2009年末に『海の王子』を読む

 
 今月25日に発売された藤子・F・不二雄大全集海の王子』第1巻を読みました。『海の王子』を読み返すのは久しぶりです。メカ同士のバトルに並々ならぬ力を注いだ作品だな、と再認識。海の王子が操るはやぶさ号の武器やギミック、敵側のメカの奇抜なデザインは本作の主要な魅力です。主人公の海の王子は清く正しく美しく強い正義の人で、勧善懲悪の物語における善のイメージをまっすぐに担っています。兄の海の王子のことを「おにいさま」と呼んで慕う妹のチマに対し「妹萌え」を感じる、という声を聞いたことがありますが、確かに、チマの純粋なまでのかわいらしさや兄に対する深い敬慕の念は、バトル展開の多いこの作品においてバトルとは別種の清涼剤的な魅力を感じさせてくれます。真剣味に満ちた登場人物が多いなか、お笑い担当のハナさんの存在感はなかなかのもの。


 前々回のエントリでも触れたように、『海の王子』は藤子マンガ史、とくに初期藤子マンガのなかで最重要の作品の一つです。『海の王子』が重要だという主な理由として、以下のような事が挙げられます。


・「週刊少年マガジン」と並び日本初の週刊マンガ雑誌となった「週刊少年サンデー」の創刊号から連載された記念碑的な作品である。
・「週刊少年サンデー」から依頼のあった2日後に「週刊少年マガジン」からも依頼があり、週刊連載を2つ同時にはできないとの理由で「マガジン」のほうを断った、という逸話がある。
・この依頼を受けたことで、藤子先生(とくにF先生)の主要な活躍の場が小学館になっていった。
・“藤子不二雄初のヒット作”と評されることが多い。
・雑誌で発表された藤子マンガで初めて単行本化された作品である。
・F先生とA先生による本格的な合作マンガである。
中央公論社から刊行された藤子不二雄マンガ全集「藤子不二雄ランド」(全301巻)の記念すべき第1巻目がこの作品だった。


「F先生とA先生による本格的な合作マンガである」ということについては、F先生によるこんな証言があります。

海の王子』の合作なんていうのはね、あれもキャラクターを分けましてね。アイデアは僕の方が多かったと思うんだけど、彼がやったこともあります。ネームを入れたりね。善玉側を僕が描いて悪玉側とメカとかコスチュームとかを彼にやってもらって。(「まんだらけ」12号、1996年)

 2人の合作といっても、F先生の作品をA先生が手伝った、あるいはその逆、といった形態のものが多いなか、『海の王子』はF・A両者が本格的に携わった連載作品であり、象徴的な意味だけではなく実体的な意味でも「二人で一人」の結晶と呼べるものだと思うのです。この当時の藤子先生は、まだトキワ荘に住んでいてプロダクションを作っていなかったため、『海の王子』で見られる描線のほとんどが藤子先生ご自身によるものということになります。そのことも、この作品の魅力的なポイントでしょう。


 また、『海の王子』の人気によって昭和30年代後半のF先生の路線が決定づけられていった、という点でも、この作品は重要です。F先生は『海の王子』が人気を獲得していくなか、『海の王子』の幼年版といえる『ロケットけんちゃん』の連載を小学館の学年別学習誌で開始し、それを機に同誌においてヒーロー冒険活劇路線を確立していきます。その流れのなかで、『すすめロボケット』『とびだせミクロ』などの作品が生まれることになったのです。
 F先生は、『すすめロボケット』と講談社の学年別学習誌で連載した『てぶくろてっちゃん』で第8回小学館漫画賞を受賞します。(このときは当然ながら「藤子不二雄」として受賞)


『すすめロボケット』は、F先生がヒーロー冒険活劇路線から生活SFギャグ路線へとシフトチェンジしていく過渡期にあった作品です。藤子・F・不二雄大全集海の王子』第1巻「あとがきにかえて」に、以下のようなF先生のコメントが収録されています。

海の王子」は幸い好評でした。
同じトキワ荘仲間の寺田ヒロオ氏の「スポーツマン金太郎」には及びませんでしたが、一応の成功はおさめたと思います。 
おかげで、小学館の学習雑誌に、海の王子幼年版「ロケットけんちゃん」が始まり、続いて「すすめロボケット」を連載しました。
このあたりで、SFギャグプラス生活感、いいかえれば、生活ギャグプラスSFチックなキャラクターというパターンが定着したようです。

 F先生は、国民的大ヒット作『オバケのQ太郎』で“日常に闖入した非日常キャラクターが巻き起こすギャグ”“生活をベースにしたSF(すこし・ふしぎ)”という公式を確立しました。これは藤子不二雄の創作活動の本流となった公式です。F先生が、そういう方向性でいけるんじゃないかと手ごたえを感じだしたのは、『すすめロボケット』が好評だったからです。そのことについてF先生はこう述べています。

「ロボケット」という、ロボットとロケットを足して割ったようなキャラクターが出てくるまんがを、学習誌に描きましてね。それが純粋なSFまんがじゃなくて、生活を背景にしたSFギャグだったわけです。幸いに好評で。その頃から何となく、生活感をまんがに持ち込んでみようという発想がありましたね。生活の基盤はあくまで現実世界にあって、片足はもうひとつの、変わった世界に踏み込んでいるキャラクターですね。(『オレのまんが道小学館、1990年)

海の王子』から、『ロケットけんちゃん』『すすめロボケット』『とびだせミクロ』などのヒーロー冒険活劇路線が生まれ、『すすめロボケット』から『オバQ』『パーマン』などの生活SFギャグ路線が生まれた、というふうに藤子マンガ史を整理すれば、その点においても『海の王子』の重要性が浮かび上がってきます。



 F先生は、1982年、藤子不二雄公認ファンクラブの会誌「季刊UTOPIA」7号に『海の王子』が再録されたさい、同誌に以下のようなコメントを寄せました。(藤子不二雄名義のコメントですが、内容から見てF先生の言葉と判断)

竜攘虎搏(リュージョーコハク)という言葉があります。何やらムツカシげな漢語ですが、昔の講談なんかではやたらに使われていた常套句です。要するに強いのが二人居て、互いに秘術を盡し、丁々発止(チョーチョーハッシ、これも講談用語)とわたり合う有様を表わした言葉。「海の王子」は、一言でいえばそんな漫画です。(中略) この手のストーリーの難しさは、両者の強さが果しなくエスカレートして行く点にあります。敵はオドロオドロしい怪物型の潜水艦やら戦艦やらロケットやら、次々に新兵器をくり出してやってくるわけですね。対抗上海の王子もチエノ博士の力を借りてはやぶさ号を改装、又改装。(中略) やっとの思いで敵を倒すのですね。すると次の週からは更に強力な敵が……というパターン。この敵のスケールアップが大変でした。第一話の“黒い狼”に、のっけから世界征服なんて大目標をかかげさせたのがまずかった。第二話が第一話以下というわけにはいかんのですよ。今更日本征服とか西新宿征服とかうたっても迫力ないしね。で、止むを得ず、これ又世界征服。(中略) ついには宇宙征服やら三次元世界征服やらもうシッチャカメッチャカになって(後略)

週刊少年ジャンプ」などで長期連載されたバトルマンガに対して“強さのインフレ”という問題が指摘されることがあります。強力な敵を倒したら次にもっと強い敵が登場し、その次にさらに強い敵が…という事態が続いていくことで、敵・味方どちらの強さにも重みが感じられなくなり強さの価値が下落していく現象が“強さのインフレ”です。この問題は、日本の週刊マンガ雑誌のスタート地点から始まった『海の王子』ですでにF先生によって強く意識されていたわけですね。週刊ペースで長期間連載されるバトルマンガにおいて、この問題は構造的なものであり、時代を超えた永遠の課題といえるのかもしれません。



 さて、2009年も本日で終わりです。
 今年の藤子関連のトピックでは、なんといっても藤子・F・不二雄大全集の刊行が大きな出来事でした。
「今年は藤子・F・不二雄大全集に尽きる」といっても過言ではないのですが、私個人の思いに引き寄せていえば、藤子不二雄Aマンガを論じた著作『藤子不二雄Aファンはここにいる Book1 座談会編』と『藤子不二雄Aファンはここにいる Book2 Aマンガ論序説編』の2冊を上梓できたことがとてつもなく大きな出来事でした。これは自分の人生のなかでも特筆すべきことになりそうです。
 藤子マンガを愛すること、藤子マンガを読むこと、藤子マンガを語ることをライフワークのようにしている私にとって、藤子マンガを論じた本を出せたということは、まさに“夢がかなった”とストレートに喜べるものなのです。来年も、今年に負けぬほど藤子マンガについて語っていけたら、と思います。


 皆さま、よいお年をお迎えください。