藤子不二雄Aトークショーに代表質問者として出演!

 29日(土)、京都国際マンガミュージアムで「藤子不二雄Aトークショー」が行なわれました。これは、同ミュージアムで同日から12月25日まで開催される「赤塚不二夫マンガ大学展」の関連イベントで、赤塚先生の盟友・藤子不二雄A先生が、赤塚先生との交遊エピソードや赤塚マンガについて語るという趣旨の催しでした。
   
 
 じつは、何日か前に、このトークショーの主催者の方から出演依頼をいただきまして、私は代表質問者というかたちで15分間ほど藤子A先生とやりとりすることになっていたのです。もともとこのトークショーには観客として行くつもりでしたが、なんと、トークショー出演者の一人という立場になったわけです。
 A先生はステージ上にいらっしゃり、私はステージの横からマイクを持って話すという位置関係でしたが、「藤子不二雄A先生とイベントで共演!」という、夢のように光栄な役割をいただき、その喜びの大きさははかりしれません。とともに、大きなプレッシャーも伸しかかり、当日が近づくごとに緊張が高まってきました。心臓がどうにかなるんじゃないかというほどに(笑)


 トークショー当日、ドキドキしながら京都国際マンガミュージアムに到着。受付にて、今回私に声をかけてくださった京都精華大学マンガ学部准教授・吉村和真さんと落ち合いました。吉村さんは、トークショーの司会者でもあります。事務室に案内してもらってから、今回のトークショーでプロジェクタなどを担当してくださる、同大学国際マンガ研究センター研究員の伊藤遊さんらともご挨拶し、トークショーの打ち合わせを行ないました。


 その後、出演者の控室である館長室へ移動。一日のうちで緊張が最も高まったのは、この控室での打ち合わせのときだったかもしれません(笑 )なにしろ、藤子不二雄A先生をはじめ、藤子スタジオの方々、フジオ・プロ社長の赤塚りえ子さん(赤塚不二夫先生の娘さん)、京都精華大学の副学長といった錚々たる方々と一緒でしたから。ここで緊張が最高度に達したおかげで、本番での緊張が少し減ったほどです(笑)
 そんななか、A先生が気さくにいろいろと話をしてくださったので、ずいぶんと緊張がほぐれました。国立競技場で開催された「嵐」のコンサートへ行った話とか、高井研一郎さんの生前葬の話などで楽しませてくださったのです。


 午後2時、いよいよトークショーがスタート! 私は、最前列の関係者席に座って、先生のお話を聴きました。
 トークショーは、A先生が赤塚先生の思い出を語るところから始まり、赤塚マンガの話題、そして藤子A先生ご自身が描かれたギャグマンガの話題へ…という流れでした。
 A先生の自伝的マンガ『愛…しりそめし頃に…』で描かれた赤塚先生の場面をスクリーンに映しながら、その場面の思い出話や裏話についてA先生に語ってもらう、というのが前半の主な内容。赤塚先生が思うように作品を描けなくて漫画家から足を洗おうかと悩んでいるときテラさんが相談に乗ってくれたうえお金を貸してくれたとか、他の漫画家があけた穴を埋めるために描いた『ナマちゃん』が好評を得て赤塚先生がギャグ漫画家として花開いていった、といったエピソードが紹介されていきました。司会の吉村さんがマンガに精通した方なので、的を射た質問や反応でキビキビと進行していった、という印象です。


 A先生は、トキワ荘時代美青年だった赤塚先生と、のちにバカボンのパパのようになった赤塚先生を比較するため写真を持参されました。赤塚先生のその変貌ぶりに場内がわきました。A先生は、この写真をベースにしたイラストを「赤塚不二夫マンガ大学展」に出品されています。
 その後、赤塚先生と藤子先生が同じ雑誌でギャグマンガを描いた事例として、『おそ松くん』『オバケのQ太郎』が連載された当時の「週刊少年サンデー」などがスクリーンに映し出され、A先生が、二つのギャグマンガが同じ雑誌で両立しえた理由などを述べられました。


 私の出番は、トークショーが後半に入ってからでした。
 司会の吉村さんが私を紹介してくださると、私は席から立ち上がって所定の位置まで歩き、マイクを受け取りました。その動きのあいだ、私は舞い上がっていてはっきりと覚えていないのですが、A先生は「僕のマンガにとても詳しくて…」云々とおっしゃってくださっていたはずです。
 私は、自分で用意した資料をスクリーンに映してもらいながら、A先生にいくつか質問していきました。そのうちの一部を紹介します。(発言内容は大意です)

●私:(『黒ベエ』のセミ風呂の場面を映しながら)A先生は、赤塚先生が作品のなかで過激なこと・実験的なことをやっていくのと呼応するかのように、ご自分の作品も先鋭化していかれました。この画像は『黒ベエ』の一場面です。『黒ベエ』は、少年マンガにブラックユーモアを本格的に持ち込んだ作品と言われています。この場面は、おびただしい数のセミが放たれた密室に一人の男が閉じ込められて拷問を受けているところです。A先生がこうしたマンガを描かれるようになったのは、赤塚先生と競い合うという意識があったのでしょうか?
●A先生:よくこんな凄い絵を描いたもんだなあ(笑)僕がブラックユーモアを描くようになったのは、赤塚氏というより、藤本氏を意識した面が大きかった。コンビを組んで藤子不二雄としてやってきて合作をやったりもしたが、藤本氏はやわらかくあたたかいタッチの描線で、僕は筆圧の強い太めの線になっていった。その線の違いを意識するようになり、自分の線を活かせる方向に、ということでブラックユーモアを描くようになった。

●私:(怒った怪子ちゃんが髪の毛を伸ばして暴れている場面を映しながら)怪子ちゃんは私の好きなキャラクターの一人です。今の実写版『怪物くん』ではベッキーさんが演じていますね。この怪子ちゃんにはモデルがいるのでしょうか?
●A先生:特定のモデルがいるわけじゃないけれど、怪子ちゃんが髪の毛を伸ばしながら怒る姿は、僕の奥さんが髪を振り乱して怒っている姿がイメージの元になっている(笑)(追記:この部分は私の聞き落とし・聞き間違いで、A先生はおおむね次のようにおっしゃった、とご指摘をいただきました。→「そのころ僕には彼女がいなくて、姉について美容室へ行ったとき、髪を振り乱したおばさんを見て、それが、怒る怪子ちゃんのイメージの元になった(笑)」
●私:怪子ちゃんは、あのわがまなな怪物くんよりも怒ったら怖い性格をしてますが、そういえば、A先生の作品には『忍者ハットリくん』の夢子ちゃんや『まんが道』の霧野涼子さんなど、美人だけど性格がキツめのキャラクターがよく登場するという印象があります。それは、A先生の好みの投影なのでしょうか?(笑)
●A先生:僕は、美人は美人でも、普通の美人よりクセのある美人が好きなんだよ(笑)

●私:(西原理恵子さんの著書『西原理恵子人生画力対決』のA先生の回を映しながら)現在A先生は西原理恵子さんと「ビッグコミック増刊号」でコラボエッセイ『人生ことわざ面白“漫”辞典』を連載されていますし、西原さんが著名な漫画家さんと画力を競うイベント「人生画力対決」に出演されたりして、西原さんからイジられたりツッコミを入れられたりしていますね。この場面でも、西原さんがA先生に「こらあ」「ふざんけなよ」などとツッコんでいて、マンガ界の重鎮であるA先生がこういう扱いを受けているところが私としては非常に面白いです(笑)A先生はどんな経緯で西原さんとコラボされることになったのでしょうか?
●A先生:(「こらあ」「ふざけんなよ」とツッコまれている場面について)こういう描き方をされて嬉しい(笑) 僕が西原さんのファンで、「ビッグコミック増刊号」の連載は、こちらからコラボしたいと編集者を通してオファーを出したら、西原さんがOKしてくれた。

 質問を終えた私が席に戻るさいも、A先生が「ここまで読んでくれていて僕は嬉しいです」とおっしゃってくださっている声が聞こえ、心が震えました。


 私の質問コーナーが終わり、トークショーも終盤に。
 終盤で特に印象深かったのは、司会の吉村さんに「それにしてもA先生はお元気ですね〜!」と言われたA先生が「本当は死んでいるのに死んでいることに気づいてないだけかもしれない(笑)」とちょっとブラックなジョークで切り返されたことです。そういう切り返しができること自体がお元気でお若い証拠です!
 また、「講談社漫画賞のパーティーに出席したら、僕と同世代の漫画家どころか、少し下の世代の漫画家も出席してなくて、若い漫画家ばかりだった。僕は誰一人として知らなかった(笑) だけど向こうからどんどん声をかけてきてくれて「自分が生きているうちに先生と会えるとは思いませんでした!」と言われて嬉しかった。そしてそのとき、「わしゃ、生きる化石か」と自分で思った(笑)」という話も面白かったです。それに続き、講談社漫画賞を受賞した諫山創さんの『進撃の巨人』について、「巨人が歩いているだけですごく絵になる作品だった」と評しておられました(こういう言い回しはされなかったかもしれませんが、そういう意味のことをおっしゃいました)。


「現在インドで『忍者ハットリくん』が大人気で、日本でつくったアニメの話数だけでは足りなくなったため、インドでアニメ『忍者ハットリくん』が制作されることになりそう。日本へ逆輸入なんてこともあるかも(笑)」というA先生からの新情報もありました。インド版忍者ハットリくんがどういうものになるのか非常に気になります。


 A先生のお元気な姿を拝見できただけでももちろん大感激ですが、今回は、いつもなら観客として参加していたA先生のイベントに出演者側としてかかわることができ、自分の人生のなかでも特別な一日となりました。
 お世話になったすべての皆様に感謝いたします。