F先生と鉄道模型

 「週刊朝日」1972年11月3日号が手もとにあります。最終ページのカラーグラビアに、藤子先生の記事が載っているのです。
 記事のタイトルは、
「わたしの城 2本の模型列車と」

 川崎市生田から同じ市内の別の地区に引っ越した藤子・F・不二雄先生が新築の家に鉄道模型のレイアウトを敷設した……という内容が写真付きで紹介されています。

 F先生が鉄道模型の愛好家であることはよく知られています。F先生は「家中に鉄道模型を敷設する」という夢を持っていて、その夢の一部が納戸の片隅の占有を家族に許されたことで実現した、と記事では書かれています。敷設されたレイアウトの広さは1.5平方メートル。この記事には書かれていませんが、F先生はNゲージを愛好していました。
 記事の題名に「2本の模型列車と」とあるのは、このレイアウトでは操車場で編成された2本の列車がレールを走るからです。ポイントの操作をミスすると、正面衝突が起きるそうです。



 この記事で紹介された鉄道模型のレイアウトは、F先生の短編作品『四畳半SL旅行』(初出「マンガ少年」1979年12月号)の作中で主人公の母伊浩美(おもいひろみ)が制作したレイアウトのモデルになっています。F先生は、ご自分が実際にこしらえた鉄道模型のレイアウトを、ご自分のマンガの中で再現したのです。作中で見られるレイアウトは見開きを使って大きく精密に描かれており、その描き方からF先生の強いこだわりがあふれています。ご自身の趣味全開の描写でもありますね。

 「週刊朝日」の記事中に「視点をレールすれすれに置けば、かなりの迫力が味わえる」とあります。F先生が好んだレイアウトの鑑賞法です。じつは『四畳半SL旅行』の作中でも、母伊浩美が同じことをする場面が見られます。その場面で母伊くんは、「こうやってレールの高さに視点を置くと、すごく実感があるんだよ。まるで、自分がこの町の住人になったみたいな…………」と語っています。さらにこの作品では、トビラページにおいても、レイアウトの高さに視点を置いて模型機関車を眺める母伊くんの顔が描かれています。F先生は、ご自分が好んだ鑑賞法を母伊くんにもさせているわけです。



 F先生は「ビッグコミック」1974年2月10日号でも鉄道模型について熱く語っています。その中にこんな発言があります

模型を使ったSL映画を撮ろうと思いましてね。テスト撮りをやったんですが、8ミリのカメラでアップにすると、なかなか迫力があって、おもしろいですよ。
特撮の要領で、私が模型の列車に乗るという話にしようと思ったんです。10分か15分の。おとなのメルヘンにすれば、きっと楽しいですよ。

 ここで語られた「模型を使ったSL映画を撮る」「特撮の要領で自分が模型の列車に乗る」という事柄もまた『四畳半SL旅行』の作中で描かれています。そのことが『四畳半SL旅行』の物語の核になっている、といってもよいくらいです。
 


 こうして見てくると、『四畳半SL旅行』にはF先生の鉄道模型に向けた熱い思い・強いこだわりがたっぷりとまっすぐに込められていることがわかります。F先生の深い鉄道模型愛の賜物が『四畳半SL旅行』なのです。

 そういえば、ドラえもんのび太鉄道模型てんとう虫コミックス39巻所収)のトビラも、『四畳半SL旅行』のトビラと構図が似ているではないですか。(「のび太鉄道模型」のトビラで鉄道模型を眺めているのはドラえもんです) 
 「のび太鉄道模型」の作中では、スネ夫鉄道模型のレイアウトを自慢されたのび太が、ドラえもんにつくってもらった地下室に広大なレイアウトを敷きます。桁外れの広大なレイアウトを敷設することはF先生の長年の夢でしたから、この話はまさに先生の長年の夢がストレートに表現されたものといえるのです。

・【追加画像】『ドラえもん』「のび太鉄道模型」のトビラをイメージした立体ジオラマ。2022年藤子・F・不二雄ミュージアムの入場口のところにあった期間限定の展示です。



 F先生は、落語家・春風亭小朝さんとの対談で次のように語っていました。

小朝「漫画を通してやりたいことをすべてやってきたという感じが伝わるんですが、まだ夢をお持ちですか。」
藤子F「ありますよ! 無人島に模型の鉄道を徹底的に作ってみるとかね」
小朝「えっ、島全体にですか?」
藤子F「そう。島にたくさん駅を作るの。そこに精巧に作った鉄道模型を走らせたい。」
(「トランヴェール」1996年1月号)

 これは、F先生晩年の発言です。F先生は、壮大なスケールの鉄道模型をつくることを生涯の夢としてずっとお持ちだったのです。先生の財力であれば夢の実現も不可能ではなかったんじゃないかな、と思うのですが、体調を崩しながらも亡くなる間際までマンガの執筆にとりくまれたF先生にそこまで趣味に費やすゆとりはなかったようです。
 このF先生の長年の夢は、現実にはかなえられなかったものの、今回見てきたように、ご自分の描くマンガ作品の中でぞんぶんに表現されてきたわけで、その意味では、F先生はちゃんと夢をかたちにできていた、ということになるのかもしれません。

 F先生にとってマンガを描くということは心の中に生じた夢を自らの手でかたちにする掛け替えのない最高の手段だったのだなあ、とあらためて感じ入っております。