大山のぶ代講演会

 8月7日は、のび太くんの誕生日でした。のび太くん、おめでとう。 藤子・F・不二雄大全集ではのび太くんの誕生年は初出に従って昭和37年となっているので、彼は今年で48歳になったことになります。作品世界のなかでは永遠の小学生として春夏秋冬をループしているのび太くんですが、作中で生年月日がはっきりと設定されているため、毎年8月7日が訪れるたびに彼の実年齢も確定されてしまうわけです。ちなみに、てんとう虫コミックスでは昭和39年生まれということになっているので、てんコミ準拠ならば彼は今年で46歳です。


 そんな記念すべき8月7日という日に、長年ドラえもんの声をつとめた大山のぶ代さんの講演会が名古屋で開催されました。講演会の概要は以下のとおりです。

■「中京大学金山まつり」文化会講演会・大山のぶ代さん(女優・声優)が人生アレコレを語る

 例年、中京大学にて行われている文化会講演会。今年は、8月7日(土)に開催される金山まつりのイベントの1つとして行われる。講師は、アニメ「ドラえもん」やテレビ番組「ためしてガッテン」、その他ドラマやラジオなど、女優・声優として活躍し、2004年度放送ウーマン賞大賞を受賞した大山のぶ代さん。
 講演テーマ「大山のぶ代のおもしろ人生アレコレ」のもと、長い女優・声優生活を振り返り、経験してきたこと、苦労したこと、学んだこと等を交えて、自身の人生について語る。入場無料ですので、皆様お誘い合わせのうえ、是非お越しください。


日 時 2010年 8月 7日(土) 15時00分〜 
会場 中京大学文化市民会館 プルニエホール
地下鉄名城線金山駅」下車 地下連絡通路あり
JR中央本線 東海道本線金山駅」下車 北へ徒歩5分
名鉄本線「金山駅」下車 北へ徒歩5分
入場料 無 料 

 大山さんのお姿は、2006年、大山さんの著作『ぼく、ドラえもんでした。−涙と笑いの26年うちあけ話−』が上梓されたときのサイン会で拝見したことがあります。その年のサイン会は、私の知る限りでは東京、京都、広島で開催され、私は東京と京都に参加しました。そのとき以来4年ぶりに大山さんのお姿をナマで拝見できるとあって、私は講演会に出かけることにしました。
 1979年から2005年までドラえもんの声をつとめた大山さんは、幼い頃からドラえもん好きだった私にとってたいへん重要な人物であり続けています。その大山さんが名古屋にやってきて話をしてくださるというのですから、ありがたい限りです。ドラえもんの声優時代のお話を期待しつつ、足を運んだのでした。


 講演会は予定どおり午後3時にスタート。舞台の右袖から登場した大山さんは、壇上に到達する前に途中で足を止め、観客席をにこやかに見渡しました。手には愛用のドラえもんメモ帳や藤子・F・不二雄大全集ドラえもん』(たぶん第4巻)を持っておいででした。
 壇上に立って挨拶をし、『ドラえもん』のワンエピソード「ぞうとおじさん」のお話から入っていかれました。広島原爆忌、長崎原爆忌終戦記念日と続くこの時節に合わせて、「ぞうとおじさん」のお話を選ばれたのでしょう。
ドラえもん』の「ぞうとおじさん」は、『かわそうなぞう』という童話がベースになっています。『かわいそうなぞう』はおおむねこんな話でした。


 東京空襲が激化し、檻から猛獣が逃げ出す危険性が増したため上野動物園の動物たちを殺せという命令がくだった。動物園の人気者だったゾウも殺されることになり、毒入りの餌を与えられるが、ゾウは毒入りであることを察知してか食べることを拒否。結局、ゾウに餌を与えるのをやめ、餓死するのを待つことに。そうして一頭また一頭とゾウが餓死していくのだった……


 大山さんは、そうやって童話のなかで死にゆく運命にあったゾウの命を、『ドラえもん』の作品世界のなかで独自のアイデアを駆使して救った藤子F先生のことを「心をもってゾウのことを考えたやさしいおじさん」と評価されていました。



「ぞうとおじさん」の話を10分ほどした大山さんは、その後、梅干をこめかみに貼ると頭痛が楽になる、肝臓にはしじみ汁がいい、二日酔いには柿の葉、火傷にはアロエ、歯痛には薄荷、吹き出物にはハト麦湯…といった民間療法の話を始め、60分間の講演会の4分の3ほどがこの話で占められました。講演会のそもそものテーマは「大山のぶ代のおもしろ人生アレコレ」であり、「長い女優・声優生活を振り返り、経験してきたこと、苦労したこと、学んだこと等を交えて、自身の人生について語る」というのが趣旨だったはずですが、実際は、大山さんが調べてきた民間療法のウンチクが講演の大半を占めたわけで、少々面食らいました(笑)
 終盤10分ほどで、「私は人生のなかで二度大病を患いました」「戦争はもう二度と起こしてはなりません」といった話をされ、最後にスタッフから花束贈呈で講演は終了。
 大山さんは今回の講演会で、動物園の動物が殺されてしまうようなことになる悲惨な戦争はもう絶対に起こしてはならない、体の調子を崩したさい病院や新薬に頼るばかりではなくいろいろな養生術がある、といった話を通して、平和であること・健康であることの素晴らしさを説き、ひいては命の大切さを訴えたかったんだと私は理解しました。



 講演を聴いて、ちょっと気になったことがありました。
 講演のテーマが“大山のぶ代の人生アレコレ”から“民間療法アレコレ”にシフトしてしまったのはご愛嬌だとしても、今回の大山さんのお話は全体的に、説明が足りなかったり唐突だったリと要領を得ないところが多かったのです。
 大山さんは、2年前に心筋梗塞脳梗塞を併発して入院されました。退院後リハビリで運動機能は回復したけれど、言葉が出ない、足し算ができない、ボタンを掛け違えるといった後遺症があるんです、と昨年出演したテレビ番組でおっしゃっていましたが、やはりそういう後遺症の影響が講演でのお話ぶりにも多少出てしまっているようでした。


 もちろん2年前に心筋梗塞脳梗塞を患った73歳の女性として見れば、たいへんしっかりしたお話をされていたわけですが、往年の大山さんのカクシャクとしたたたずまいや話術を知る身としては、ちょっと寂しさを感じてしまった部分もないではありません。
 でも、動作はスムーズで表情は豊か、声に張りがあって、お体はとてもお元気そうでした。病魔を克服された凛としたお姿がそこにありました。そんな元気な大山さんの姿を見られただけでも、この講演会へ行った甲斐がありました。
 大山さんは、後遺症と闘いつつも講演会中は決して笑顔を絶やすことなく、常に明るい姿を見せておいででした。そういう姿を見せることで言葉だけでなく全身で観客を勇気づけることこそが、大山さんが講演活動を行なう最大の目的なのかもしれません。


 講演会終了後、私は会場の中京大学文化市民会館を出たところで、ふと大山さんの出待ちを思い立ち、一緒に講演会を聴いていたHさんと二人で会舘の裏側にまわりました。するとそこに一台のタクシーが停まっていました。しばらく待つと、イベントのスタッフの方々とともに大山さんが建物から出てこられました。
 スタッフの方々が大山さんを囲んで集合写真を撮影。我々はその模様を少し離れたところで眺めました。その後大山さんはタクシーに向かって歩き出したわけですが、出待ちをしていた客は我々二人だけだったので、私が「ありがとうございました」と言って手を振ったら、大山さんはこちらを向いて笑顔で手を振ってくださいました。タクシーに乗り込んでからも窓を開けて、こちらに向かってずっと手を振ってくださって、なんだか最後に大山さんを独占できたような気分にひたれたのでした(笑)