ちびまる子ちゃん展

 名古屋駅の「ジェイアール名古屋タカシマヤ」10階特設会場で、8月10日から22日まで「さくらももこ ちびまる子ちゃん展」が開催されました。1986年「りぼん」に登場した『ちびまる子ちゃん』が今年で25周年を迎えるのを記念した催しです。
 私が『ちびまる子ちゃん』に最も熱中したのは、マンガもアニメの初期の頃でして、最近は遠ざかりぎみなのですが、あの『ちびまる子ちゃん』の原画を名古屋で観られる!とあって、行けたら行ってみたい、と思っていました。そんなおり、奈良県在住のマンガ好きの友人が名古屋へ来るから会いましょう、ということになって、それに合わせて20日(土)この展覧会へ行ってきたのです。その友人の友人も一緒で、3人での行動となりました。
 
 さほど大規模な展覧会ではありませんでしたが、さくらももこさんの描いた原画およそ100点をじっくりと鑑賞できて、じゅうぶんに楽しめました。やはりマンガの原画はいいなあ、とあらためて実感。印刷されると判別できなくなる指定文字や画材の素材感や微妙な色ムラなどが分かるので、思わず見入ってしまうし見惚れてしまうのです。


 原画の展示は、『ちびまる子ちゃん』のカラー扉絵と単行本の表紙絵が中心でした。一枚絵として鑑賞できる着色原画がメインで展示されていたわけです。原画はおおむね発表された順に並べられ、ところどころに、さくらももこさんの解説コメントが掲示されていました。そのほか、『コジコジ』や新聞4コマ版『ちびまる子ちゃん』の原画も見られました。


ちびまる子ちゃん』のカラー扉絵をまとめてたくさん観ていると、私の頭のなかでは、さくらももこさんの描く扉絵のいくつかが、色彩感覚といい、構図といい、描かれている世界観といい、仏教(密教)の世界を整然と図式化した曼荼羅(マンダラ)のイメージと重なり合いました。『ちびまる子ちゃん』のお話の中身は1970年代のコテコテの日本が舞台ですが、扉絵は話の内容から独立したものが多く、それらのなかに曼荼羅を思わせるもの、日本よりもインドかチベットのような雰囲気を醸し出しているものが見受けられたような気がするのです。


 原画の展示のほかには、小さな穴を覗くと懐かしの風景・レコード・玩具などが見える「思い出トリップ」や、いろいろなサイズのまる子ちゃんが25人ずらりと集まった「まる子No.25」、4コマ『ちびまる子ちゃん』やアニメができあがるまでの工程を紹介した「『ちびまる子ちゃん』ができるまで」などのコーナーがありました。


 
 ・有料スペースに入ると撮影は禁止になりますが、「みまつや雑貨店」だけは記念撮影OKでした。

 
 ・まる子ちゃん本人も来場!


 同展で掲示されたさくらももこさんの解説コメントの一つに、藤子不二雄A先生のお名前を見つけました。さくらさんが講談社漫画賞を受賞したときのパーティーで、藤子不二雄A先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生に声をかけてもらって感動した、という話でした。このエピソードは、りぼんマスコットコミックス『ちびまる子ちゃん』第5巻のおまけページでも、さくらさんの言葉で紹介されています。そのページでさくらさんは、子供の頃から夢のような存在だった藤子先生や石ノ森先生(コミックスの文章では赤塚先生のお名前はありません)から声をかけられて「何を答えてよいかわからず、気の抜けたタコ風船のような顔でおふたりを見つめていたと思うのだが記憶にない」と記述しています。そして、パーティーが終わって帰りのタクシーに乗ったら「どんどん涙が出てきました」とのこと。
 さくらさんの感動が簡潔な言葉でよく伝わってくる文章です。


 私はこのエピソードを藤子不二雄A先生から直接うかがったことがあります。2002年、藤子A先生のふるさと富山県氷見市でのことでした。
 パーティーさくらももこさんに声をかけたとき、さくらさんはたいそう緊張していたようで、あまり言葉を交わせなかったのだが、あとになって、『ちびまる子ちゃん』の単行本にそのときの感動ぶりが書かれているのを知って嬉しく思った、とA先生はおっしゃっていました。


 藤子・F・不二雄先生と『ちびまる子ちゃん』の関連性で思い出すのは、ビデオソフト情報誌「ファインビデオ」1990年9月号に載っていたF先生のインタビューです。
 インタビュアーから「今の子どもたちはスピードに慣れ過ぎてると思われませんか?」を訊かれたF先生は、こう答えています。
「それはありますね。刺激が強いとか人目を引く要素がなければ観てくれないというのはあるでしょう。だから、『ちびまる子ちゃん』なんて作品が人気あるのは、いいことだと思いますよ」
 F先生が自ら『ちびまる子ちゃん』のタイトルを挙げ、そのヒットを「いいこと」と評価しているのが印象的でした。


 あと、『ちびまる子ちゃん』の作中にささやかな藤子ネタが見られます。りぼんマスコットコミックス第1巻所収の「宿題をためた まる子ちゃん の巻」でのこと。夏休みが明けて1日目、先生はクラスのみんなに、夏休みに何が一番楽しかったか発表してください、と言います。ほかの子供たちの派手な発表のあと、まる子ちゃんは必要以上にみじめな気持ちで「あ…あたしは 町内盆おどり大会でオバQおんどを踊ったことが…」と答えるのでした(笑)


ちびまる子ちゃん展』観覧後は、Cafeロジウラのマタハリで食事を取りました。ゆず茶がうまかった!
 ロジウラのマタハリの壁に貼られた川上未映子さんの色紙を見たら、そこに「ゆず茶がおいしかった!」とか書かれていて、「おお!未映子さんもここで同じゆず茶を満喫したんだ!」とちょっと嬉しくなりました(笑)


 その「ロジウラのマタハリ」に翌日も出かけました。滝本晃司さんのライブがあったのです。今回の滝本さんのライブは「夏の路地裏」というタイトルで、夏に関連した曲を中心に唄う、というのがテーマでした。
 滝本さんのサマーソングを聴いて、うっとりとした時間をすごせました。不思議な抒情性のある歌詞もすらばしいです。


 私の大好きな『なぞのなぞりの旅』も聴けました。ライブ前の1週間は、この曲をリピートして聴いていました。この曲に関しては、滝本さんのこんなMCも印象的でした。
「『なぞのなぞりの旅』は夏の唄ではなさそうに見えるのですが、僕にとっては夏のイメージなんです。子供のころ、夏に窓を開けていたら砂埃が入ってきて部屋が汚れ、雑巾がけをしたことがあって、その体験を唄っているからです。雑巾がけをやっているときテレビに映っていたのが、表参道を舞台にした郷ひろみさん主演のドラマでした。かたや表参道の華やかな世界、かたや部屋で雑巾がけ……そのギャップが悲しかった(笑) 僕はまだこの体験を引きずっているようです(笑)」
 今回のライブで最も自分の体がノったのがこの曲でした。


 滝本さんが次回名古屋で行なうライブは「星を食べる」というテーマで、星や月など夜をイメージした曲を中心にやるということです。
 私はその「星を食べる」という語を聞いて、滝本さんの曲『星を食べる』が劇場版アニメ『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の挿入歌に使われていたこと思い出し、前日に「ちびまる子ちゃん展」に行ったばかりというホットなタイミングだったため、ちょっとばかり興奮(笑) それで、ライブが終わってから滝本さんに思わずそのことを伝えてしまいました。
 さくらももこさん本人がこの曲を選んだのだそうです。滝本さんは当時そのことが嬉しくて、曲が使われていることを内緒にして娘さんを新宿の映画館へ連れて行ったら、娘さんは「あ、お父さんの歌だ!」と気付いた、ということです。


 この『星を食べる』という曲は、「ポケットの〜中で〜♪」という出だしなのですが、私の脳内が藤子ファンモードのときにこのくだりを聴くと、劇場版ドラえもん第1作『のび太の恐竜』のテーマソング『ポケットの中に』がちらりと頭の中をよぎることがあります(笑)


 滝本さんの『星を食べる』が劇場版『ちびまる子ちゃん』に使われたのは、「たま」時代のことです。あの『さよなら人類』の「たま」です。「たま」の楽曲がアニメ『ちびまる子ちゃん』で使われた事例は他にもありまして、「たま」の『あっけにとられた時のうた』が、テレビシリーズ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ曲になっているのです。1996年から98年のことでした。
 
 ・『あっけにとられた時のうた』のシングルCD


「たま」さくらももこさんの縁はそればかりでなく、たしか「たま」イカ天に出演した直後くらいの両者の出会いから始まって、いろいろなところでかかわりをお持ちです。
 私にとって印象深いところでは、雑誌「宝島」で「たま公認月刊たまぷくろ」というコーナーが連載されていたのですが(1990年〜92年)、そのコーナーには毎回さくらさんの4コママンガ『たまの人』が載っていたのです。
 1990年は「たま」現象が起こった年でもあり、『ちびまる子ちゃん』ブームの年もでありました。両者ともに社会現象となったわけです。この年の末の紅白歌合戦では、「たま」の『さよなら人類』と、『ちびまる子ちゃん』の初代エンディングテーマ『おどるポンポコリン』(B.B.クイーンズ)を聴くことができました。
 
 ・「宝島」1990年10月9日号。たま公認月刊たまぷくろ」連載当時の号です。表紙にはさくらももこさんが描いた「たま」のイラストも。 


 雑誌「宝島」と同じ宝島社の出版物である別冊宝島『私たちの好きなちびまる子ちゃん』(2003年発行)には、「たま」スペシャルインタビューや石川浩司ご夫妻の寄稿があります。
 



 これは6月のライブのとき滝本さんにいただいたサインです。滝本さんのアルバム『空の下』に書いてもらいました。
 



 ●追記
 本日(24日)昼間に放送されたTBSラジオ小島慶子 キラ☆キラ』の特集「藤子不二雄と私」を、いまポッドキャストで聴きました。世間的には「親が子どもに読ませてもよいマンガ」というイメージの藤子マンガが持つお下劣要素について語られていました(笑) 私も以前『オヤジ坊太郎』をお下劣藤子マンガとして取り上げた文章を書いたことがあるので共感^^
 http://www.tbsradio.jp/kirakira/2011/08/20110824-1.html