深い一作となっているのです。
「コロコロ」の編集さんは、「藤子・F・不二雄大全集」で『オバケのQ太郎』が陽の目を見ることになったニュースを意識して、今号の再録作品に「しあわせトランプの恐怖」を選んだのかもしれません^^ 


「しあわせトランプの恐怖」に出てくるひみつ道具「しあわせトランプ」は、持ち主の望みを自動的にかなえてくれて、望みをかなえるごとに1枚ずつ消えていくという、一見非常にありがたい道具ですが、52枚のカードが消えて最後にジョーカーが残ったとき、それまでの埋め合わせで不運が束になって降りかかってくるという恐ろしい道具でもあります。
 この話の冒頭に、のび太しずちゃんがババ抜きをやっている場面がありますが、この場面が置かれることで、「しあわせトランプ」の“最後にジョーカーが残ると不運が降りかかってくる”という機能と、ババ抜きの“最後にジョーカーが残ると負け”というルールのイメージが重なって、「しあわせトランプ」というひみつ道具が有するゲーム性や論理がわかりやすく読者に了解されます。


 この話で私が特に笑ったのは、空き地で困った顔をするのび太スネ夫が言ったセリフ「どうした、あいかわらず しょぼくれてるな」です。「どうした、しょぼくれてるな」と言うだけなら平凡なのですが、そこに「あいかわらず」という一語を挿入したことで、このセリフは途端にのび太を馬鹿にした感じのシニカルなニュアンスを帯びます。そのシニカルさに、私は笑いを誘発されたのです。藤子F先生の言語センスは、実にさりげないけれど非常に卓抜で研ぎ澄まされていて、ときに絶品の毒やユーモアを含有しているなあ、とこういうセリフに触れるたびに感嘆しています。


 この話は、最後にのび太がひどい目にあって終わるパターンかと思わせながら、最後の最後に、不運が降りかかって然るべき人物がひどい目にあって終わるため、ちょっとホッとするというか、すかっとした気持ちになれます^^