放浪の画家・山下清と山川キヨシくん

 愛知県の高浜市やきものの里「かわら美術館」で7月17日から9月5日まで開催中の展覧会「放浪の天才画家 山下清のすべて」へ行ってきました。
 


 高浜市は人口45000人弱と愛知県のなかでは小さいほうの市なのですが、美術館の立派さにまず驚きました。
 

 
「放浪の天才画家 山下清のすべて」は、“裸の大将”“放浪の画家”“日本のゴッホ”などと呼ばれ多くの人に愛されている山下清の真実の姿を伝えよう、という展覧会。清が残した代表的な貼絵作品を中心に、油彩、水彩、ペン画、版画、陶芸の絵付け、素描などさまざまな作品を展示しています。また、彼が放浪のさい使ったリュックサックや、放浪の日々を書きつけた日記、海外旅行のさい使ったパスポート、コレクションしていた切手など山下清の持ち物も展示され、彼の人となりや生活ぶりを感じられるようにもなっていました。


 清が知的障害児の施設「八幡学園」で貼絵に出会ったばかりの頃(昭和9年、12歳)の作品は、チョウやハチなど昆虫を描いたものが多く、その絵は単純なものでしたが、その翌年以降になると自分の生活風景を貼絵として描くようになり、絵の細かさ・描写力は飛躍的に上がっていきます。ごく短い期間で貼絵をみるみる上達させ自分の世界を獲得していった清の、類まれなる才気が感じられます。
 昭和12年の『風呂場』という貼絵では、湯舟や人の体から立ちのぼる湯気の一本一本までが表現されていました。湯気の描写はまだ素朴なものでしたが、この湯気の描写があることによって絵が生き生きと熱を帯びるようでした。
 昭和14年の『菊』という貼絵もよかった。無数に咲き誇る菊の花の描写だけでも圧巻なのですが、その花のなかに数匹のハチが紛れ込んでいて、芸の細かさに驚かされます。
『栗』(昭和13年、貼絵)という作品では、古切手を使うことでイガの一本一本に独特の立体感を与えています。


 清は昭和15年(18歳)に突然八幡学園を飛び出し放浪の旅に出、その後も昭和29年まで断続的に放浪生活を続けます。清はこの放浪生活を“るんぺんの生活”などと呼んでいました。
 この時期の貼絵はますます完成度・緻密さを増し、見ごたえたっぷりの作品が並びます。私が特に好きなのは『金町の魚釣り』(昭和25年)です。川の水面の表現が絶品で、見とれてしまいます。水面の色合いを水色などでくっきりと塗り込めるのではなく、地面の領域に紛れてしまうかのような微妙な色使いをしているのですが、川の描かれた領域は“まさにそこに水がある”という質感が画面から浮かび上がっているのです。その水面に映る人の姿も情感があってすばらしいです。


 清は、清を主人公にした映画やドラマなどの影響で、多くの人から、放浪した先で貼絵や日記を書いていたと思われがちですが、それは誤解で、彼は放浪を終えて学園に帰ってから自分の記憶を頼りに精密な貼絵や細かい日記を書いていたのです。清の驚異的な記憶力がうかがえるエピソードですね。清は子どもの頃から記憶力が高く、トランプの神経衰弱では誰よりもはっきりとカードを記憶していたそうですし、炬燵、麒麟、蒟蒻など大人でも書けないような漢字をすらすら書いていた、ということです。この抜群の記憶力に、清の鮮やかなイマジネーションが加わって、精密かつ個性的な貼絵が生み出されていたのです。


 清がヨーロッパ旅行で訪れた先の風景を描いた水彩やペン画も魅力的でしたし、彼の遺作となった『東海道五十三次』は、その地を訪れたときの日記文の面白さと相まってこの展覧会のラストを締めくくるにふさわしい展示となっていました。
 彼は昭和46年7月10日の夜、脳出血で倒れ、その2日後帰らぬ人となるのですが、その倒れた日にしおりに書いたサインも展示されていました。このサインが清の絶筆です。


 清の文章も絵画作品に負けず劣らず面白いです。
 彼の文章は、句読点を使わず、行替えもほとんどなく、帳面にびっしりと文字が書き込まれています。「〜ので、〜ので、〜ので」と接続助詞で文を延々とつないでいく文体も特徴的で面白いです。清は文章に句読点やカッコを使わないことについて、「人と話すときは点やマルとはいわないんだな」と語っています。
 今回の展覧会で掲示されていた清の言葉で特に印象に残ったもの、面白かったものを挙げておきます。

■『白隠禅師の墓』という版画に添えられた言葉:「墓の絵はなんべんも描いたな 横浜では外人墓地を描いたし、フランスでもゴッホの墓を描いたな ゴッホの墓のそばにもっといい墓がたくさんあったのに 周りの人がどうしてもゴッホの墓がいいっていうから 暑いのをがまんして描いたな みんな墓におまいりにいくけど 死んだ人にわかるかな 死んだことのない人が死んだ人のことわかるかな」


■『オランダの風車』という水彩画に添えられた言葉:「僕のように絵本でだけしかオランダを知らない人間がオランダを見物に来て 絵本に出ていた風車はどこにあるかと聞かれた時 無いと困るので 見物人に見せるために風車を電気で動かしている 外は本物でも中身は偽物だと言われた」


■『長岡の花火』という、清の代表的な貼絵に添えられた言葉:「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて 起きなかったんだな」

 
 ・展覧会の図録


 
 高浜市は瓦の産地だけあって、美術館の名前が「かわら美術館」ですし、瓦にちなんだ場所やモノがいろいろと見つかります。

 
 ・公園に鬼瓦が!


 
 ・瓦をかぶったポスト


 
・美術館の玄関前に鎮座する巨大な瓦シャチホコ2体


 ここまで市をあげて“瓦押し”でいろいろやってくれていると、高浜市が“瓦のまち”だってことが強く印象付けられます。


 高浜市は、エヴァンゲリオンなどで知られる漫画家・アニメーターの貞本義行さんが、高浜市出身の漫画家・たかはまこさんとの結婚を機に居を移した場所でもあります。この夫婦の合作『DIRTY WORK』では、高浜市の風景が描かれているそうです。



 さて、最後に山下清と当ブログのテーマ・藤子不二雄との関連について書いて締めくくりたいと思うのですが、この話題で私が真っ先に思い出すのは、A先生の『フータくんNOW!』(「少年KING」1982年〜83年連載)にレギュラーとして登場した放浪の少年天才画家・山川キヨシくんです。このキヨシくんは、明らかに山下清をモデルにしたキャラクターですから。
 山下清が貼絵を中心に創作していたのに対し、キヨシくんは点描画を得意としています。無口な性分ですが、ときどき唐突にパカッと口を開いて喋り出します。そのセリフの文字が全部漢字なのでフキダシのなかが一見漢文のように見えてしまうのが非常に印象的。漢字ばかりのセリフなのですが、ちゃんと平仮名で意味のわかるようルビがふってあるので読者には理解しやすいです(笑) 『フータくんNOW!』に登場するキャラクターのなかでも最もインパクトを残すのがこのキヨシくんでしょう。
 山川キヨシくんは、A先生ご自身気に入っておいでだったようで、のちに『パラソルヘンべえ』(「ヒーローマガジン」1989年〜91年連載)の「ヘンべえと天才少年画家」という話にも登場します。このときのセリフは“漢字ばかり”ではなく普通のセリフになっています。
 
 ・藤子不二雄Aランド『フータくんNOW!』(2003年、ブッキング)

 
 あと、今回の展覧会では、手塚治虫先生が描いた山下清の似顔絵を清が手に持っている写真が展示されていました。