松本零士トークショー

 8月3日から9日まで名古屋三越6階特設会場で「〜夢とロマンをのせて〜 松本零士の世界展」が開催されています。
 7日(日)には松本先生が来場してトークショーを行なう、ということで、名古屋市科学館で「黄河大恐竜展」を楽しんだあとは名古屋三越へ徒歩で移動し、松本零士先生のお話を堪能しました。


 松本先生は『宇宙戦艦ヤマト』のテーマソングとともに登場。席に着いてすぐ、「今“さらば〜 地球よ〜♪”と流れていましたが、私はまだまだ地球をさらばしたくないです(笑) 生涯現役でやっていきます」とおっしゃって、観客を心をつかみました。

 

 時節柄、司会者が戦争について松本先生に質問したので、先生の戦時中の体験や戦争に対する考えなどがトークショー前半の話題の中心となりました。先生の発言の一部を紹介しましょう。(これから紹介する松本先生の発言は大意です)


「戦時中は小学生だった。田んぼで米軍戦闘機の機銃掃射を受けたことがある。のちに戦記もののマンガを描くことになるが、このときの体験が作品にリアリティを与えていると思う。機銃掃射は怖かったが、田んぼに埋まった弾を掘り出して、ちゃっかり宝物にしていた(笑)」


「ため息をつくな、と父に言われて育ったので、ため息をつけない子供だった。そのため、『無縁坂』(歌:さだまさし)の「ため息をつけばそれで済む」という詞が好き」


「将来は機械工学の道に進みたかったが、軍人だった父親が戦後GHQによって公職追放にあい、露店を開くなどして貧しい生活をしのいだ。進学はあきらめ、その夢は弟が実現した。
 いま弟と、絶対揺れず船酔いをしない船をつくっている。スタビライザーを付けることで揺れを防ぐ。(松本先生の弟さんは、早稲田大学大学院教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本将氏)」


「漫画家になってディズニープロを訪問したさい、2人の青年が近寄ってきて、正直に言って広島・長崎に原爆を落としたことを恨んでいるか、と尋ねてきた。私は、そういう質問をしてくれただけでありがたい、と答えた。戦争では殺す側にも殺される側にも家族がいて大切な人がいる。だから、殺す側も、そういう大切な人が殺されることのつらさをわかっている。
 もう人類はこんな殺し合いをしている時代ではなくなる。今後は地球の環境保全のため、資源エネルギーの確保のため、人類は宇宙を求めることになる。もうすぐ殺し合いはなくなる。今はその過渡期」

 
 司会者に今後の活動について訊かれた松本先生は、
「いま東映で『キャプテンハーロック』の3Dアニメーション映画の制作を進めている。この映像は凄い。船酔いしますよ(笑)」と答えられました。
 先ほど船酔いしない船をつくっているとおっしゃったばかりの松本先生ですが、映画は船酔いするものをつくっておられるようです(笑)


「実写版の『銀河鉄道999』の企画も持ち上がっている。私は、メーテルの役を小雪さんに、クイーン・エメラルダスの役を天海祐希さんにやってもらいたい、と希望している。最近、メーテルはロシア語で小雪という意味だ、と教えてもらった。偶然だが、私はちょうどよい名前を付けていたんだな、と感心した(笑) もともとメーテルとは、ラテン語のメーテールで「母」という意味」


 ほかにもいろいろなお話をされました。これはファンのあいだではよく知られた話ですが…
「1943年公開のアニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』を、幼少期に兵庫県の明石の劇場で観た。同じ劇場で同じ日に、偶然、宝塚に住んでいた手塚治虫さんもこの映画を観ていた。私はこの映画を観て、アニメをやりたいと思うようになった」



 本日のエントリの最後に、松本零士先生のトークショーから“藤子不二雄”の話題を抽出すると、松本先生が同期の漫画家の名前を挙げていくくだりがあって、そのなかで石森章太郎赤塚不二夫ちばてつやといった名前とともに「藤子不二雄」の名をおっしゃいました。
 松本先生は「戦後マンガの第1期が手塚治虫さんで、自分たちは第2期だった…。いや、手塚さんとそんなにデビューした年数が開いているわけじゃないので、第2期と言えるのは永井豪さんたちだろう。我々は第1期と2期の中間かもしれない」といったことも語られました。


 松本先生といえば、今月の旬の話題である小学館クリエイティブの『UTOPIA 最後の世界大戦』復刻本とも大いに関係があります。この復刻本は、松本先生がコレクションしていた『UTOPIA 最後の世界大戦』の原本を元に、初版の状態を忠実に再現したものなのです。
 http://www.shogakukan-cr.jp/utopia/